2013年09月28日

汝、自分の為だけに生きるべし!

前回の記事に出てきた話をもう少し解説しておきたい。

もりけん氏とハイヤーセルフの会話で、次のようにあった↓

「そういう意味では私も貢献しているんだろうか?」

「もちろんです。大変よくやっています」

「ありがとう。でも僕は僕のためにやっているんですが」

「知っています。そう思うことは大切です」


つあり、何事も「自分の為」と思うことである。

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福沢諭吉も「情けは人の為ならず」と言ったが、
私の祖母も「誰の為でもない、自分の為だ」とよく言っていた。

私が小学生の時に通っていた日蓮宗の寺の和尚が、
寄進を受け取る時にこう言っていた。

「してあげるのではなく、させて頂くという気持ちが大切なんですよ」

坊さんが言う立場ではないと思うが、
言っていることは間違ってはいない。

私から言えば「させて頂く」というのも自他分離意識(自我)だが、
要するに他者が自分の投影である以上、一切は「自分の為」なのだ。

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どうでもいい話だが、思い出したことがあるのでついでに書いておくが、
私は小学校5年生くらいまで基本的に小遣いを貰っていなかった。
たまに100円を貰って駄菓子屋に行く程度だった。

小学校3年の時、その寺で祖母に会って千円を貰った。
私にとって千円は大金だったが、善行という意識もなく、
その千円札を何の躊躇いもなく賽銭箱に入れたことがあった。

その時は「自分の為」という意識もなく「誰の為」という意識もなく、
呼吸をするのと同じように普通の行いだった。
もちろん後悔もしなかったが、今は後悔している(←冗談!笑)

「自分の為」と言っても、自己満足で得意な気になったり、
人から評価される為だったり、利己的・打算的であると、
スウェデンボルグが「悪霊中の悪霊」と呼ぶ「セイレン」と同じだ。

また、カルマの法則に基づいて、
見返りを期待しての善行や奉仕も程度の低いものである。

陰徳についても以前詳述したが、
「人に言わずに陰で善行をすれば徳積みになる」
という意識を持つと、悪い意味での「自分の為」になってしまい、
もりけん氏も、
「善行をしたと意識した瞬間にエゴが発生する」と言っている。

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私が言う「自分の為(真の意味での人の魂)」というのは、
他者を「自分自身」と認識して接することである。

だから私は、自分の自我に接するのと同じように、
他者の自我にも接するので、不愉快に思われることもあるが、
それは自他一体感に基づく慈悲心に他ならない。

また、自我にも種類があって対処法も様々なので、
人によって、あるいは場合によって、
厳しかったり優しかったり無視したり、対応が変わるのは当然で、
あくまでも、私の他者への対応は自分に対する接し方と同じである。

内海氏も「他者とは自分自身である」と説いているが、
他者を自分として認識することは、悪い言い方をすれば
「人を人とも思っていない」ということになる(笑)

真我の自分から観ると、人間の自分の事もある意味で他人事でもある。
だが、他者事は自分事であり、これをうまく表現することは難しいが、
自分がヒロインとして出演している映画を見ているようなものであり、
この世界の自分や他人というのは自分が見ている映像に過ぎないのだ。

内外反転の世界観を持っている私にとっては、
他者との対話は自問自答として捉えており、
自分(他者)の自我を消滅させる為であったり、
自分(他者)の真我を確認する為であったり、
その時々によって様々なケースがあるのだが……

これは簡単には説明できないことであり、
理解してもらうことも難しいと思うので割愛するが、
五感知覚で認識することは全て内観そのものなのだ。

人類の心を破壊する奉仕
http://new-mu.seesaa.net/article/366856665.html

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生長の家では次のように説かれている↓

「真理を知らされたという事は、それを他の人々に伝える為に
知らされたのだということを知らなければならない。
人類の先ず目覚めなければならないことは、
個々人として孤立した存在ではないということである。
われわれは、自他一体の存在であるから、
この世の中に一人でも不幸な人が存在するかぎり、
真に自分は幸福になることは出来ないのである」


真理を伝えることを「菩薩行」というが、
それこそが究極の奉仕だと言えるが、
「この世の中に一人でも不幸な人が存在するかぎり、
真に自分は幸福になることは出来ない」という事について、
パラマハンサ・ヨガナンダも同じように述べている↓

「人は、霊的に成長して、自分がすべての生き物と
互いに兄弟の関係にあることを悟るようになると、
他のものの苦しみをいっしょに負担する責任が生じてきます」


これは他者と同じ苦しみを共有するということではなく、
苦しんでいる人類(自分の投影)を観ることに胸が傷むのだ。
「私は苦しんでいない」という人もいるが、無明(迷い)の
世界に生きている限りは四苦(生老病死)から解放されない。

「責任」ということに関しては、
自分の世界の他者は自分の投影なので責任を取る。
即ち、その投影の原因である潜在意識を言霊で浄化することだ。

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ホワイト・イーグルは次のように語っているが、
私も全く同じ気持ちである↓

