2013年06月06日

マザー・テレサの死後と「心の闇」の原因

引き続き、『マザー・テレサの心の闇』の抜粋と解説を進めたい。

マザーの「心の闇」発生の真相と、2つの原因

神秘体験の影響の大きさと「心の闇」の正体

マザーが36歳のときに、霊視現象・霊聴現象・接神現象
(イエスとの合一体験)が集中して発生しました。
こうした霊界から引き起こされた心霊現象を通して、
マザーは新たな人生を歩み出す決心を固めていくことになります。

マザーに修道院を出る決心をさせるために、
霊界側はさまざまな心霊現象を起こしてマザーに働きかけました。
マザーの決心を促すために、リアルで実感的なイエスの姿を見せ、
イエスさながらの声を聞かせ、イエスとの触れ合いをさせてきました。
もちろんそのすべてがイエス本人のものではなかったのですが、
マザーは心の底からイエスであると信じ込んだのです。

36歳の時の神秘体験が、マザーの心に大きな刻印を残すことになりました。
それは、決して忘れることのできない人生最大の出来事だったのです。
マザーは神秘体験を通して現実そのもののリアルなイエスと出会い、
イエスと触れ合い、イエスと一体化しました。

この体験の衝撃があまりにも強すぎたため、それが失われたとき、
言葉にできないほどの喪失感とショックがマザーを襲うことになりました。
リアルなイエスとの触れ合いが失われたとき、
“神(イエス)の不在感”という苦しみが心を占めるようになりました。
これこそが“神秘体験”から始まったマザーの「心の闇」の正体だったのです。

イエスと出会い、イエスと交わり一体となるという体験は、
マザーに歓喜をもたらしました。マザーにとっては、
その体験こそが神(イエス)の存在を実感する出来事でした。
そしてそれが失われると、頭(理性)では神を信じてはいても、
実感のともなわない現実の中で、
神もイエスもいない闇の世界が展開することになってしまいました。

マザーは、その後の人生を、神(イエス)の不在感という悲しみ・
苦しみを抱いて過ごすことになってしまったのです。
一時期の“強烈な神秘体験”――
それが神を実感することであると思い込んでしまったところから、
マザーの悲劇が生まれたのです。


臨死体験や瞑想などで「神人合一」を体験し、
それが一度きりの体験だったとしても、
普通はマザー・テレサのようにはならない。

従って、その歓喜と快楽を度々経験して溺れてしまい、
それを体験することがなくなって渇望し続け、
「神に見捨てられた」という大きなショックが
マザー・テレサの「心の闇」を生み出したというのだ。

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心霊現象に対する無知が招いた「心の闇」

マザーやマザーを指導する教会関係者に、
ここで述べてきたような霊視や霊聴や神との合一体験・
接神体験といった「心霊現象」についての知識があったなら、
マザーの喪失感を「心の闇」として捉えることはなかったはずです。

マザーに、自分が体験したものはいくつかの心霊的な条件が
整って発生した特殊な現象であるとの認識があれば、
悩み苦しみ続けるようなことにはならなかったはずです。
イエスの声が聞こえなくなったからといって、
焦るようなことはなかったでしょう。

一時期に神秘体験(心霊現象)が集中して発生したのは、
その時がマザーを新しい道に導く絶好のタイミングだったからです。
その後、神秘体験が発生しなくなったのは、
霊界側から見たとき一定の成果があげられて、
もはや心霊現象によって導く必要性がなくなったためか、
あるいはマザーの反応があまりにも的外れで、
これ以上は危険であるとの判断がなされたためかのいずれかです。

マザーは晩年、「ベナレスからの手紙」の中で
神の愛の宣教者会の全メンバーに向けて、次のように述べています。

「一対一でイエスと出会い、イエスの声を聞きなさい。
リアルなイエスの姿を見、生きているイエスと愛において一つとなりなさい」

実はこうしたことはすべて、マザーが36歳のときの神秘体験の内容なのです。
「かつて自分がしたのと同じ体験を皆にもしてほしい!」と望んだのです。
ところが当のマザーはといえば、イエスの姿も見えず、イエスの声も聞こえず、
イエスとの一体感が失われて苦しみ続けていたのです。
マザーは、自らの「心の闇」の苦しみを押し殺して隠し、
皆には「より深くイエスと結ばれるように」とのアドバイスをしたのです。

