2013年09月20日

意識進化の前提条件

完全な自分とは何か……についての続きである↓

「なること」を目指した

二度目の離脱に必要な時間はほんの数秒でした。
一気にドアをめざします。

「また来ました。質問して下さい」

「完全なあなたとはどういうあなたですか?」

「正直言うと、考えている暇がありませんでした」

「考えなくてもいいのです。
あなたはずっと考え続けてきましたから」

「考えなくてもいいのですか。完全な私になるために」

「そうです」

「そんなことを言われると、ますます考えてしまいます。
直感で答えれば良いのですか?」

「そうです」

「ヒントを下さい」

「あなたは考えている時、何かを目指していませんでしたか?」

「当然です。考えていることに対する解答がほしいからです」

「解答は何のためですか?」

「どうやったらそれになれるかです」

「あなたはずっとそうやって生きていました」

「そうやってって、どうやって?」

「なりたい自分になりたくて」

「でも完全に向かおうとすれば当たり前でしょう」

「完全という状態がありますか?」

「しかしこのドアには完全という文字が書いてある」

「無限に輪廻転生をしたいですか?」

「したくありません」

「故郷って何ですか?」


ドアは執拗に迫ります。

「生まれたところ、出発点」

「そうです」

「あなたはずっと『なること』を目指してきました」

「なること……」


「なること」と思った瞬間に肉体に戻ってしまいました。

なること……。
いい人になること。
創造的な人になること。
愛される人になること。
愛する人になること。

私は目標を設定し、
それになる為にやってきたのかも知れません。
それでも成長への欲求を考えれば、
なることも捨てたものではありません。
ところが、私は体内に離脱しているのです。
外側は「なること」であっても、内側は……。
そうなのです。
私は「なること」の世界が実現されたとしても、
それを本当の自分だと感じたことはありませんでした。


2393753i.jpg

パーソナルIDコードを意識するとすぐに離脱しました。
またドアの前です。

「質問して下さい」

「故郷に行くにはどうすればいいですか?」

「完全な私になることです」

「完全なあなたとはどういうあなたですか?」

「いまある私そのものです」

その瞬間にすべてのドアが開きました。
分かっているとはいえ、開くとホッとします。


MW2-Door-C.jpg

ここで転載を一旦中断して、少し解説しておこう。

「なること」を目指す世界を「信念体系領域」という。
それは天国と幽界の中間の「霊国」と呼ばれる世界で、
モンロー研究所の定義で言えばフォーカス24〜26である。

霊国の霊人は「なること」、つまり天国に入る為に、
理想の自分や完全な自分になることを目指す特徴がある。

そして、やがて天国に入ることが出来るのだが、
天国に入っても、いずれは人間界に転生することになる。
輪廻を解脱して5次元の故郷に還る為には、
人間界で覚醒する必要があるからである。

つまり、「なること」を目標に努力している限り、
輪廻を解脱することは出来ないということになる。

20120517_2382793.jpg

誤解のないように解説しておくが、
「自分を外から観察する方法」、即ち「内観」をすることで、
無限のドアを作ってしまうということではない。

自分を外から観察するのは真我の視点であり、
そのような視点に立って自分を観察する訓練が内観で、
それが真我に目覚める為の近道なのである。

内観は意識進化の必要条件
http://new-mu.seesaa.net/article/306585603.html

問題は、もりけん氏が「なること」を目指して
内観のようなことをしていたということである。

内観の目的は真我に目覚めることなので、
5次元意識の完全な自分になることを目指すものである。
それが内観の目的なのだが、そのような願望や
目的意識を手放すことが内観の前提なのである。

◆チェック1 内観の動機が願望から生まれていないか
http://world888.seesaa.net/article/161424081.html
◆チェック6 何も期待しないで内観を始められるか
http://world888.seesaa.net/article/162996106.html
◆実践1 何のために内観をするのか書き出す
http://world888.seesaa.net/article/163977611.html

matrix.jpg

結論から言えば、もりけん氏が言う通り、
「完全な自分とは今ある自分そのもの」
ということになる。

近年のスピ系の流行語の「そのままでいい」というやつだが、
その言葉だけが独り歩きして、意味を理解している人は少ない。

そのままで良ければ身魂磨き(食事改革や内観)も必要なく、
そもそもスピリチュアルに関わる必要もない。

だが、「今の自分が完全だからそのままでいい」
ということを文字通りに解釈してしまうと、
意識進化もなく、輪廻の解脱も真我の覚醒も有り得ない。

幽界霊が「自分は完全だからそのままでいい」
と言っているのと同じである。

スピリチュアルを学んで
「人間は完全だからそのままでいい」という知識を得て、
それを主張する人ほど他者を批判したり、
凶悪犯罪のニュースなどを見て怒ったりするのを見てきた。

そういう人は、他者が自分の投影であることを分かっていない。
そういう人も、私の投影なのだが……^^;

