2013年10月06日

不幸な人は幸いである!

前から歩いて来た人に、突然顔に唾を吐かれたり
殴られたりしたら、大抵の人は怒ることだろう。

だが、他者が自分の投影であることが分かっていれば、
瞬間的に謝罪と感謝の言葉を発するようになる。

相手に謝罪と感謝の言葉を述べても良いが、
相手はあくまでも投影なので、
自分の潜在意識を謝罪と感謝の言霊で浄化し、
後で内観をして日々の想念を振り返って反省する必要がある。

私は腹を立てることがないが、
それは酔っぱらっている時でも同じで、
最近では次のようなエピソードがあった↓

夏休みの3大事件
http://new-mu.seesaa.net/article/373864296.html

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怒らないのは怒りを抑圧しているのではなく、
私はこの世界が投影であることを認識しているので、
怒りや悲しみなどの感情が湧くことがないのである。

顔に唾を吐かれたり殴られると、確かに嬉しくはない。

「汚い」「痛い」と思うのも自我だが、それも仕方ない。
仕方がないが悪想念であることには違いないので、
謝罪と感謝の言霊で悪想念の浄化が必要となる。

もちろん、謝罪と感謝の言霊により、
悪想念の原因である汚れた潜在意識も浄化される。

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多くの人は自我で生きているので、
この世が投影であることを認識できない為、
瞬間的に腹を立ててしまうと思うが、
日常内観を習慣にしていれば、
すぐに自分の悪想念に気づくようになる。

また、顔に唾を吐かれたり殴られた程度で腹を立てていたら、
もし通り魔に殺された場合、死後は確実に怨霊になるだろう。

どうしても自分に非があるとは思えないという人がいるが、
それは全ての出来事が自分の潜在意識が映し出していることを
全く理解できていないからである。

また、内観をしていればカルマの法則が
厳然と働いていることが理解できるようになる。

自分が悪くなければ被害に遭うことは絶対にない。
自分が被害者になることも加害者になることも、
全て因果律によって決定しているのである。

故に「必然・必要・ベスト」であり、
生長の家が教える通り「万事好都合」であり、
釈迦が説いている通り「全ては最善」であり、
難が有ったら「有り難う」なのである。

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誰かに殺された場合、前世でその人を殺したのかも知れない。
前世のことは分からなくても、前世の結果が現世なので、
内観をすれば必ず自分の想念に原因があることが理解できる。

その原因は例えばだが、誰かに殺意を持ったことがあったり、
いつも怒っていたり、殺人事件のニュースやドラマを見て
強い恐怖感を持ったりしたことがある、等々である。

それらの感情や想念が過去のものであったとしても、
潜在意識にインプットされてカルマ(記憶)となっている。

本質的には、感情や想念は潜在意識の結果なので、
誰かに殺意を持ったり、怒ってばかりいたり、
殺人のニュースを見て強い恐怖感を持ったりすることも、
全ては最初から決まっていたことなのだ。

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実際に5000年前に書かれたという「アガスティアの葉」には、
現代の個人の名前や生年月日、両親や兄弟の名前、
死因や死亡日などが書かれていて的中しているという。

もちろん、全人類の情報が記されているわけではないが、
アガスティアは誰がその葉を見にくるかまで見通し、
その人の人生を書き残したようだ。

人間界は投影の世界であり、
ユングの表現では「自己(魂)が見ている夢」で、
魂が眠っている為に、この世を現実だと錯覚しているのだ。

また、夢も現実も潜在意識の投影なので、
幾多の輪廻による「全ての人生」も初めから決まっているのだ。

政木和三氏のフーチパターンでは、
人間性を測定できるだけではなく、
死因や死期なども分かるそうだが、
改心次第では天災や人災による死因が解消し、
死を免れる例が多数あったと述べている。