しかし、これは明らかに的外れなアドバイスです。
イエスの姿を見、イエスの声を聞くためには、
霊能力という生まれつきの能力が必要となります。
それと同時に、霊界側の働きかけが必要です。
愛があればイエスを見、イエスの声を聞けるというものではないのです。
またそうした条件が整ってイエスと出会ったとしても、
それは本物のイエスではない、ということなのです。


確かに、心霊現象に対する無知が招いたというのも一理あるだろう。

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キリスト教の教義の間違いも「心の闇」発生の大きな原因

マザーが「心の闇」を発生させてしまったもう一つの原因は、
キリスト教の教義の間違いにあります。
修道者の生活は、いずれの宗教・宗派にかかわらず共通しています。
それは、一日が祈りで始まり祈りで終わるということです。
彼らの祈りは、神への懇願・願い事が大きな部分を占めています。
祈りは、神に対して直接願い事をする行為となっています。
実は、そこに地上の大半の宗教の根本的な間違いがあるのです。

もし神と人間が直接的な関係にあるとするなら、
そうした祈りは正しい行為と言えますが、
実際には神と人間は直接的な関係にはありません。
神は人間をはじめ万物を創造すると同時に、
それらを維持するための仕組みもつくり出しました。

それが「摂理(法則)」です。
神と人間は、いかなる場合においても、
摂理を介して間接的に結ばれるようになっています。
これが「神の摂理」による間接支配のシステムです。
この観点から言えば、「摂理の神」ということになります。

こうした事実を人間サイドから見ると、神は常に摂理を通して現れ、
人間の目には神は摂理そのもののように映ることになります。
人間が常に願い求めてきた「愛の神」は、摂理の背後に隠れていて、
人間の前には現れないようになっているのです。
しかし地球人類は、神と人間の関係を直接的なものと考えてきました。
真剣に祈り求めれば、神はそれを聞き届けてくれると思い込んできました。

そのため不幸や災いを取り除き、幸せをもたらしてほしいと必死に祈っても、
それが実現しないと“どうして神は苦しむ自分を助けてくれないのか”
と思うようになったのです。
人によってはいくら祈っても聞き届けられない現実の中で、
“神などいない”と考えるようになってしまいました。

マザーの場合も、これと同じことが言えます。
マザーは毎日、真剣に神に祈ってきました。
かつてイエス(神)と触れ合い交わった体験を、
もう一度させてほしいと祈り続けてきました。

しかし、いつまでたってもマザーの願いは聞き届けられませんでした。
必死になって祈れば祈るほど、マザーの苦しみは大きくなっていきました。
マザーの「心の闇」は、神と人間が「摂理(法則)」という
機械的システムによって結ばれている事実を
知らなかったところから発生したものなのです。

もしマザーに、あるいはキリスト教会に、
「神と人間の関係は摂理を介して間接的に成立するものである」
との認識があったなら、マザーの祈りの内容も、
神に対する姿勢も根本から違っていたはずです。

「摂理という無慈悲で機械的な形をとってしか神は現れない」
と分かっていたなら、
むやみに神を呼び求め、神にすがることはしなかったでしょう。
「神の摂理」と一致した歩みをしているなら、
何ひとつ心配する必要はないのだと、心を切り替えることができたはずです。
マザーは「神の摂理」に対する無知から、
的外れな悩みを抱え込むことになったのです。

このようにキリスト教の間違った神観が、
マザーの心に闇を生み出すことになりました。
神を「愛の存在」としてだけ捉え、
「摂理の神」についての認識がなかったために、
マザーは“神の不在感”という
「心の闇」を持ち続けることになってしまったのです。

また、イエスを神と同一視する“三位一体”の神観も、
マザーの「心の闇」の原因となっています。
その間違った教義によって、
「イエスの不在」=「神の不在」と考えるようになってしまいました。
マザーは、キリスト教の教えを信じ込み、
それを基にしてすべての判断をしていったために
「心の闇」を発生させることになってしまったのです。

こうした意味でマザーは、
間違ったキリスト教の教義の犠牲者であった、と言えます。
マザーは生前、多くの祈りをしてきました。
毎日、早朝から神に祈りを捧げてきました。
しかし神に対する間違った認識のもとでのマザーの祈りの多くは、
的外れなものだったのです。

