2013年09月30日

魂の所在地と「自体一体」の認識

「自分の為だけ」に生きるというのは、自己放棄をして
無我の境地で「人の為だけ」に生きるという意味である。

これは難しいことのように思うかも知れないが、
魂(真我)が覚醒すると「自他一体」を感じるようになり、
意識せずに自然の行いとなるものである。

そうすると、人の為の一切の行いが「自分の為」に繋がり、
また、個人的に「自分の為」にやったことも
「人の為」に繋がったりすることが多くなってくる。

人間界での「自他一体」は、般若心経が説く「色即是空」、
つまり「物質=空間」ということから理解できる。

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実際に認識は不可能でも、非物質である空間には
物質の構成材料である素粒子が充満している。

更に、素粒子を分解すればエネルギーに還元されることから、
宇宙はエネルギーの海のようなもので、
万物はエネルギーから誕生していることがわかる。

人類も地球も同じエネルギーによって創造され、
全宇宙の万物に同じエネルギーが浸透していることがわかる。

そのエネルギーは「宇宙エネルギー」としか呼べないが、
「生命エネルギー」や「宇宙意識」と呼んでも差し支えないだろう。

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それが、人間界に於ける自我(頭脳)での「自他一体」の理解だが、
残念ながら自我で「自他一体」を認識することはできない。

私が言っている「自他一体」の認識はまた別ものである。
魂(真我)が覚醒してくると、この3次元の世界が
「夢」のようなものであることが分かってくる。

3次元を「投影」として見ている以上、
それは内側の自分そのもの(自他一体)ということになり、
魂(真我)の次元で「自他一体」を認識するようになってくるのだ。
それは、魂が肉体の外に広がっている感覚があるからだと思われる。

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私の定義で「解脱」とは「輪廻の解脱」だが、
もう1つの意味を加えると「魂の解脱」である。

輪廻の解脱とは「4次元からの解脱」で、
魂の解脱とは「肉体からの解脱」である。

5次元の入口である「天の岩戸(心の扉)」が開くと、
肉体の中で眠っていた魂(真我)が覚醒し、
輪廻を解脱して肉体の囚われからも解放されるということである。

仏教的に言うと、これがおそらく「心解脱」と呼ばれるもので、
更に進んで「体解脱」をすると、
アセンション(肉体の削除)が起こるのかも知れない。

私の考えでは、本質的には人間の魂は肉体に宿っていない。
オコツトやバシャールなども同じことを説いている。

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だが、魂が覚醒していない人間型ゲシュタルトが強い間は、
「魂は肉体に宿っている」という強い観念を潜在的に持っている為、
そのような錯覚に陥ってしまっているのだろう。

しかし、「内外一致」の原理からすると、
肉体に魂が宿っているという見方も間違いではない。

では、魂が肉体のどこに宿っているかというと
それは「心臓」ということになるが、
全身の細胞に及んでいるとも言えるだろう。

「宇宙=肉体」「太陽=心臓」と考えれば分かると思う。

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それでは、「霊と魂」について、
『シルバー・バーチは語る』を紹介したい↓

――人間の物的身体をコントロールしている魂は
どこに位置しているのでしょうか。

「どこそこにということは言えません。
これが魂ですと言える性質のものではないのです。
科学者は肉体を解剖すれば発見できるはずだとか、
静脈を通って流れているに違いないとか、
どこかの臓器から分泌されているのだろうなどと考えているようですが、
魂は肉体のどこそこにあると言える性質のものではありません」

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――でも肉体の内部にあることは間違いないでしょう?

「魂は内部にあるとか外部にあるとか言える性質のものではありません。
空間的な“場”をもつものではないのです。魂とは意識のことです。
身体という“もの”に制約されるものではありません。
無限の広がりをもつと同時に、進化の極地にまで存在するものです。
霊的身体で遠隔の地にまで至る時、意識はどこにあるのでしょう? 
そう言うとあなた方は地上の距離感覚で想像なさることでしょうが、
私たちにはそういう面倒がありません。魂に空間はありません。
私たちの意識(魂)は意思のおもむくままに、どこででも機能します」

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――「魂」(ソウル)と「霊」(スピリット)はどう違うのでしょうか。

「私自身はどう呼ぶかはこだわりません。
地上の字引は私がこしらえたわけではありません。
私のいうソウルとは内部に潜在する大霊のことです。
スピリットとはそれが顕現するための媒体です。
が、用語は使う人によって別の意味に使われるものです」

――“顕現の媒体”という表現はさておいて、霊の本質は何なのでしょうか。

「大霊、あなた方のいうゴッドの一部で、
次々と身体(媒体)を替えながら、無限の向上を続けて行く存在です。
それは媒体を通して顕現して初めて存在が知れるもので、
顕現しない状態の霊について叙述することは不可能です」


2012年12月24日の私の魂
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以下の記事も参照して頂きたい↓

汝の肉体には魂が宿っていない!
http://kemono666.seesaa.net/article/261525884.html
汝の心臓は魂の中継地点である!
http://kemono666.seesaa.net/article/262114892.html
私の肉体には魂が宿っていない
http://new-mu.seesaa.net/article/363189801.html
私の肉体には魂が宿っている
http://new-mu.seesaa.net/article/363301808.html
「かごめ歌」と魂の解放
http://new-mu.seesaa.net/article/364133389.html
「魂の離脱」という錯覚
http://new-mu.seesaa.net/article/364141679.html
魂の中に汝が宿っている!
http://new-mu.seesaa.net/article/364204954.html


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posted by ZERO at 23:03| Comment(2) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ZEROさん、こんにちは。

冒頭の部分、「自分の為だけ」に生きるというのは、自己放棄をして
無我の境地で「人の為だけ」に生きるという意味である。

最近、ちょっと考えていた部分であったため、
おかげでスッキリしました♪
ありがとうございます^^
Posted by ファイブリッチ at 2013年10月01日 17:07
ファイブリッチさん、こんにちは。

最初から「他人の為」を「自分の為」と思えないのは普通です。
だから最初は「人の為」を喜びにすることが原点ですね。
親や友人など身近な人に喜んでもらうことがスタートだと思います^^
そこでなるべく「善行」を意識せずに
「自分の為」と思うようにすると良いと思います^^
Posted by ZERO at 2013年10月01日 19:31
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