「波長を人に合わせさえすればその心が読めます。
悩みも苦しみも手に取るように分かります。
しかしながら、我らは皆さんにこう告げたい。
皆さんの内部には肉体を支配する生命があります。
努力さえすれば、その生命が発現できるのです。
その道を伝える為に我らは来ました」

「我々は人々を肉体のくびきから解き放ち、
生命の輝きの中に出させてあげたい。
だが誤ってはいけません。
肉体を健康にしておかなければならなりません。
肉体は敬意と配慮を持って取り扱わなければなりません。
肉体は内在の神性の乗り物なのです」

「地上の事は全て幻影です」


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人間界や自分という人間が投影であることが分かれば、
一切の悩みや苦しみから解放されるが、
潜在意識を浄化して一切の悩みや苦しみを解放しなければ、
人間界や自分という人間が投影であることが認識できない。

人間界が投影であることを認識できないことを「無明」といい、
それは真我(魂)が眠っていて内外が反転していないからで、
その為に私は「投影」の説明と「内観」を説き続けているのだ。

だが、それはこの「結果の世界」での話であり、
私は「原因の世界」で既に世界征服(人類救済)をしている。

それは「原因の世界」である実在領域(5次元)の意識、
即ち真我に目覚め、不幸や苦悩が無明による幻に過ぎない
という真理を悟ったという意味で、
釈迦が「一切衆生を済度した」と言ったのも同じである。

『霊止乃道』と人間の幸福
http://messiah666.seesaa.net/article/233946317.html
反キリストの「幸福論」と「超念力」
http://messiah666.seesaa.net/article/233983519.html

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ヨガナンダは次のようにも説いている。

「人間は神から自由意志を与えられましたが、それを誤用しています。
それがあらゆる苦悩の原因です。
世界の諸問題の根源は、この無知から生れた利己心です」


自由意志というのは要するに「自我」のことであり、
その誤用が苦悩の原因というよりも、それ以前に、
この世を現実と錯覚し、肉体と心を「自分」と誤認し、
自他を分離した自我の世界認識こそが苦悩の原因なのだ。

それについては先ほど解説したが、
ヨガナンダも同様のことを説いている↓

「神を知れば、悲しみも悩みもなくなります。
神を知るということは森羅万象と一体化することですから、
自他も生死もないまったき平安な境地のようです」

「人生の経験はすべて夢の一部にすぎません」


「自分の意識を霊的に高めることが世の中に
どれほど大きな貢献をもたらすか、その力を侮ってはなりません。
あなたはそれによって大きな役割を果たすことができるのです」


『日月神示』にも同様のことが示されている↓

「早う神の申すこと、よくきいて
生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ。
一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ」


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ヨガナンダはこのようにも言っている↓

「あなたがたは今、束縛された状態にありますが、
毎日の深い瞑想によって自分の意識を
有限から無限に転換することができるようになれば自由になれます。
あなた方が生れてきたのは、肉体の囚人になるためではありません」


私の解釈では、肉体の囚人というのは、
魂が肉体に閉じ込められて眠っている状態である。
天の岩戸(心の扉)を開いて魂(真我)が目覚めると、
肉体から解放されて自由になるのである。

魂としての私は自由を獲得しているが、
人間の私は金銭と時間に縛られていて、
自由自在性を発揮できない状態にあるが、
これは「心解脱」という状態らしい。

「心解脱 - 精神的には既に解脱していても、
肉体的にはどうにもならない束縛を持っている場合をいう。
例えば釈尊の成道後の伝道生活の如きである」

(wikipedia)

いずれにしても、「必然・必要・ベスト」で「万事好都合」であり、
「今は今で完全な状態」であることを認識して感謝ることが大切で、
釈迦も同じようなことを説いている↓

「自分にとって全てが最善である。
汝がその家に生まれたのは、それが最善だからだ。
汝がその人と結婚したのは、それが最善だからだ。
汝がその仕事をしているのは、それが最善だからだ。
汝が今死にそうなら、それが最善だからだ」


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自分が生きているこの世界は自分の投影である。
換言すれば、眠っている魂が見てる夢である。

即ち、自分の世界を作ったのは自分であり、
人生は「自分の為」だけに存在するのである。

それ故に、「人類=自分」であり、
究極の奉仕が「人生の大目的」なのだが、
その為には先ず以下の決意が重要なことである↓

『上級イニシエーションは、人生の大きな転機の中で、
「自分を捨てて地球(宇宙)進化のために全面的に献身する」
という決断から始まります。
人はこの決断をするならば、一つの人生の中で
幾段階ものイニシエーションの階段が上れると教えています。
すなわち、一生涯で釈迦やイエス・キリストに近いところまで
上れるのだと断言してくれているのです』


ホワイトイーグルが教える「光の奉仕者への道」
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/188513814.html

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posted by ZERO at 13:02| Comment(0) | 青森白木上神示 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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