とは言え、それによってマザーの人生が
無意味で無価値なものになったわけではありません。
聖女に相応しい霊的価値がある崇高な人生を過ごしてきたのです。


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神の定義は様々だが、真理に対する無知、
キリスト教の教義の間違いも大きな原因というのも一理あると思うが、
それらは表面的な直接原因であって、真相はもっと深いところにある。

そもそも、マザー・テレサの「心の闇」も、
全ては見通しの神のシナリオ通りだったはずで、
心霊現象に対する無知や、間違った教義の盲信など、
そのような単純な問題ではないと私は思う。

マザー・テレサが「心の闇」を体験することになった原因は、
前世のカルマには違いないと思うが、
自己実現の為の信仰の道の試練が与えられたということである。

その「心の闇」に光を灯す為に「奉仕活動」に人生を捧げ、
カルマを解消して自己実現を果たしていくプロセスを、
「アニムスの4つ段階」という心理学的アプローチで説明が可能なのだ。

信仰の道に入って、凄絶な苦労や苦悩を体験させられる人は少なくなく、
天理教の中山ミキや大本の出口ナオ・王仁三郎などもそうだし、
隈本確や私もそうだったと言える。

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また、真我に目覚めて個人的カルマが解消し、
カルマの法則を超越しても、「贖罪神」の魂を持っている人は、
人々のカルマや国家のカルマ、人類のカルマを背負うこともある。

マザー・テレサの場合は、何らかのカルマで
集合的無意識の「闇」にフォーカスしたのだと思うが、
その「心の闇」を味わいながら
「奉仕活動」をする為に生まれてきたと言えるだろう。

その意味で、マクロの視点に立てば、カトリック教会の見解の通り、
マザー・テレサの「心の闇」はプラスだったと言えるだろう。

また、その要因の1つとなったカトリックの教義に対する「信念」も、
「心の闇」を生み出す為に必要なことだったと考えられる。
要するに、「すべては必然・必要・ベスト」で「万事好都合」、
「難事は良い事」なのである。

死ぬ直前まで「心の闇」に取り憑かれていたとのことだが、
それが事実であれば、死後は深い闇の地獄に堕ちたことになる。

「死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、
その想念のままの世界に住むのであるぞ。
この世を天国として暮らす人天国へ行くぞ。
地獄の想念、地獄生むぞ」

(日月神示)

だが、恐らくは死の瞬間に「心の闇」から解放され、
最上の天国(フォーカス27)に行ったことだろうと思う。

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マザー・テレサの死後の様子と、
スピリチュアリズムによるマザーの再評価……
霊界でのマザーの歩みと霊的観点から見たマザーの真価

1.マザーの死後の様子

マザーは、1997年に他界しました。
その死を世界中の人々が悲しみましたが、
霊界に入ってから、どのような歩みをしたのでしょうか。
マザーから霊界通信は送られてきていないため、
その詳細について知ることはできません。

しかしマザーと同じように特定の宗教の熱心な信者でありながら、
人類への純粋な奉仕に一生を捧げた先人たちの他界後の様子が知られています。
そうした高い霊性を持った先人たちの霊界での歩みから、
マザーの死後の様子を推測することができます。

地上時代のキリスト教の教義を捨て、新しく「霊的事実」を受け入れる

マザーは地上人生を熱心なキリスト教徒として過ごしました。
その教義が霊的事実と一致していたら何も問題はなかったのですが、
残念ながらマザーは霊的事実と懸け離れた人工的な教えに
洗脳されたまま一生を終えることになりました。

マザーは死後、しばらくはキリスト教の間違った教えを信じていましたが、
やがてかつてカトリック教会に属していた神父や修道者から、
キリスト教の教義の間違いを教え諭されることになりました。
初めマザーは戸惑い、彼らの指導を受け入れることができませんでした。
しかし霊界での時が経過する中で、
徐々にキリスト教の間違いについて理解するようになっていきました。

地上時代の間違った信仰を捨て去るにともない、
マザーは先輩霊・指導霊から示される正しい「霊的知識」を、
凄まじい勢いで吸収していきました。
そして地上時代の神秘体験の真実と、
自分を苦しめてきた「心の闇」の真相を知ることになったのです。