51EKCLg1ARL__BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_.jpg

ここで内海康満氏の著書『中心感覚』の
まえがきの一部を紹介しておきたい↓

『いつの時代でもそうなのかも知れないが、
このところ「プラス思考」
「ポジティブ・シンキング」がはやりのようである。
さまざまなメディアが心地よいコピーとともに、
「あなたもこうすれば成功者の仲間入りができる」
と甘い言葉で語りかける。

ところが、考えてもらえば分かるが、
一人の成功者の裏には何万人もの脱落者、犠牲者がいる、
一人の勝者が生まれるためには、
その何十倍、その百倍倍もの敗者が必要なのである。
しかし、人々に語り継がれるのは一握りの成功者の物語である。
そろそろ、気がついても良い頃であろう。
成功哲学やプラス発想は、あなたをどこへも導いてはくれないことに。

本書が語りかけるのは、そういったものとは全く違う内容である。
ひとことでいえば、
「あなたはありのままでよい。そのままで完全である」
ということである。
世の中に出回っている偉人伝や成功物語など読む必要もないし、
したくもない勉強や努力もする必要はない。
何もしなくて良いのである。
なぜなら、あなたは、ありのままで完全な存在だからである。

多くの人はこういうと反発や躊躇を覚えるのではないだろうか。
自分は頭も悪いし、特別な才能があるわけでもない。
魅力もあるとは思えない――
殆どの人は自分は欠点だらけの人間だと訴えることだろう。
しかし、私はこういいたい。
「マイナスがあるからこそ、あなたは完全なのだ」
欠点や弱点は人間にとって必要なものである。
弱点がなければ、人は人として成長することができないのだ。

人生にポジティブばかりを求める人は、
ポジティブの陰には必ずネガティブがあり、
コインの裏表のように、
両者は離れがたい一体のものだということに気づいていない。
真実は、ポジティブやネガティブのどちらか一方にあるのではなく、
その真ん中にあるものである』


imagesCA2Q0YEG.jpg

引き続き、著書の内容の中から関連記事を紹介する↓

人間は生まれつき完全な存在である

『脳よりも上位にある中心感覚、
その優れた機能は人間の「完全性」の顕れでもある。
人間は生存に必要なものは全て備え持って生まれてくる。
つまり人間はあらかじめ「完全に設計された存在」なのである。
未熟な赤ん坊として生まれ、成長して成熟した大人になる。
体のサイズや精神の面ではそうした直線的なプロセスを辿るが、
身体機能は何の手を加える必要もない完全形として生まれる。

ただし、人間は完全に作られてはいても、完成された存在ではない。
プラモデルのように、部品は1つの欠落もなく完璧に揃っているが、
まだ組み立てられていない状態。
それが生まれたばかりの人間の姿である。
それを組み立てていく過程が人生であり、
その設計図となるのが中心感覚である。
つまり設計図もまた私たちの中に内在しているのである。

人間は100%完全な機能を持った存在。
完成に向けて、人生を生きていく生き物である。
すべての物事はそこからスタートしなければならない。
人間は完全に生まれついていると考えるのと、
不安な存在だと考えるのとでは、
その後の生き方や結果に雲泥の差が出てくるからである。

たとえば病気をマイナス状態としか考えず、
どうせ治りっこないとふてくされている人と、
病気もまた人生の一部、やがて必ず治ると前向きな人。
早く治るのは間違いなく間違いなく後者である。
「咲いた花は枯れるものである。
枯れない花をもって完全とするなら、
造花だけが完全になってしまう。
花は枯れることまで含めて完全なのである。
枯れるからこそ完全なのである」
そう思える人は枯れ落ちていく花を見て、
一時的に涙を流すことはあっても、
それに囚われることなく、これからの人生を歩んで行ける。
私たちはそんな“完全思考”をするべきなのである。

医療を始めとして教育、政治に至るまで、
現代社会のあらゆるものが、
「人間は不完全な存在だから、教育し管理しなければならない」
という発想のもとに営まれてきた。
そのために中心に据えられるべき人間を蔑ろにした、
不自由な社会が出来上がってしまったのである。
人間は完全であると認識すれば、
今まで「常識」とされていた枠から自由になれる。
それがやがて人生を成功や完成に導く。
それを「人間はどうせ不完全なのだから……」
と否定的に捉えていたのでは、
悲観論や無気力主義に陥りやすく、
もともと備わっている機能を停止させてしまうだろう』


karum.jpg

最後にもう一発、続きの話を転載しておきたい↓

楽して成功すればいちばんよい

人間はもともと完全であるから、本来、不足というものもない。
したがって不足や欠落を補おうとする努力や修行も、
人間にはそもそも不要なのである。
「人間が完全であるわけがない。不足や欠点だらけじゃないか」
相反論する人も多いだろう。

不完全な生き物だからこそ、人間は完全を目指して
常に努力や進歩を重ねていかなくてはならない――
これももっともらしい考え方だが、
私は努力というものを世に言われているほど買わない。
むしろ、努力なしで簡単に成功するのが正しいと思っている。
なぜなら努力なしで成功するということは、
そのやり方が最も理に適っているということだからだ。