また、アガスティアの葉に記された運命も、
マントラ(真言)を唱えることで運命の変更が可能だとしている。

もりけん氏は六爻占術によって運命を変更したが、
盲師派推命占術によると、六爻占術によって
運命を変更することも決まっていたそうだ(笑)

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この世が投影であることは魂が覚醒しないと認識できないが、
私はそれ以前から知識としては知っていた。

それは生長の家でも説かれているからだが、
そのような知識を持っていただけで普段は意識していなかった。

ただ、潜在意識にインプットされている情報が
現象となって顕れることは、よく理解していた。

その意味では、「投影」を軽く理解していたと言えるが、
「カルマの法則」はよく理解していた。

「潜在意識にインプットされている情報が現実化する」
と「カルマの法則」は同じことだが、
カルマの本来の意味は「業(行為)」である。

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だが、行為は想念の結果であり、想念は潜在意識の結果である。
私はそのことも理解していながら、26歳まではどうしても
悪想念(怒りと悲しみ)を断ち切ることができなかった。

それは想念が潜在意識の結果だから、
意志の力で想念をコントロールできなかったのだ。

言霊で潜在意識が浄化できることもよく認識していなかった。
いや、知っていたといえば知っていた。

生長の家の創始者・谷口雅春に師事していた橋本健氏は、
発明家としても有名な工学博士だが、
潜在意識を浄化する為のインスピレーションテープ
(成功と幸福の為の言葉)というものを出していて、
私も小学校6年の頃から20代半ばまで聴いていた。

それを聴くことで少しはマシだったのかも知れないが、
そのテープの効果も殆どなくなる程の悪想念を撒き散らし、
悪業三昧の日々を過ごしてきて、そのカルマによって
何度も死にかけるような災難に見舞われてきた。

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だが、カルマの法則を理解していたので、
事故や喧嘩で死にかけて「死ぬ!」と思ったと同時に、
条件反射的に「ごめんなさい!」と心の中で叫んでいた。

そのお陰か、命だけはいつも奇跡的に救われてきた。

また、そのような出来事の後は暫く自粛し、
過去を振り返ってカルマの法則を改めて認識し、
それによって深く反省し、気づきを与えられたこと、
命を救われたことに深く感謝をしていた。

上の写真は23歳の時で、ヤクザと喧嘩して川に落とされたのだが、
もちろん内観をして深く反省と感謝をした。

そのようなことを定期的に繰り返してきたが、
「相手が自分の投影」という認識もなかったし、
マコトのホッコン改心には至らなかった為、
数日〜数週間後には元の暴君に戻っていた(笑)

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これも昔、自叙伝にも書いたことだが、
幼稚園の頃、友達に喧嘩で負けて泣かされて、
悔しい想いや悲しい思いをした後も、
1人になって目を閉じて反省する習慣があった。

それは誰に教わったわけでもなく、自然の行ないだった。
本能的にカルマの法則を知っていたのだろうか。

恐らく、前世でも内観をしていて、
「カルマの法則」を理解していたからだと思う。

もし、理解ではなく単なる知識だったとしたら、
事故などで死を覚悟した瞬間に、
「ごめんなさい!」と思うことはなかったはずだ。

人生内観(過去内観)を続けていれば、
必ず「カルマの法則」を見つけ出すことができるが、
まずは「自分の人生はカルマの法則に基づいている」
ということを前提に考えて生活すると良いだろう。

そうすることで、「カルマの法則」を理解していない段階でも、
「全ては必然・必要・ベスト」「万事好都合」
「全ては最善」「難が有ったら有り難う」「不幸にも感謝」
というふうに、少しずつ思えてくるのではないだろうか。

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ここから少しややこしい話になるが、
大切な話なのでよく理解してもらいたい。

カルマの法則とは「原因と結果」という物理の法則である。
物質の最小単位である素粒子(意識)レベルで働いている
厳然たる宇宙の法則であり、存在することは事実である。

