ネガティブを否定するポジティブ一点張りの教えに対しては
警鐘を鳴らし、ネガティブを抱き参らせた中心
「真のポジティブ」を繰り返し主張してきたが、
内海氏も著書『中心感覚』のまえがきで次のように述べている。
「人生にポジティブばかりを求める人は、
ポジティブの陰には必ずネガティブがあり、コインの裏表のように、
両者は離れがたい一体のものだということに気づいていない。
真実は、ポジティブやネガティブのどちらかにあるのではなく、
その真ん中にあるものである」
同様の意味合いだが、目次を見ていると、このようなタイトルがあった。
「プラス思考だけでは物事の半分しか見えない」
ありがとう仙人も、プラス思考でもマイナス思考でもない
「ニュートラル思考」を説き、別名「究極のプラス思考」という。
神仙組のブログ説明に、
「プラス思考を斬る」と書いているのも同じ意味である。
同様に、「善悪二元」について内海氏は
『中心感覚』の中で次のように述べている。
小さな善人よりは少々ワルのほうがよい
中心感覚にもとづく自由意志は神が人間に与えた最高の機能である。
したがって人間は何をしても自由なのが本来の姿である。
ただし権利と義務がワンセットであるように、
自由の裏には責任が貼りついている。
「おまえたち何をしてもいいが、全て自己責任だよ」
それが創造主である神の意志である。
よって牢獄に繋がれる覚悟があるのなら、人の物を盗んでも構わない。
極端に言えば、神はそこまで人間の自由意志に許容範囲をもうけている。
つまり悪を選ぶ自由もまた人間に与えられている。
しかし中心感覚に素直に従っていれば、
人間は悪を選ぶようにはできていない。
それもまた神の意志なのである。
中心感覚にもともと善悪の概念はない。
中心感覚が促す行為は頭脳が考え出した善悪を超えるものであり、
善でもなく、悪でもない。
人間の二本の足は何を意味しているか考えたことがあるだろうか。
それは善と悪をあらわしているのだ。
善だけで生きようとするのは片足だけで歩こうとするようなもので、
おそろしく不自由なことになる。
無理に歩こうとすれば、つまずいて転んでしまう。
悪だけで生きることも同様である。
右と左の両足を使って歩いて初めて前へスムーズに進めるように、
善と悪の両方を知って初めて人間は本来の生き方ができるようになる。
善だけを取り出して、人間の生きる正しい要素とするのは間違いであり、
また悪だけで生きられるほど人間はタフにつくられてもいない。
ときどき、善良で誰もが「あの人はいい人だ」と認める人が突然、
銀行強盗などの凶悪な犯罪を犯すことがある。
いっぱいまで振れた振り子が、今度は反対側へ大きく振り戻されるように、
それまで「善」だけで生きてきた反動が急激にやってくるからである。
したがって善と悪、どちらの生き方も理解したとき、
その真ん中に進むべき本来の道が現れるのである。
善に偏らず、悪に偏らず、善悪の中心を行け。
人間はそのようにできているのである。
私は自分の弟子によく、「小さな善人になるな」といっている。
浅薄な正義感で善悪を判断して善人面をするな、人を裁くな。
自分が悪いことをしていないからといってことさらに善人ぶるな。
自分は間違っていない、悪いことはしていないと善人を装うことほど、
人間にとって大きな過ちはない。
偽善こそが悪そのものなのだという戒めである。
浄土真宗の開祖・親鸞の有名な言葉に
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」というのがある。
善人でさえ往生できるのだから、悪人が往生できないはずがない
……いわゆる悪人正機の説である。
善人ぶった悪人ですら仏は救って下さるのだから、
自分の悪を認めている善人が救われないはずはない――
親鸞はこの世の善悪の観念の薄っぺらさを見抜き、
それをあざやかに逆転してみせたのである。
むろん、私は悪のすすめを説いているのではない。
小善人になるなとは、「いいことしかできない」小さな人間よりも、
「少々悪いこともできる」大きな人間になれという意味である。
善悪の概念は人間が後天的に考え出した相対的なものにすぎない。
ある状況では正義だったことが、
別の状況では非難される悪行であることもある。
よくいわれるように、戦争で人を殺せば勲章を貰えるが、
平和時に人を殺せば監獄行きなのである。
中国古典の知恵に「中庸」があるが、これは偏ることなく、
中をもって常の道とせよという教えで、中心感覚の考え方もそれに近い。
まず、「自由意志」という言葉が出てきたが、
最近の記事にも登場した言葉なので少し説明しておこう。
