2013年09月30日

宗教破壊と悪魔崇拝とスピリチュアリズムの原点

私は宗教やスピリチュアル的な記事を書いているが、
宗教やスピリチュアリズムを批判している者である。

矛盾しているように思うかも知れないが、
世の中に蔓延っている宗教やスピリチュアリズムの多くが、
真理を歪めたまがい物だからである。

私が否定するのは新興宗教や、単なる低級霊媒体質者や
妄想家である自称霊能者やチャネラーが説く、
独善的な思想や間違った真理の解釈、迷信である。

また、信仰形態にも大きな問題があり、
中心感覚から遠ざかり、真我覚醒を妨げるものとなっており、
マルクスが喝破した通り「宗教は阿片」であり、
スピリチュアルや精神世界も宗教と同じようなものである。

また、他者救済の本質は自己救済であり、
究極の奉仕である菩薩行を商売にすることは、
百歩譲っても感心することはできないし、
成功や幸福などの御利益を売り物にするのは尚更だ。

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戦争の本質も「宗教戦争」であり、
それも「ミロクの世」に至る歴史的必然とはいえ、
真の意味で肯定するわけにはいかない。

宗教とは読んで字の如く「宇宙を示す教え」で、
宇宙学と言っても良い。
その意味では、私は真の宗教家だと言えるかも知れない。

真の宗教家だから宗教を否定しているのであり、
決して釈迦やイエスの教えを否定しているのではない。

同様に、スピリチュアリズムの原点を見れば、
「イエス・キリスト霊団」からのメッセージだとされている。

私は直感的にそれは事実であろうと思っているが、
だとしたら、「イエス・キリストの黙示」とも呼ばれている
謎に満ちた「ヨハネの黙示録」の解説をしてもらいたい(笑)

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釈迦を批判するキリスト教徒がいれば、
イエスを批判する仏教徒もいる。

4年前、ホスクラでバイトをしていた時、
キャッチ中にMcでサボっていると、
隣の席で、ある仏教徒が宗教の勧誘をしていて、
キリスト教徒らしい相手に対してこのように言っていた。

「キリスト教なんて、死刑になった罪人が作った宗教ですよ!
人生経験も少ない30歳やそこらで真理を説けるわけがないでしょ」


確かに、キリスト教を基盤とする西洋文明圏が、
世界を滅亡に導いていることは事実であり、
キリスト教の教義そのものが人類の意識進化を妨げている。

だが、イエスは東洋人だし、
イエスがキリスト教を開いたわけではない。
また、釈迦も35歳で悟りを開いているし、
人生経験が真我覚醒を妨げていることも多い。

もちろん、人間は経験をする為に生まれてきたのであり、
好奇心も未知なる体験を求める欲求ではあるが、
経験によって価値観や固定観念を作るのが良くないのだ。
もちろん、内観によって経験を「理解」すれば話は別である。

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もりけん氏もこう言っている↓

「私たちが生まれてから今までの間にやってきたことは、
まさに可能性を狭めることでした。
小学校、中学校、高校といくに従って、
自分自身を枠の中にどんどん追い込んできました。
経験こそすべてだと思ってきました。
自分を成長させるために努力してきました。
しかそれは自由とは逆行するものだったのです。
しかし生まれた時には360度の可能性がありました。
常識という枠に囚われ、経験という枠に囚われ、
どんどん狭めていったのです。
自由になることが成長だとすれば、何と私は逆をやってきたのです」


『絶対変革』(ネオデジタル内観)より↓

体験や観念から築き上げたものの中に「真の気づき」はない
http://world888.seesaa.net/article/145615631.html
頭脳の中、記憶の中に真理はないと思えるか
http://world888.seesaa.net/article/162889407.html

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しかし、「罪人が作った宗教」というのには苦笑した。
イエスはユダヤ教パリサイ派を批判して処刑されたが、
法律などというものは時の為政者によって作られるものに過ぎない。

それを言うなら、釈迦もバラモン教を批判しているし、
当時の法律次第では、釈迦も罪人として処刑されていたかも知れない。

ちなみに、彼らの「批判」というのは、
自我による自己主張で他を誹謗中傷したのではなく、
真理から外れた律法や制度を指摘したのである。

批判や中傷をする心があるか
http://world888.seesaa.net/article/163068287.html

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また、イエスが罪人として処刑されたにしても、
死後復活した上に昇天(アセンション)しているのである。
更に、釈迦とイエスが説いていることは本質的に同じである。

