2013年10月08日

人生の目的と新たな宇宙の創造

私は2歳の頃から、時間の初めと終わりや、
宇宙の果てのことや、死について想いを馳せ、
得も言われぬ恐怖感に苛まされながら眠りに就いていた。

時間や宇宙や死という概念や知識もないはずの年齢だが、
何故か私は知っていて、頻繁に空想の世界に入っていた。

また、両親の新婚旅行の写真を見て、
その現場に私もいたことを記憶していた。
新婚旅行は私を身ごもる3年前らしいが、
確かに私はその光景と両親を見ていたので、
両親の外側に私の霊がいたことになる。

そして私が生まれた時、両親と祖父母と親戚が見に来たそうだが、
目も開かないはずの私が目を開き、
1人1人の顔を順番に見て微笑んだという。

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幼稚園〜小学校4年までは浄土宗の学校にいたので、
その影響かどうか、幼稚園の頃から信仰心が篤かった。
幼稚園では宗教礼拝だけだったが、小学校では宗教の科目もあった。

また、聖母が宗教遍歴をしていたので、
幼稚園の頃から様々な宗教の会館や寺に連れて行かれ、
長時間の読経などに付き合っていた。

その意味では特定の宗教に凝り固まることはなく、
それ以外にも小学校3年の頃から、
釈迦や日蓮や一休やイエス・キリストなどの本や、
様々な宗教書を読み漁っていた。

また、幼稚園の頃に、将来、教室のような所で
「正しい生き方?」について人々に教えている自分の姿を、
ヴィジョンとして明確に視たことがあった。

確かに、近い将来、淡路島に断食内観道場を作る構想はある。
「正しい生き方」というと教義や戒律で縛られたような
型にはまった生き方のような表現だが、それは私が嫌だ(笑)

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それと、これは誰もが一度は空想した経験があるかも知れないが、
幼稚園の頃から「この世は夢かも知れない」という想いを持っていた。

この世界は人間より大いなる存在が見ている夢で、
自分はその登場人物の1人に過ぎないのではないだろうか……と。

そして、その存在が目を覚ますと、
自分もこの世も消えてしまうのではないだろうか……と。

もちろん、そのような認識を持っていたわけではなく、
漠然とそのようなことを想っていただけだが、
真我に目覚めてそれが事実だったことを認識した。

と言っても、私はこの世に生きている人間なので、
完全に魂が覚醒しているわけではなく、
この世が夢であることを自覚しながら
明晰夢を見ているような状態である。

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また、完全に魂が覚醒して肉体が消滅することが、
いわゆる「アセンション」だということが分かった。
もちろん、自分が生きているこの世界も消滅するが、
それは死んだ時も同じである。

但し、生きている間に魂が半覚醒していないと、
死んだからといって魂が覚醒するわけではなく、
幽体意識が覚醒するだけである。

自分の肉体が死んだり、魂が完全覚醒すると、
この世界が消滅するというと信じられないかも知れない。

誰かが死んでも、この世界も自分も存在しているではないか、
という疑問を持つ人もいるだろう。

それは、自分が今生きている世界が、自分の潜在意識の投影
(魂が見ている夢)であることを理解していないからである。

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つまり、人間の数だけ人間界が存在し、
人類はそれぞれ別の世界に生きているのである。
「自分の世界の他者」は自分の投影であり、
「本当の他者」は他者の世界に存在しているのだ。

故に、他者との対話は「自問自答」なのだが、
間接的に他者と対話していることも確かである。
だが、人間としての自分や他者は実体ではなく、
投影(幻影)のようなものなのだ。

魂が半覚醒するとそのことが認識できるようになり、
「自他一体」の認識が持てるようになる。

そのことは、反キリ3で詳述してきた通り、
バシャールや内海康満氏などの話で裏づけが取れたが、
古代インドの宇宙観が記されている
『ウパニシャッド』でも説かれていることだった。

禅で悟りを開いた阿部敏郎氏も同じことを説いている↓

ラットレースから抜け出して「今、ココ」に
http://kemono666.seesaa.net/article/238518920.html

最近では、心理学者のユングの話を知って裏づけが増えた↓

夢が現実をつくる――ユングの夢体験
http://new-mu.seesaa.net/article/374469976.html

また、先端科学である量子力学でも認められつつあることである。

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オコツトによると、魂の覚醒によって「認識の完全化」
(あらゆる対極を一元化して認識する視点の獲得)が起こり、
それが「第8太陽系次元の創造」に繋がるという。

禅定の説明によると、人間の三大目的は
「自己究明」「他者救済」「生死解決」で、
三位一体として連動しているという。

自己究明とは「自己発見(魂の覚醒)」で、
生死解決とは「認識の完全化」のことである。

つまり、魂が覚醒すると「生死」や「自他」など、
あらゆるものの本質が一元的であることを悟る為、
「他者救済」をせざるを得なくなるのだ。

他者救済の本質は、自分が悟った世界観や真理や、
自分が覚醒した方法(内観法)を人々に伝えることで、
そのスーパー・スピリチュアリズムの伝道が人生の目的となる。

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その目的は「第8太陽系次元の創造」だが、要するに、
覚醒者を増やすことが「ミロクの世=至福千年王国」の建設で、
「地球の次元上昇」と呼ばれているものである。

それが私の使命である「世界征服」であり、
その実現の為には自己犠牲はやむを得ないのだ。

自己犠牲とは、これはあくまでも私の現状だが、
生活の為に毎日普通に働きに出ることが許されず、
食事や睡眠なども極限に控え、趣味などの快楽の為に
無駄な時間を費やすことを放棄することである。