マザー・テレサの名言に次のようなものがある。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」
ここに「意志」を入れるとするなら、
「思考」が先か「意志」が先か……。
意志あっての思考だが、思考によって意志も明確となる。
少し難しい問題なので、
Wikipediaで「意志」を調べると次のように載っていた。
「意志は、目標を定めてその達成のために行為を促す自発的な思考を意味する」
難しく考えずに「意志=思考」という定義で、
「思考」を「意志」という言葉に置き換えると次のようになる。
「意志に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」
自由意志を原点として、
それが最終的に「運命」に繋がるということだが、
カルマの法則によって運命が予め設定されているなら、
意志や思考パターンも予め決定しているということになる。
つまり、人間が「自由意志」だと思っているものさえも、
どのような意志を持つかが初めから決まっている可能性がある。
人間の意志や思考は「自我」だが、それが何によって操られ、
そして決定しているかというと「潜在意識」である。
その潜在意識(無意識)こそが「原因の世界」であり、
そこにインプットされている情報や記憶こそが「カルマ」で、
それをクリーニングする方法が「内観による理解と浄化」である。
神仙組のブログ説明に「善人になる努力をするのは大間違い」
と書いているが、これも内海氏の話と同様の意味合いである。
「中心感覚にもともと善悪の概念はない」とのことだが、
これは真我の視点からは善も悪もないということである。
真我は善悪を抱き参らせた中心の「絶対善」だからである。
それが私の「善悪統合論」だが、善悪がないというわけではない。
人間界の善悪の概念は国や時代によって大きく異なるが、
自然の摂理(宇宙の法則)に反するものを
「悪」と表現することができるが、
その善悪の基準は真我に目覚めないと分からない。
その宇宙進化の法則に反する想念が「カルマ」となり、
それを刈り取ることを比喩的に「天罰」という。
さて、「少々ワルのほうがよい」とのことだが、
過去の日記や動画などを見れば分かると通り、
私は聖人君子などではなく、
一般常識的には今でもちょっとワルだったりする。
それは、常識破壊などの社会変革を目的とした、
ささやかな革命(型=パフォーマンス)だったりするのだが、
人々からはエキセントリックに見えることだと思う。
また、私のことを「見かけによらず落ち着いていて、
礼儀正しい紳士だ」と評価する人もいれば、
「幼稚で子供みたい」だとガキ扱いされることもある。
どちらも「素」の状態の私であり、作った外面ではない。
霊的に生長するということは「童心に還る」ということでもあるのだ。
『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』の中で、
須藤アキオ氏は次のように述べている。
『ユングの考えでは、本来的に自己実現したときには、
純朴で無意識的な一種の子供らしさを獲得する。
出口王仁三郎などは、まさにそのような人物だと思える。
講演中でも興がのれば娘婿と相撲をとり、
夏には紐に脱脂綿を当てた洗濯バサミを付けて天井から下げ、
これを睾丸に挟んでウチワで扇いでみたり、
誰に会う時も態度を変えず、社会的に偉い人の前でも一物を隠さなかった。
不敬罪という当時としては絶望的な罪に問われている時も、
審理中に漫談まがいに答弁をして、「あれは当意即妙病だ」と言わしめ、
監房では「ゴミ箱の中に入れても光るものは光る」と評されて看守に愛され、
尊敬されてしまい、これを恐れて看守はすぐに交替させられたほどだ。
また、晩年まで寝るときには、子供が絵本を読んで聞かされて寝入るように、
「霊界物語」を拝読させ、幼児言葉で床についたのである。
そして、子供になって寝れば悪魔も付け入る隙がないのだと、
800万という賛同者を得た男が平然と言ってのける』
内容は違っても、私も似たようなものである。
以前、王仁三郎と私の共通点を挙げたが、実際に性格や行動、
人生での出来事などに共通点が多い。
また、王仁三郎は次のように述べている。
「善人は自分自身を救うのが精一杯だが、
悪人は大悔悟すれば大きな働きをする。
仏のような人ではなく、鬼神のような人でなくては、
この過渡期に大きな活動力を発揮できない。
自分は世の終わりまで悪魔だ、地獄行きだ、
一生涯世間の人間に歓ばれない、こうした悲痛な絶望的な決心」
この大悔悟による命を賭けた世界改造(革命)計画も