だが、それは3次元と4次元でのみ作用する法則であり、
原因と結果が同時存在するシンクロの海である5次元は
「カルマの法則」を超越した世界である。

従って、「カルマの法則」は絶対法則ではないと言える。
5次元エネルギーの作用で運命の変更が可能であることも
その一例を示していると言えるだろう。

即ち、「カルマの法則」とは輪廻の世界にのみ存在し、
輪廻の仕組みを運営している法則とも言えるかも知れない。

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故に、「カルマの法則は絶対的な宇宙法則である」
という観念は捨ててしまう必要があるだろう。

神仙組1のブログ説明にも書いているが、
「罪と罰・カルマ・輪廻・地獄・プラス思考」
は、5大方便だということを私は悟っている。

輪廻転生は本質的には存在しないが、
投影の世界で「現象」として存在することは確かで、
「カルマの法則」はその世界で働いている法則なのだ。

理解して確認し、悟ることを「確信」というが、
知識を盲信して観念になることを「信念」といい、
天国より低い霊国(信念体系領域)と繋がってしまう。

かと言って、「カルマの法則」を無視していいわけではない。

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真我(5次元意識)に目覚める為には、
4次元以下の世界(輪廻)を解脱することである。

その為には潜在意識(幽体)の完全浄化が必要で、
換言すれば「ネガティブ・カルマの浄化」である。

私は熾烈な内観を続けてカルマの浄化を終えて、
真我に目覚めることができたが、それは去年、
天翠氏によるタマシラベでも確認することができた。

「そのレベルに達した聖者はカルマの法則を超越する」
と、よく言われるが、それは幾多の輪廻で作ってきた
個人的カルマを浄化したという意味に過ぎない。

もしくは、輪廻の世界を解脱したという意味である。

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だが、人間界に肉体と自我を持って生きている限りは、
「カルマの法則の対象外」ということにはならない。

いくら5次元の意識に目覚めたところで、
人間は日々常々、カルマを作る続けているものである。

真我に目覚めた人間が大きなカルマを作ることはなくても、
日々常々、内観を続けてカルマの浄化をする必要がある。

また、個人的カルマという概念を捨てて、
人類は自分の投影だという認識を持てば、
「人類=自分=集合的無意識」なので、
「全ての原因と責任は自分にある」という意識で、
生涯の仕事として浄化に努める姿勢が大切である。

「自分にはカルマは残っていない」と言って、
人々にカルマの浄化を指導するような人間は、
何も悟っていないどころか傲慢にも程があるだろう。

個人的なカルマが山積みであっても、
素直に「ホ・オポノポノ」を習慣にしている人の方が、
遥かに立派で意識レベルが高いと私は思う。

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イエスでさえ人類のカルマを引き受け、
「カルマの法則」に従って処刑されている。

ガラケーの人は見れないが、
私もこのブログのプロフィールにこう書いている↓

「汝の犯した一切の罪は、私の姿を見たその瞬間から全て許される。
汝の背負っている一切の罪は、私が身代わりになって引き受ける。
私から多くの喜びを持って帰りなさい。
汝の嘆きや悲しみはすべてここに残して行きなさい」


もちろん、誰かが犯した犯罪を
私が身代わりになって刑罰を受けるという意味ではない(笑)

「私は自分が宇宙であることを悟ったが為に、
宇宙カルマを受け入れている」ということである。
従って、私は全ての罪を背負った大悪党なのだ。

「真我に目覚めるとカルマの法則を超越する」とか
「カルマの法則は絶対法則ではない」と言っても、
宇宙カルマの浄化の為に輪廻の仕組みが存在し、
新しい宇宙(第8太陽系次元)の創造のために、
人間は定められた運命を生かされいるのである。

汝、宇宙一の大悪党になる覚悟をせよ!
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/161026665.html

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「カルマの法則は絶対法則ではない」
「カルマの法則の信念を持ってはいけない」