釈迦とイエスは生まれた時代と場所が違うだけで、
火星・木星・土星のトリプル・コンジャンクションの時に生まれ、
この3惑星の配置の影響力によって同じような人生を歩んだ
ソウルメイト(ツインソウルと言って良い)なのである。

いずれにせよ、宗教もスピリチュアリズムもその本質から脱線し、
私はその改革を訴えているのである。

私は「悪魔崇拝」を提唱しているが、
文字通りに解釈して私を危険人物のように思う人もいる(笑)

私がここで「悪魔」と呼んでいるのは、
キリスト教で「サタン」と呼ばれてきた「ルシファー」、
即ち、日本神界の正神である「艮の金神」=「国常立尊≒スサノオ」
のことで、イエスがいう「天の父」のことであり、
「ナイトルシファー」や「神仙組2」に詳述していることである。

それはそうと、スピリチュアリズム普及会の
「霊性進化の道−スピリチュアリズム」というサイトを見つけ、
前回の記事に関連する内容で紹介したいページがあったので、
以下に転載しておきたいと思う↓

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シルバーバーチの一言の祈り

シルバーバーチの霊訓の中に、次のような特別に格調高い一節があります。

「祈りの言葉はたった一言しかありません。
「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。
「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」
この願いより崇高なもの、これ以上の愛、
これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。」


これは言うまでもなく、
霊的真理を知った私達に向けて語りかけられた言葉です。
「自分を、神と人類のために役立たせてください」という祈りの中に、
スピリチュアリストとして持つべき最も深い願いが込められています。
スピリチュアリストとしての神に対する最高の姿勢が示されています。

なかなか祈りができないときには、
シルバーバーチが示してくれたように――
「どうか、自分を人々のために役立たせてください。
その方法を教えてください」と祈ることにしましょう。
このシンプルで最も深い一言の祈りを、
これからの人生で、繰り返し繰り返し口にしていきたいものです。

さてシルバーバーチは、神と人類に自分の人生を捧げることは、
私達がなし得る最高の愛の実践であり、
最高の宗教的生き方であると述べています。
「神と人類のために一身を捧げたい」との願いの中に、
利他愛のすべてが集約されています。
利他愛の最も純粋な形が示されています。

皆さんが、シルバーバーチを手本として
より高い生き方を目指そうと思われるなら、自分の人生を、
神と人類のために捧げようとしなければなりません。
スピリチュアリズムの教えを忠実に実践しようとするなら、
自分の一生を、神と人類のために捧げなければならないのです。

ところで皆さんが、もしシルバーバーチから直接――
「あなたの人生を神と人類のために捧げてください」
と言われたなら、どのように思われるでしょうか。
おそらくそのとき皆さんは、この祈りの持つ深刻で
重い内容を身に染みて感じることになるでしょう。

なぜなら自分の人生を捧げるということは、状況によっては、
自分の人生・将来・家族を犠牲にすることになるからです。
“一身を捧げる”という言葉をその通り実行するには、
たいへんな犠牲がともなうことを覚悟する必要があるからです。

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スピリチュアリストにとっての、一身を捧げる行為とは

イエスを中心に高級霊界あげて展開しているスピリチュアリズムは、
人類に最高の救いをもたらす大プロジェクトです。
そしてこの「人類史上最大の救済活動」に直接呼応できる地上人は、
私達スピリチュアリストをおいて他にはいません。
スピリチュアリズムに貢献することは、
マザーテレサやガンジーといった聖人でさえもできなかった
“最高の奉仕”に携わることなのです。

歴史上のいかなる聖人も、今の私達のように「霊界の真実」と
「霊的救い」を人々に示すことはできませんでした。
マザーテレサは、キリスト教レベルでの最高の実践の域・
最高の利他愛の域に到達しました。
それゆえ彼女は今、霊界で高級霊として
スピリチュアリズムの普及に携わるようになっています。
しかし、そのマザーテレサも地上時代には、私達のように、
本当の救いを人々に示すことはできなかったのです。