落雷事件後の私とシンクロしている。
「自分は世の終わりまで悪魔だ、地獄行きだ」というのは比喩で、
「一生涯世間の人間に歓ばれない」というのは、
キリストと反キリストが表裏一体であることを意味する。
即ち、「ミロクの世」の創造の為の様々な破壊によって、
それを喜ばない人が無数に出てくるということである。
話せばながくなるが、言いたいことは分かるだろう。
それでは、須藤アキオ氏の話の続きを見てみよう。
『出口王仁三郎にせよ、出口ナオにせよ、
隠遁した修行生活から何かを得たわけではない。
ともに貧窮の中で過ごし、辛酸を嘗め、
これと立ち向かっていったのである。
出口ナオに至っては、破産状態の中で、夫は半身不随、
長男竹蔵は仕事に嫌気がさして自殺未遂を図り、三女ヒサは発狂、
長女ヨネもヤクザ大槻鹿造の内縁の妻にさせられた上に発狂、
さらには長男竹蔵は行方不明になり、次男清吉は兵隊に取られ、
三男伝吉は長女の内縁の夫・鹿造に強引に養子にされてしまう。
この苦難にあっても恨み言を言うでもなく、耐え忍び、打ち勝ち、
アニムスの4つの段階をクリアーしたのである。
このアニムスが心の中で働くとき、母性との大きな葛藤を生むが、
これを克服することは実に至難だと心理学者はいう』
これも私の半生と似ていると言えば似ている。
ここまで酷い家庭環境ではなかったが、
小学校の時に引越と転校をして苦悩の日々を過ごし、
ウツやノイローゼのような状態となり、
怒りと悲しみで発狂することも多かった。
そして私は中学に入って本格的に魔界への道を進み、
私の影響で弟も学校の先生の手に負えない問題児となり、
聖母はずっと心中を考えていたそうで、
行者に弟子入りをして厳しい修行をしていた。
自叙伝に詳細を書いてきたので繰り返さないが、
かなり波瀾万丈な人生を歩んできたと思う。
私は私なりに発狂するような苦しみを抱きながら
26歳まで生きてきた。
その間、たびたび改心を繰り返してきたのだが、
ある日、悩み悩んでESPの指導所に行き、
「なるようにしてくれ」と願ったところ、
同棲していた彼女が出ていって、
私は地獄から救出されて天国に入った気分になった。
それから本格的な修行人生が始まり、
順調に意識進化の道を歩んでいたのだが、
29歳の時にネオデジタル内観で再び解脱の境地を体験した。
だが、それは輪廻の解脱というレベルではなく、
それから1年間、魔界戦争を体験することになった。
これは「特殊なリアル内観」だったと認識しているが、
出口ナオの人生の何百万倍とも言える苦痛を味わった。
それが私のカルマの刈り取りだったのだが、
必死で耐え忍び、打ち勝ち、魔界戦争をクリアーした。
今はあらゆる苦悩から解放された涅槃の境地だが、
自我に目を転じれば様々な苦しみに耐えている自分がいる。
だが、その苦しみは喜びでもあり、
逃れようともせずに苦しみと向き合っているのである。
引き続き、須藤アキオ氏の話である↓
『この変性男子(厳の御魂)である出口ナオの教えは実に厳格で、
これに対して、変性女子(瑞の御魂)である
出口王仁三郎の教えは闊達無碍で母性的であった。
この事は、ナオがタテ糸、王仁三郎がヨコ糸に喩えられている。
機織りの時、タテ糸はピンと張って不動だが、
ヨコ糸はこのタテ糸をヨコに動き、模様を織りなしてゆく。
そして、ヨコ糸はタテ糸の間をくぐり抜ける度に三度叩かれる。
まさに大本史はこの通りで、動かぬ教えを説く出口ナオに対して、
出口王仁三郎は人には見当の取れぬほど縦横無碍な活動を行い、
その度に出口ナオを信奉する信者から叩かれてきた。
そうして織り上げられた機こそが、雛型神劇なのである。
以上、複雑になる危険を冒してまで
心理学の内容を多用して「身魂磨き」を述べたのには訳がある。
いずれ日本中、いや世界中の全ての人間が、
それまでの生き方を問われるような大変動が起こる。
それは「大峠」といって、
神があらゆる物をいったん奪ってしまう現象である。
そのときは、知識やごまかしなどが一切通用しない。
偉そうな学者も宗教家も、この本を書いている私も同様である』
私の魂は、「瑞霊」と「厳霊」を統合したものだ
ということを今まで何度か書いてきた。
それは自分で分かっていることだが、
今の話を読めば、読者にも分かってもらえると思う。
何故か途中から私の話になってしまったが、
重要なことは少しでも「身魂磨き」に精進して、
大峠の大難を小難にすることである。
「勇気」は意識進化のターニング・ポイントであり、
恐れず、楽しんで、感謝の気持ちで取り組むことが大切である。
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はじめまして。私は愛知県豊川市に住んでいる者です。