ということを書いてきたが、
「カルマの法則」を意識して生きていれば、
感情に支配されることが少なくなってくるはずだ。

そして、理解できなくても、納得できなくても、
とにかく「ホ・オポノポノ」を唱えていれば、
本当に反省や感謝の気持ちが湧いてきたという人も多い。

「カルマの法則」を信じられなくても、
「人生はカルマの法則に基づいている」
ということを前提に生きていれば、
やがて観念ではなく理解に繋がって確信に変わるだろう。

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ユングの心理学の話を持ち出せば、
この世は深層意識に眠る自己(魂)が見ている夢である。

ユングがこのような話をしていたのは最近知ったが、
私は以前から認識して発表してきたことである。

私は自己(魂=真我)が半覚醒状態なので、
この世が夢であることを自覚しながら見ているのだ。

そして、自己(魂=真我)が完全に覚醒すると、
自分はこの世から消滅(アセンション)するのである。

さて、その夢の内容(自分の人生で起こる出来事)は、
潜在意識に記録されている「カルマの法則」に基づいて、
ストーリーが展開している(睡眠時の夢も同じである)。

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潜在意識は「DVD」のようなもので、
それを再生するとこの世に誕生し、
モニターに映し出される映像が「人生」で、
自分が描いたシナリオ通りの人生を歩んでいるのだ。

本当の自分は映画を見ている(自己=魂)であり、
それを知らずに生きている人間の自分は、
「映画の登場人物(主人公)」というわけである。

従って、人間は「カルマの法則」に従って生きるのが正しい、
というよりも、「カルマの法則」から逃れることは出来ない。

言い換えれば、人間は「カルマの法則」に基づく人生を生き、
それを体験する為に生まれてきたということになる。

※私はオウムやアレフとは一切無関係である。
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だが、私の世界では麻原も私の投影である^^;
私の自己(魂)が見ている夢の登場人物である以上、
麻原も私の潜在意識の投影で、それは読者にとっても同じである。

故に、汝は麻原彰晃である(私も麻原彰晃である)
もちろん、麻原が犯した罪は私の世界では私の罪であり、
汝の世界では汝の罪である。

だが、人間界が結果の世界(投影・夢)である以上、
本質的には善人も悪人もなく、罪そのものも非実在なのだ。

例えば、殺人を犯した者は、殺人を犯すというカルマがあり、
殺人犯という役を演じさせられていたに過ぎない。

殺された者は殺されるというカルマがあり、
殺されるという役を演じさせられていたに過ぎないのだ。

そのことを『日月神示』は次のように示している。

「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、
神のやり方はその罪をも憎まず」


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そのように言うと、「犯罪を肯定している」
というような短絡的な解釈をして批判する人がいたが、
それは私が言いたいことを全く理解していない。

もちろん、その人物も私の投影なのだが、
まず、私がその人物の立場になって解説しよう。

仮にZ氏とするが、Z氏が生きている世界はZ氏の投影であり、
Z氏の世界に存在する凶悪犯罪者たちもZ氏の投影であり、
Z氏の世界で起こる凶悪犯罪も戦争もZ氏に原因と責任がある。

それを理解せずに他者批判をするのは「自己否定」となる。
私の話の真意を理解できずに誤った解釈をして批判するのも、
すべてはZ氏が映し出していることなのだ。

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一応、この人間界の理屈で説明しておくと、
私は「犯罪を犯しても良い」と肯定しているのではない。

だが、もし法律が犯罪を肯定したとしても、
犯罪を犯すカルマがない者が犯罪を犯すことはないし、
犯罪を否定しても犯罪がなくなることはない。

私は犯罪を否定も肯定もしていないが、
それは人類の意識進化を促すカルマの結果であり、
必要悪・御用の悪としてマクロでは肯定している。

「悪も神の御働きと申すもの。悪憎むこと悪ぢゃ。
善憎むより尚悪い。何故にわからんのか」

「悪の世が廻りて来た時には、
悪の御用する身魂をつくりておかねば、
善では動きとれんのざぞ、
悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、
憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ」