スピリチュアリズムが人類にもたらそうとしている救いは、
キリスト教をはじめとする他の宗教の救いとは次元が違います。
これまでの宗教では、
地上人に最終的な救いの道を示すことができなかったために、
霊界の高級霊達によって“スピリチュアリズム”という
霊界あげての大プロジェクトが興されたのです。

こうしたスピリチュアリズム成立の原点を忘れてはなりません。
その視点を見失うと、スピリチュアリズムと他の宗教や
思想との立場の違いが分からなくなってしまいます。
スピリチュアリズムもキリスト教も
同じというようなことになってしまうのです。

シルバーバーチが述べている「神と人類のために一身を捧げる」
という内容は、具体的には、スピリチュアリズムという
最高の救いを人々に伝えることに他なりません。
言い換えれば、シルバーバーチは――
「スピリチュアリストであるあなた方の人生を、
スピリチュアリズム普及のために捧げてください。
私達霊界の者達と同じように、スピリチュアリズムのために
すべてを捧げてください」と言っているのです。
スピリチュアリズムの普及に人生を捧げることによって、
最高の利他的生き方・
最高の宗教的生き方をしてくださいと訴えかけているのです。

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自分のことを忘れて他人のために

先ほどの一言の祈りの言葉のすぐ後で、
シルバーバーチは、次のように言っています――

「自分のことより他人のためを優先し、
自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します。」


またシルバーバーチは、別のところで――

「あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出すとき、
あなた方を通して大霊が働くのです。
(中略)それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、
私は可能だと申し上げます。
それが人間としての正しい生き方だからです。」


今まで述べてきた「神と人類に一身を捧げる」
「人々のために自分を役立てる」という内容を、
ここでは別の言い方で説明しています。
シルバーバーチは、「自分のことより他人を優先して」
「自分のことを忘れて、他人のために精を出す」と述べています。
すなわちスピリチュアリズム普及のために、
「自分のことを忘れて打ち込んでください」と言っているのです。
「滅私奉公的な姿勢で取り組んでください」と言っているのです。

ここには奉仕を実践する上での厳しい基準が示されています。
自分や自分の家族だけの幸せを先に考えてはならない、
自分の利益・家族の利益を優先して求めてはならないと言っているのです。
何と厳しい教えでしょうか。

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“滅私奉公”は最も賢い生き方

他人への奉仕のために、自分や家族を後回しにするようなことは、
この世がすべてだと思っている人には絶対にできないことです。
しかし私達スピリチュアリストは、一般の人々とは違っています。
霊的真理を通じて、死後にも人生が続くこと、本当の人生は霊界であり、
地上はそのための一時的な訓練場所であることを学んでいます。
霊界こそ本来の世界であることを知っています。

自分の物質的利益を後回しにして、時には犠牲にして、
人々のために歩むことは神の願い・利他愛を実行することです。
より多くの人々の幸せのために自分を犠牲にするところに、
マイナスの結果が生じることは決してありません。
それどころかいっそう大きな霊的恵みと喜びが、
神と宇宙から返ってくるようになるのです。
実際に思い切って実行すると、その通りの結果になるのです。

自分を忘れてスピリチュアリズムのために貢献することは、
最も賢い生き方であり、最も多くの愛を神から
受ける方法であることを実感するようになります。

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シルバーバーチの喝(かつ)!

スピリチュアリストである私達にとっての最終的な問題は、
「スピリチュアリズムへの貢献を本当に滅私的に実行しようとするのか」
「自分の利益追求を思い切って後回しにしようとするのか」
ということだけなのです。そしてそれこそが、
一般の人々と私達スピリチュアリストを区別する分岐点になります。

シルバーバーチは、地上人が自己の利益を犠牲にし、
滅私奉公的な利他愛の実践をすることが、
いかに難しいかをよく知っています。
さらにはスピリチュアリストの内部にも、
自己犠牲的な生き方を狂信と間違う人間がいることを知っています。
「そんなことはできない、無理です」
と言うスピリチュアリストがいることを予想しています。
そのためシルバーバーチは機先を制して――
「それは無理ではない、絶対にできる」とカツを入れているのです。