艱難辛苦の汗の果てにとった80点と、努力なしで得た100点。
世間は前者を評価するが、私は迷いなく後者に軍配を上げる。
前者は必死で中心に近づこうとしているが、
後者は出発点が中心だからである。

目の前にまっすぐ平坦で目的地に着ける道があるなら、
わざわざ山道に行くことではないではないか。
そのまっすぐ一直線に真実に辿り着ける中心感覚という
天性の完全さを、私たちは自ずと有している。
それに従わないのは宝の持ち腐れであり、
ムダな回り道をするだけでなく、
誤った道に迷い込むことにもなってしまう。

同様に、苦労を重ねて成功を築き上げた人の話を
ありがたく聴いたり読んだりすることも役には立たない。
その人には苦労が必要だったかもしれないが、
あなたには必要ないからである。
他人の人生を参考にしなくても、
あなたはそのままで完全な存在なのである。

木彫りの木像をつくる。
頭の中に完成形をイメージしてノミをふるい、
木を彫り、削って仏像をつくりだす。
私たちはそのように仏像をゼロから「こしらえる」
と疑いもなく考えている。
だが、本当はそうではない。
仏像は最初から気の中に100%の形で存在しているのだ。

だから私たちのすべきことは、
余計な部分や遮蔽物を取り除いて、
その完全形を顕してやることにほかならない。
仏像をつくるのではなく、
もともとそこにあるものを取り出してやるのだ。

人間の完全さとはこの仏像のようなものである。
私たちのすべきことは完全性を身につけようとするのではなく、
もともと備わっている完全性を現出させることだ。
もし努力するなら、
その方向は私たちの内部へ向かわなくてはならない。
不足を補おうとするな、欠点を是正するな。
「よりよくしよう」とするな。
それよりあらかじめ備わっている「よいもの」
「完全なもの」を取り出す方向に努力はされるべきである。


木の仏像と言うと政木氏の超常現象を思い出す。
CAP67CDS.jpg

「なること」を目指すということは、
「今ある自分が完全な姿である」
ということを否定していることになる。

私はよく「現状肯定」と言っているが、
それは外側の状態だけではなく、
自分そのもに対しても言えることなのだ。

地球上では戦争などが起きていても、
それも含めて宇宙は完璧な姿である。

その宇宙が自分の投影であると同時に、
自分は宇宙そのもであるが故に、
自分は完全な存在であり、
それを認識することが意識進化の出発点なのだ。

バシャールも、今の自分の完全性を認める事を説いている。

『大切なのは、自分の意識を過去や未来に投影するのをやめて
「いま」「ここ」に持ってくることです。
いまを生きる、ということが鍵となります。
そして、いまを生きるための鍵は「完全な信頼」です。
なにを信頼するか、宇宙を信頼し、そして、自分を信頼します。
自分自身が完全な存在だということを自分で知ることによって、
別の完全な存在を引きつけることができるということです。

その相手が自分にとって必要だと思うとき、
一所懸命「自分自身は完全ではない」と言っていることになります。
この物質世界は、皆さんが信じている観念によってできている
と言いましたが、自分が完全ではないと思っているとき、
やはり自分は完全ではないと思っている人を引き付けます』


自分の~1.JPG

だからと言って、「そのままでいい」という意味ではない。

「神は弥栄ぞ。これでよいと申すことないのであるぞ。
大完成から超大大完成に向って 常に弥栄してゐるのであるぞよ。
宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびから
よろこびに向って呼吸してゐるのぞ。
よろこびによって創られてよろこんでゐるのであるぞ 」

(日月神示)

「今ある自分が完全」……その受け取り方次第で、
進化と堕落のベクトルが決定してしまうことになるのである。

「真の自己変革」の意味
http://kemono666.seesaa.net/article/242594828.html
「今のままでいい」理由
http://kemono666.seesaa.net/article/242751748.html
今のままでよくない理由
http://kemono666.seesaa.net/article/242991609.html
大完成から超大大完成に向って・・・・
http://kemono666.seesaa.net/article/243192603.html
汝、ダルマ落としで昇天せよ!
http://kemono666.seesaa.net/article/298617823.html

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
posted by ZERO at 06:42| Comment(2) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ドアはなかなか開かないですね?本当は開けたくないのかも知れません?大事な場所だから守ってしまうのかも知れません?ドアが空くのはよっぽど貴重な経験だと思います?ドアは自分の心かも知れません?経験した事がないから分からないですけど(´д`|||)今日病院で体重と身長図りましたら身長が164でした?嬉しいけど、そんなにないと思います?機械壊れてるのではないでしょうか?私小さいですよ?本当は大きいんですかね?
Posted by ルキュエル at 2013年09月20日 19:00
ルキュエルさん、こんにちは。

ドアの正体は近々明らかになります^^
「心」は非常に惜しいです^^;
惜しいけど全く正反対でもあります。
さて、答えは分かったでしょうか?
身長はブーツを脱いで測りましたか?(笑)
Posted by ZERO at 2013年09月21日 01:34
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]