「今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、
それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ」


善人よ、改心せよ!
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/165934778.html

こういうのが怨霊となる。
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人間界が「カルマの法則」を体験する場と言っても、
ネガティブ・カルマの連鎖を断ち切らなければ永遠に繰り返す。

分かりやすく単純な因果律で説明するが、
例えば、殺した者は来世で殺される側の立場となり、
殺された者は来世で殺す側の立場となる。

この世はあくまで「結果の世界」なので、
単なる現象として見れば、殺した側はともかくとして、
殺された側はカルマが清算されたことになる。

だが、殺されたことによる怨念によって、
来世は殺す側の立場になるというカルマを作ることになる。

従って、殺されたということは
自分が作ったカルマの結果であり、
反省と感謝をして相手を許して祝福する必要がある。

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他者は自分の投影なので、
人を許せないのは自分が許せないからである。

「そんなことはない」と否定するのは頭の考え(自我)であり、
潜在意識のどこかに自分を許せない心を持っており、
それを見ないようにしているから気づかないだけなのだ。

自分が許せないから、投影である他者が罰してくれて、
気づきを与えてくれているともいえる。

私は昔、散々なことをやってきたので、
その因果によって散々な目に遭ってきた。
それが内観に繋がって反省はしてきたが、
相手が自分の投影とは思えなかったので、
相手を許して祝福するには至らなかった。

だが今は、全ての人を愛して祝福をしている。
万人平等に愛せるのは、自他一体の真我の意識だからだ。

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また、殺した者も反省によって罪のカルマを浄化できるが、
ネガティブな反省の仕方をして罪悪感や自責の念を持ち続けると、
その想念によって自ら地獄に堕ちることになる。

そのような地獄霊が人間界に転生するとどうなるか……。
単純な因果律では、次は自分が殺される番である。

「人を殺してしまった…申し訳ない」

という罪悪感と自責の念(記憶というカルマ)が
潜在意識にインプットされている為に、
自分の投影である他者が自分を罰する為に殺すのだ。

それで今度は「殺された!許せない」という立場になり、
そのようなことを延々と繰り返しているのである(笑)

だが、因果律はそのような単純なものではないので、
「人を殺してしまった…申し訳ない」
という出来事(殺人)を再び繰り返してしまうこともある。

また、殺された者は「殺された」という記憶のカルマで、
来世でも誰かに殺されたりすることもあるだろう。
記憶そのものが悪いのではなく、
記憶(その時の想念)の浄化が必要なのである。

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先ほど、単なる現象として見れば、
現象が起きた時点でカルマが清算されると書いた。

それは人間界が「結果の世界」だが、
人間は自我(感情や想念)を持っている。

それ故に、現象が起きてカルマが清算されても、
それと同時に感情や想念・記憶によって、
新たなカルマを作ることになるのだ。

つまり、結果が新たな原因を生み、
果てしないネガティブ・カルマの輪廻を繰り返すのだ。

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では、なぜ人間には自我(感情)が与えられているのか。
与えられているとうより、自我も潜在意識の投影なので、
感情も存在しているから存在しているのだが……。

それは「結果の世界」で出来事を体験するだけではなく、
体験によって感情を味わう為なのである。

だが、そのネガティブな感情でカルマの連鎖と輪廻を繰り返し、
いつまでも宇宙が浄化されることがない。

ならば、感情などなければ良いではないか……と思うかも知れない。
その通りで、自我(感情)を消滅させることが「意識進化」なのだ。

しかし、前述の通り、人間は感情を味わう為に
「カルマの法則」に基づく出来事を体験するわけである。

矛盾しているように感じるかも知れないが、そうではない。

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自我(感情)は投影だから存在するのが原点であり、
植物や動物にも感情が存在する。