皆さんは、シルバーバーチの気迫に満ちたこの言葉を、
どのように考えるでしょうか。
シルバーバーチを気違いじみていると思われるでしょうか。
一方的で強引で、狂信を強いるのには、
とてもついていけないと思われるでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓』を読むのはやめようと思われるでしょうか。

もし私達がそのように考えるとするなら、
スピリチュアリストとしては失格です。
シルバーバーチの霊訓を人生の指針にしたいと願う者としては失格です。
私達がそんないい加減な姿勢しかとれないとするなら、
シルバーバーチの霊訓は読まない方がいいということになります。

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自分を犠牲にする覚悟

シルバーバーチの教えは、
私達地上人にとっては、本当に厳しい内容ばかりです。
その厳しさを前にして、ついたじろいでしまいそうになります。
自分を後回しにするという滅私奉公的な生き方には、
必然的に“自己犠牲”がともなうことになります。
自己犠牲のない利他愛など存在しないからです。

自分がこれまで行ってきた奉仕が本物かどうか、
真実の利他愛になっていたかどうかは、
どれだけ自己犠牲を払ってきたかによって明らかになります。
自己犠牲が多ければ多いほど、その行為は霊的価値を持つことになります。

シルバーバーチは――

「自分を犠牲にする覚悟のできていない人間に、いい仕事はできません」

と、ずばり利他愛の本質を突いた言葉を述べています。
シルバーバーチの教えに忠実であろうとすることは、
スピリチュアリズムの普及のために自己犠牲を払うということなのです。
自己犠牲を避けたスピリチュアリズムへの貢献はあり得ないのです。

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口先だけのシルバーバーチファンにならない

どれほどシルバーバーチは素晴らしいと称賛しても、
自分の人生をスピリチュアリズムのために捧げることなく、
一般の人と変わりない気ままな生き方をし、
自分の利益追求を優先しているならば、
口先だけのシルバーバーチファンということになってしまいます。
そうした人は霊界に行ってシルバーバーチと会ったとき、
シルバーバーチから、
「あなたと私は何も関係がない」と言われることになるでしょう。

シルバーバーチは度々――

「私に向かって主よ、主よという者が天国に入れるのではない。
天にまします父の意志を実践する者のみが入れるのである」


というイエスの聖句を引用して、クリスチャンを厳しく非難しています。
自分ではイエスに忠誠を尽くしていると思っているクリスチャンに対して、
イエスを欺(あざむ)き続けていると鋭く批判しています。
それはイエスとクリスチャンの間においてのみ言えることではありません。
シルバーバーチと私達の関係においても、そのまま当てはまることなのです。

私達はいつの間にか、口先だけで「シルバーバーチ、シルバーバーチ」
と言うようなスピリチュアリストになってはいなかったでしょうか。
スピリチュアリズムのために自分の利益をすべて犠牲にして働いている
高級霊達を欺いているようなことはなかったでしょうか。

『シルバーバーチの霊訓』は最高と言いながらその実、
シルバーバーチの必死の訴えかけを
無視するような生き方をしてはこなかったでしょうか。
シルバーバーチを利用して、自分の名声や世間受けを
求めるような愚かなことはしてこなかったでしょうか。

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今度こそ本物の決心をしましょう

私達はシルバーバーチと出会い、人生最高の真理を見い出しました。
シルバーバーチの言うことは間違いないと確信するようになりました。
そのシルバーバーチは、次のように語りかけています。

「わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。
自分の利得損失を忘れ、霊的なものをこの世的な打算に優先させ、
お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいのです。」


シルバーバーチは「スピリチュアリズム普及」のために、
自己の利益追求を捨て、自分の人生を捧げて欲しいと訴えています。
私達はそのシルバーバーチの願いに、
最大の誠意を持って応えていかなければなりません。
シルバーバーチの切々たる訴えに全力を傾けて応えていかなければなりません。

これまでの歩みがどうであれ、今この時、
スピリチュアリズムのために自分の人生を捧げる決意を新たにしましょう。
高級霊が必死であるように、
私達も「人類救済のプロジェクト」に全力で取り組むことにしましょう。

もし、そのことによって人々から気違い扱いされるようなことになっても、
それをむしろ誇りと思うことにしましょう。
スピリチュアリズムのために人生を捧げることで
人々から嫌われるようなことになるなら、それを喜ぶことにしましょう。