それが事実だとすると、これを読んで分かることは、
やはりマザー・テレサは地獄に堕ちずに済んだようだが、
信念体系領域の霊国に入ったようである。

それから、恐らくマザー・テレサに「神秘体験」をさせた
天国の霊の教育によって真理を理解するようになり、
最上の天国(フォーカス27)に入れたようである。

「闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、
人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それが誠の神の神民ぞ」

(日月神示)

だが、マザー・テレサの活動は世界中の人々に知られているので、
徳積みが全部帳消しになっているかも知れない(笑)

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イエスについての真実を知り、スピリチュアリストになる

死後、マザーは自分の地上人生が
多くの間違いによって占められてきたことに後悔の思いを持ちました。
しかしその後悔は一時的なもので、
そのうち自分がこれまで心から慕ってきたイエスが、
霊界を総動員しての「地球人類救済プロジェクト」
の総責任者であることを知るようになります。
そしてイエスの率いる霊界の軍団の一員として働くことを決心します。

マザーは、地上でなしてきたインドでの貧困者への奉仕活動を
“スピリチュアリズム運動”の一環として位置づけし、
それを霊界から援助する役割を買って出ました。
こうしてマザーは現在、地上で献身的に歩む奉仕者を
霊界から援助するという仕事に携わっています。

今、マザーは霊界で一人の高級霊として、
またイエス主導の霊界の大軍団の一兵士として、
スピリチュアリズム運動に参加しています。
熱心な“スピリチュアリスト”として、
他の高級霊たちと共に地球人類の救いの為に歩んでいるのです。

*地球圏霊界に属する高級霊の全員が、
霊界を挙げての“スピリチュアリズム運動”に参加しています。
スピリチュアリズム運動に参加している者を“スピリチュアリスト”
と呼ぶなら、マザー・テレサを含めたすべての高級霊は皆、
“スピリチュアリスト”ということになります。
この意味で、スピリチュアリストではない高級霊はいないのです。


イエスが「地球人類救済プロジェクト」の総責任者というのは、
シルバー・バーチも言っていることである。
イエスは地球圏霊界を超えた5次元(フォーカス35)の存在だが、
その傘下の「地球圏霊界の高級霊」というのは、
4次元の最上の天国(フォーカス27)の霊人たちのことだろう。

ホワイトイーグルが教える「光の奉仕者への道」
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/188513814.html

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posted by ZERO at 20:53| Comment(4) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
助けても助けても、同じように子供を捨て孤児はふえ、親を捨て、貧困はよくならない、病人は減らない、その上、テレビやらマスコミやらはうるさく、文句言われたり、嫌み言われたり、
いくらマザ一テレサだって、
愚痴りたくなるでしょう。
神様いんの?いい加減にしてよ?って。

とはいえ、
本の内容も真実かどうかも分からない。
マザ一テレサは亡くなってるのだから。
Posted by ゆめ at 2016年09月16日 09:23
ゆめさん、こんにちは。

ただ、生前に残した名言などからテレサの霊性を推測することはできますね。

下記ブログにも最近テレサの記事を書きました。

http://ameblo.jp/tenka-yotarou/entry-12197639527.html
Posted by ZERO at 2016年09月21日 14:22
こんにちは
マザ一テレサは自分では愛があるとは謙遜して言われないでしょうが、愛がなければ、あのような偉業はなせないでしょう。
彼女はわずが100円を持ち、スラム街へ行き、
多くの人の心を救ってきました。
ハンセン病の方には仕事をあたえ、立ち上がれない人には安息の場所を、孤児には教育を。
彼女は命という物質よりも心を救う事を大事にされてました。
Posted by ゆめ at 2016年09月28日 18:24
ゆめさん、こんにちは。

はい、彼女は愛を求めて、そのような活動をせざるを得なくなったということですね。

しかし、人人に一時的な心の安息を与えて立ち去り、結局は自らの心の闇が生まれた原因と同じことをしてきたことになります。

それについてとやかく言うつもりはありませんが、真の救いとなる意識進化を促すための活動はできなかったはずです。

それは彼女の一部の名言(?)や最期の言葉に表れています。
Posted by ZERO at 2016年11月02日 02:40
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