ルシファー?何か重そう。暗そう。
違う世界を生きる人って思ってました。
何となく2、3日前に気になってブログを見させて戴きました。
ビジュアル系?みたいなバンド活動をしている?ような男の子が。
かなり強烈なキャラクター、まさしく堕天使、ルシファーみたいな男の子。(笑)
ごめんなさい。少年ぼさを感じたので男の子としてしまいました。
正直に素を、自分を出されていて、何だかおもしろい人だと思いました。
全てに賛同というわけではありませんが、深く賛同できるところがあり、気になりました。
出口王仁三郎も、どん底の時、スピリチュアルに救いを求めていた時に見つけ、気になっていました。17年程前です。
一見目立たない普通の女ですが、どん底の経験をしたことで、このままでは絶対終わらない、神懸かりの芸能で町おこし、世直しをすると決めて頑張っている、社会不適合者の痛すぎる人間です。(笑)
私は仲間を探しています。未来を感じ、真実を見抜き、人も見抜き、人の痛みのわかる、思いやりのある優しい本モノを。
私は48です。ごめんね。オ○さんです。(笑)気持ちは少年だったり、少女だったりしてます。
私は真面目です。社会の、無常、冷酷、残酷さを充分体験したからこそ、自分の良心を大切にし、真面目に行きたいと思っています。
生きてきた環境のせいで道を外されてしまった人達を否定するつもりはありません。
人生、いつでもやり直しができます。
そんな人達を理解し、受け入れてくれる人がいることが必須ですが。
ごめんなさい。長くなってしまいました。
私のホンの一部しかお伝え出来ていないので「何、この人、よくわからん」
て思われてしまったかもしれないですね。
このような私ですが、気になって戴けたら嬉しいです。
御縁がありましたらよろしくお願いします。
マイナスを感じられたら無視してくださいね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
それでは失礼します。(^O^☆♪
iPhoneから送信
仲間っすよ〜(*゚▽゚)ノ
オイラは40代のお○さんだす〜
ゼロサンの記事は、だいぶ前から読んでますが、
オイラも、絶対、神と一体化して、神の波動なる音楽と言霊で、神の世を創るお手伝いするって決めて、ひたすらタマミガキしとります!
10支族の帰還やらシャンバラやら、ものすごい身近に感じてはいるものの、まだアクセスできなくてモヤモヤ(泣)
ゼロサンがうらやまピイ(泣)
でも、歌を歌うと、マゼンタ色のモヤモヤが見えたりしやすが気のせいかな〜(*_*;
ゼロサンの記事に導いて頂き、オイラもそこそこ、いい感じに進化してるのは間違いないけど
まだ、完全に浄化できてない感じ〜
世に進出したいけど、まだもうちょい、いろいろ準備しながら時を待つゼィ
三ヶ日辺りにいるよ〜本宮の湯は常連だよ〜
失礼しやした!
(((o(*゚▽゚*)o)))☆☆
ビックリしました。近いですね。
本宮の湯は、両親がよく利用してます。♪ ♪
仲間だと宣言してくださってありがとうございます。
嬉しいです。
私も早く世に進出できるように頑張らなきゃ。
もし良かったら会ってお話ししてくださいね。
まだしばらく先がいいのかな。
遅い時間になってしまってすいません。
それでは今日はこれで失礼します。
おやすみなさい。
お酒は邪食にはならないのですか?
ルシファーは永遠の少年ですからね(笑)
神懸かりの芸能で町おこし、世直しですか、凄いですね!^^
48ですか、まだまだ若いですね。
私なんて666歳ですよ(私の方が痛すぎ)!
痛すぎ仲間、いや、目的からすると仲間ですね。
宜しくお願い致します。
キム太郎さん、こんにちは。
私も四捨五入で40歳です^^;
しかし、2桁目を四捨五入すると0歳です^^
神の波動なる音楽と言霊で、神の世を創る……
素晴らしいですね!
よろしくお願い致します〜
クワトロさん、こんにちは。
食事の時にビールは飲みませんよ
(ビールを飲む時は食事をしません)。
居酒屋などに招待された時も、
私は基本的に食べ物の注文をしません。
人が注文した物で勧められれば、
少し味見をして味覚を楽しませるという感じです。
本来、食事と飲酒の組み合わせは邪道です。
食事中は水分が必要なのに、
アルコールは利尿作用で水分が奪われるからです。
その意味もありますが、
食事をする時にお酒を飲みたいとは思わないし、
お酒を飲んでいる時に食事をしたいとは思わないものです。
ちなみに、飲酒そのものは「邪」ではありませんよ。
食事と同じで一長一短があります。
頭おかしいんちゃうか?