そして、万物の霊長である人間には「理智」が備わっている。
その理智を働かせていれば、
人生に「カルマの法則」が働いていることを感じるはずである。

そのことに気づけば、ある程度の感情のコントロールができたり、
全てを肯定して受け入れることができるようになってくるだろう。

「理智を強く働かせねばならんぞ。人間は絶えずけがれてくる。
けがれは清めること によって、あらたまる。
厄祓ひせよ。福祓ひせよ。
想念は永遠に働くから、悪想念は早く清算しなければならんぞ」


理智と意識進化
http://new-mu.seesaa.net/article/358891068.html

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また、「カルマの法則」を理解すればするほど、
必然的に内観をせざるを得なくなってくるものである。

その結果、現象に対して理解ができるようになり、
自ずと反省と感謝の気持ちが湧いてきて、
潜在意識のネガティブ・カルマが浄化されていくのである。

意識レベルが低い間は「カルマの法則」を知識で知っていても、
「自分は悪くない」と思うために反省や感謝などができない。

だが、それでもいいので「全てはカルマの結果なのだ」と思い、
納得できなくても嫌々でも「ホ・オポノポノ」を唱えることだ。

それでは効果は薄いが、努めて習慣にしていれば
言霊の力で徐々に浄化されていくことになり、
少なくとも新たなネガティブ・カルマを作らなくて済む。

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そうやって、潜在意識の浄化が進んでいくと、
真我(魂)が少しずつ覚醒し始めて、
自我(思考や感情)が稀薄になっていくのである。

そうなるとハイヤーセルフからの直感が受信しやすくなり、
意識進化が一気に加速することになる。

その時に、連載記事「汝、神と対話せよ!」で紹介した
自問自答法を行えば、ハイヤーセルフとの対話も可能となる。

そこまで来たら、真我覚醒は近いと思って良い。

そして真我に目覚めると、自分の人生は
自分が映し出していた夢だったということが分かり、
人生で味わってきた歓喜や苦悩が自我の錯覚だったことも分かる。

自我では感じることのできない、真の平和と安寧の境地に到達し、
もちろん現象で感情が左右されることもなくなり、
何もしていなくても至福感に満たされるようになる。

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注意すべきは、ハイヤーセルフとの対話で、
それが本当にハイヤーセルフかどうかを見極める必要がある。

「ハイヤーセルフからのメッセージ」なるものをたまに目にするが、
どう考えても高級霊が言うような内容ではないものが多い。

良いことを言ったり、危険を知らせてくれたりしても、
それが高級霊とは限らない。

審神(サニワ)する為には、
善悪二元を統合した中真感覚を養うことが必要で、
私の記事も参考になるはずである。

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「煩悩即菩提」という言葉があるが、不幸な人は幸いである。

「幸・不幸」も自我の主観なので、
本来はそのようなものはないのだが、
人間は煩悩(欲望やネガティブな想念)によって、
自ら不幸な現象を生み出して苦悩する生き物である。

だが、苦悩が大きくて多い人生ほど、
その苦悩から逃れる為に自らを内省する。

すなわち、自然に内観をするようになり、
大きな気づきを得て改心するキッカケとなる。

つまり、煩悩が大きい程、悟りも大きいということなのだ。

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「カルマの法則」で決められた人生を体験し、
感情を味わう為に人間界に誕生したということを書いたが、
それ自体が人生の目的ではないことをご理解頂けたと思う。

カルマに基づく出来事を体験し、
苦悩という感情を味わうことで
「気づき」を得ることが最初の課題である。

気づきを得たら反省と感謝ができるようになり、
それによって潜在意識(カルマ)が浄化され、
運命は自ずと好転していくことになる。

「人生は自分で切り開くものだ」と言って、
自我の目標や願望の実現の為に努力しているのが人間だが、
それは意識進化から脱線した次元の低い生き方である。

まず、カルマの法則を認めること、
それは「運命を受け入れる」ということであり、
どれだけ不幸な人生でも、それを認めて肯定し、
「今が最善で幸福である」と思うことが出発点である。