人類救済のために一身をなげうって働いたイエスは、
迫害され、虐(しいた)げられ、辱(はずかし)めを受け、
十字架にかけられて殺されました。
スピリチュアリズムの開拓時代、先輩達は迫害され、非難されてきました。
シルバーバーチをはじめ高級霊達は、例外なく“サタン視”されたのです。

私達が今かかわっているスピリチュアリズムは、
そうした歴史の上に立っています。世俗受けを狙い、
世間の評判や評価を求めるような次元の低いものではありません。
かつての純粋にして一途な先輩達や、
高級霊達の前に恥ずかしくないような歩みをしていきましょう。


スピリチュアリズム普及会
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/index.htm

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転載終了、ここから私の見解を述べていきたい↓

『祈りの言葉はたった一言しかありません。
「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。
「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」
この願いより崇高なもの、これ以上の愛、
これに勝る宗教、これより深い哲学はありません』


とのことだが、『日月神示』にも次のように示されている↓

「早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて
神の入れものになりて呉れよ」


神や人類の為に一身を捧げて役に立つ為には、
まず、神や人類を「自分」と捉えることであり、
身魂を磨いて生まれ赤子のような純粋さに努めながら、
「神の入れもの=ロボット」になることである。

つまり、自分の肉体や頭脳、心の所有権を神に返し、
次のように深く深く胸の奥で祈ることである↓

「我が魂の底の底なる神よ!我が身を御用に使い給え」

今までに何度か書いてきたが、私はそのように祈ってきた。
その為には、自我(自分の思考や感情)を捨てる必要がある。

自己放棄と新たな太陽系の創造
http://new-mu.seesaa.net/article/310590694.html

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『自分の人生を捧げるということは、状況によっては、
自分の人生・将来・家族を犠牲にすることになるからです。
“一身を捧げる”という言葉をその通り実行するには、
たいへんな犠牲がともなうことを覚悟する必要があるからです』


私は世界征服(地球救済)の為に命を捨てる覚悟をしているが、
「場合によっては家族も犠牲にならざるを得ない」
ということを書いたことがある。

私はシルバー・バーチの本を読んだことはあるが、
それによってスピリチュアルに傾倒はしなかった。
だが、私の人生はスピリチュアリズム通りに歩まされている。

「自己犠牲」という言葉が多用されているので、
抵抗を感じるかも知れないが、その真意は次のようなことだという↓

「スピリチュアリストであるあなた方の人生を、
スピリチュアリズム普及のために捧げてください」


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繰り返しになるが、シルバー・バーチの次の言葉を
繰り返し読んで肚に入れて頂きたいと思う↓

『自分のことより他人のためを優先し、
自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します』


『あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出すとき、
あなた方を通して大霊が働くのです。
それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、
私は可能だと申し上げます。
それが人間としての正しい生き方だからです』


『わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。
自分の利得損失を忘れ、霊的なものをこの世的な打算に優先させ、
お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいのです』


スピリチュアリズム普及会の以下の話も
本物を見る判断材料の1つになるだろう。

『自分を後回しにするという滅私奉公的な生き方には、
必然的に“自己犠牲”がともなうことになります。
自己犠牲のない利他愛など存在しないからです』


『スピリチュアリストである私達にとっての最終的な問題は、
「スピリチュアリズムへの貢献を本当に滅私的に実行しようとするのか」
「自分の利益追求を思い切って後回しにしようとするのか」
ということだけなのです。そしてそれこそが、
一般の人々と私達スピリチュアリストを区別する分岐点になります』


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「今度こそ本物の決心をしましょう」

とのことだが、私の経験から見ても、
それが真我覚醒を超加速させたと思われる。

過去に何度も繰り返し書いてきたことだが、
「明日、死ぬとしたら、何が一番大切か」
ということを毎日意識して生きることが大切である。

もちろん、最も大切なのは「命」だが、
人間はいずれ死ぬものであり、大切なのは肉体生命ではなく、
「霊」としての永遠の命こそが最も大切なものである。

死ぬまでの間に、その霊性をいかに高次元に上昇させるか、
それが最も大切なことである。

人間はいつ死ぬか分からない生き物だからこそ、
いつ死んでも悔いのないように常に死を意識することは、
飛躍的な意識の進化に繋がるのである。

内観を進めていけば、現世の肉体生命と引き換えにしてでも、
地球や人類の為に生きることが歓喜となるものである。

汝、自殺する勇気を持て!
http://messiah666.seesaa.net/article/194909729.html

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『「人類救済のプロジェクト」に全力で取り組むことにしましょう。
そのことによって人々から気違い扱いされるようなことになっても、
それをむしろ誇りと思うことにしましょう。
スピリチュアリズムのために人生を捧げることで
人々から嫌われるようなことになるなら、それを喜ぶことにしましょう』