それがネガティブ・カルマを解消し、運命を変更する基本原則だが、
それで物心ともに豊かになり、欲しい物が何でも手に入るようになり、
世俗にまみれて欲望のままに生きるようになると元の木阿弥である(笑)

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私の幼少期の不思議なエピソードは、
「自叙伝」やその他でも度々書いてきたが、
真我覚醒に至った原点として次回の記事でも少し書きたい。

既に記事は完成しているのだが、
あまりにも長文になったので分割して載せていくことにする。


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posted by ZERO at 22:40| Comment(8) | 青森白木上神示 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ZEROさん、こんにちは。

素晴らしい記事をありがとうございます。
もりけん氏の話はやはりそうなんでしょうね。
とにもかくにも、毎瞬毎瞬、
ホオポノポノや感謝行を継続するしか
なさそうなので、継続していきます。
ありがとうございます(^^♪
Posted by ファイブリッチ at 2013年10月07日 16:25
この記事を宣伝させていただきました☆忍忍

そしたら?閣下のブログ読者様と御縁ができました。感謝〜☆^^
Posted by 総裁☆越楠公 at 2013年10月08日 01:14
ファイブリッチさん、こんにちは。

ファイブリッチさんの菩薩行も応援しています^^

れっつ覚醒♪ 〜せきららに〜
http://fiverichmugen.blog.fc2.com/


総裁、こんばんは。

総裁も菩薩行3Xです^^
菩薩行団体を結成しますか?(笑)

総裁・越楠公☆ガァラクター本部
http://ameblo.jp/nankousousai/
Posted by ZERO at 2013年10月08日 05:09
>れっつ覚醒♪ イイですね〜☆^^


>閣下、菩薩行団体〜☆ 

では、魁☆菩薩塾!なんてどうでしょう。笑

ワタシはトラ男なので虚空蔵菩薩です。忍忍^^

総裁ブログに閣下のブログをブクマさせて頂きました。(菩薩行w)
Posted by 総裁☆越楠公 at 2013年10月08日 13:37
ZEROさん、総裁さん、こんにちは。

ブログ紹介して頂きありがとうございます^^
魁☆菩薩塾!面白そうですね。
なんだかゆかいなメンバーで結成されそうです。
Posted by ファイブリッチ at 2013年10月08日 15:49
最近「ホオポノポノしかやる事がないので退屈だ」と思っていましたが

「退屈だ」というのはやはり自我ですか?

その感情も一緒に浄化するべきですか?
Posted by クワトロ・アープ at 2013年10月09日 06:23
「今さら」な質問かもしれませんが

苦痛は真我が体験したいから体験する…との事ですが

不幸を「理解」しようとする時、

自分の欲望のせいだ、とか怒りのせいだとか前世でやらかした事だ…と分析(内観)していくとの事ですが、

そうすると「原因」といったものは、

実にシンプル、というか

遥か昔この世に生まれてくる時に

それぞれの個の魂(分霊)が

「俺はこの不幸を選ぼう!」

「じゃあ私はこの不幸を選ぼう!」

といった具合に不幸や苦痛を選択したのでしょうか?

カルマの原因は深い深いものだ…と思っていたのですが、こう考えると案外簡単なのだろうか?と思います。
Posted by クワトロ・アープ at 2013年10月09日 06:33
クワトロさん、こんにちは。

私は自分で確認したわけではありませんが、天国から人間界に生まれ変わってくる霊たちは、次はどのような人生を歩むかを見せられるそうですよ。

もちろん、天国まで行けた霊だからといって、幸福な人生が約束されているわけではなく、真我に目覚める為にそれなりの苦難の多い人生が定められていたりするようです。

当然ながら、それもカルマに基づいてのことですが、複数の霊の記憶や人格が合成されるそうです。
Posted by ZERO at 2013年10月10日 23:16
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