とのことだが、『日月神示』にも次のように示されている。

「神の道に進むために罵られることは人民の喜びぞ」

私もカルト扱いや変人扱いや気違い扱いをされることがあるが、
人からどのように思われるかは基本的に気にしない性格なので、
罵られても笑われても何とも思わないといえば何とも思わないが、
馬鹿にされることは褒め言葉でもあるので嬉しく思う時もある。

そのように思えないという人も多いとは思うが、それは
「人類救済=自己犠牲=自己救済」の決心ができていないからだ。

また、悪く評価されて嫌な思いをするのは強い自我の顕れなので、
無我になる為の修行だと思って、その感情の原因である潜在意識を
謝罪と感謝の言葉で浄化することである。

獣の正体は「偉人」か「狂人」か「救世主」か……。
http://messiah666.seesaa.net/article/195035876.html

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人に罵られて喜ぶのはアホだと思うかもしれないが、
遺伝子研究の権威・村上和雄氏によると、
「アホは神の望み」だという。

汝、アホになってスイッチONで昇天せよ!
http://messiah666.seesaa.net/article/189675104.html
アホになって自己実現!
http://kemono666.seesaa.net/article/236699138.html

また、「汝、テロを起こして茨の道を進め!」の中で紹介した
「いばらの道」という曲に次のような歌詞がある↓

「雨に打たれても 風に流されても 誰に笑われても 何を言われても
たどり着けるか わからないけど 果てしなく続く いばらの道を…」




私の宗教破壊思想については、以下の記事を参照して頂きたい↓

反キリストの宗教破壊1
http://blogs.yahoo.co.jp/yhwh_lucifer/669699.html
反キリストの宗教破壊2
http://blogs.yahoo.co.jp/yhwh_lucifer/670374.html
破壊神「反キリスト」が宗教を斬る
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/173799799.html
宗教破壊による獣の世界支配計画(反キリ1)
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/161409116.html
宗教破壊による獣の世界支配計画(反キリ3)http://kemono666.seesaa.net/article/250753717.html
続・宗教破壊による獣の世界支配計画
http://kemono666.seesaa.net/article/250816853.html

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また、以下の記事は内観を始める前の基本でもある↓

宗教や精神世界に自分を求めるのは逃避にすぎない
http://world888.seesaa.net/article/145074108.html
宗教や思想にとらわれがないか
http://world888.seesaa.net/article/161812015.html
あらゆる教えは混乱の元だと思うか
http://world888.seesaa.net/article/161865211.html
宗教団体に入っているか、入っていればその理由は何か
http://world888.seesaa.net/article/161951330.html
とりあえず神や仏などと無縁になれるか
http://world888.seesaa.net/article/162722531.html

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posted by ZERO at 07:31| Comment(2) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして、スピ能力の大半を封印しているものです。

僕も歌舞伎町でホストをしたり、地元でピンサロの店長したりやっていました。

ヤハウェ由来の魂だと思って(もしかしたら勘違い)います。

だから、悪を愛おしく思ったり、哀れんだりすることがあります。

社会のためになるものを持っていますが、社会に怒りを感じているので提供していません。

今のところ他愛を極めるつもりも無いし、社会に貢献できると思っていません。

ただ、社会を愛してはいます。フィリアの愛みたいですが・・・
Posted by ななし at 2014年04月02日 19:06
ななしさん、初めまして。

ユニークなコメントありがとうございます。

社会のためになるものとはどのようなものですか?

社会に怒りを感じているので提供していません……って^^;

社会のためになることは、マクロでもミクロでも自分のために直結しませんか?

スピ能力の大半を是非とも開封して下さいよ^^
Posted by ZERO at 2014年04月16日 23:59
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