要するに、他者救済の為に自分の為に使う時間をなくし、
人の為だけに生きることである。

これは人に分かりやすく説明しているだけで、
私の言葉で言えばそれが「自己救済」であり、
「自分の為だけに生きている」ということになる。

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最近は世俗的な遊びに招待されることが月に何度かあり、
カラオケや飲酒などで自我の歓喜も味わえるようになったが、
それは「他者救済」でもあるので見通しの神の計らいだと思う。

世俗的な遊びに翻弄されると本末転倒だが、
現代社会に生きる人間としての楽しみを否定するべきではなく、
「日常生活即内観」で意識進化に繋げていれば良いのである。

不老不死のヒマラヤ聖者マハー・アヴァター・ババジも、
次のように説いている。

「たいていの人間は、世俗的な欲望を満たすための地上世界もまた
神の国の一部であることを理解していない。
神の国は地上までも延びてはいるが、
地上世界はもともと幻覚であって、そこには実在の本質はないのだ」


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携帯代(1万円代)と親に渡す家賃(2万円)を稼ぐのに精一杯だが
(天流れに任せているので稼ぐ努力はしていないが)、
極貧からも少しずつ解放されつつある流れに乗っていて、
徐々に自由自在性が発揮されつつあることを1年程前から感じている。

今のところは特に大きな変化はないが……。

もちろん、普通の人は生活の為に働く必要があるが、
「お金を稼ぐ為」という観念を捨てる必要がある。

また、家庭を持っている人は、
「家族を養う為」という意識を拡大し、
「会社の為」更には「社会の為」ということを認識し、
それを総称して「自分の為」と思うことが大切である。

それ以前に、どのような表現でも良いが、
「他者は投影」「他者は自分」「他者は存在しない」
ということを、認識できなくてもそう決めて生活することだ。

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私は、この数年間、個人的なプライベートの時間は皆無に等しく、
常に作業が遅れ続けている状態なので暇な時間は1秒もないが、
身魂磨きの為の時間は僅かでも作るようにしている。

それは宇宙(集合的無意識)の浄化でもあり、
「人類救済」に繋がるものだと思っているが、
それを私は「自己救済」と呼ぶのである。

実際には、私は原因の世界では「人類救済」を既に実現している。
これは単なる過去完了形のイメージングなどではなく、
自分の輪廻解脱(魂の覚醒)が「自己救済=人類救済」なのだ。

釈迦が「衆生済度を成就した」と語ったのも、同じ意味だと思う。

「原因の世界=5次元」で実現したことは、
必ず「結果の世界=3次元」に投影されるが、
その為に人間としての自分が使われているということなのだ。

故に、自我の考えや感情を捨てて、
見通しの神(ハイヤーセルフ)から真我(魂)を通して伝達される
テレパシー(指令)を忠実に実行しなければならないのである。

魂(本守護神)が目覚めていない人の場合は、
ハイヤーセルフは霊体意識(正守護神)に働きかけているが、
幽体意識(副守護神)である潜在意識の曇りが酷いと、
肉体意識(自我)が直感を受信できなかったり、
歪んだ内容に変換されて受信してしまったりする。

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この写真について、ある人から、
「寝る時間もない人が、こんなメイクして何処か行く暇があるのか?」
というようなことを言われたが、これは断髪を決断した時に、
風呂に入る前に30分くらいプライベートな時間を使っただけである。

このように30分も自分の為に時間を使うことなど滅多にないので、
たまにはこれくらいの遊びは許してもらいたいものである。

パソコンの未読メールも常に200件前後あり、
読んでもすぐに返信できないような内容や
返信を急がない内容で、そのままになっているメールが
今現在で1023件ある(これでも大分減った)。

私は人の為だけに時間を使っていると言っても過言ではないが、
皆と同じように1日24時間の中で1つの体で活動しているので、
限界というものがあるということをご理解頂ければありがたい。

また、キリのない相談メールの返信も大切な仕事だが、
多くの人の意識進化に繋がるブログ更新の方が優先で
これが本業だと自覚しているので、ご了承願いたい。

ちなみに、私が「人の為」という言葉を使う場合は、
便宜上、やむを得ないことはご理解頂きたい。

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成功の鍵を握る「奉仕」D
http://kemono666.seesaa.net/article/246335031.html
の中で紹介した「ありがとう仙人」のメルマガで、
「臨死体験者が語る人生の目的」を一部載せておこう↓

今日は「人生」についての話しです。
というのも、先日、臨死体験をした人から話しを聞く機会があり、
話しを聞いて思うところがあったからです。
精神世界では、人が死ぬと、つまり、肉体から魂が抜けると、
自分のこれまでの人生の映像を第三者の立場になって
映画のように見せられると言われています。
そして、自分の人生を振り返って、次の生を決めるのです。

例えば、他人の幸せを妨げ、自分勝手に生きて来た人が死んだとします。
その後、これまでの傍若無人な態度を第三者の立場で見た時、
自責の念に苦しみ、泣き出します。
その時に感じた気持ちを基に、次に生まれる環境を自分で選ぶのです。
自分が生まれる国、容姿、性別、親を自分で選ぶのです。

これが精神世界で言う「生まれ変わりの仕組み」です。
先日、臨死体験をした人も、まったく同じ体験をしたそうです。

以下、その人の話しを要約します。

病床で苦しんでいた私でしたが、何だか急に心が楽になったと思ったら、
肉体から魂が抜けていました。
天井から病床に臥せっている自分を見て、こう思いました。

「ああ、とうとう俺は死んだのかぁ」

と、思った途端、神々しい光が目の前に現れました。
その光は、太陽などおよびもしないくらい光輝いていました。
しかも、その光は、愛深い感じがして、心地良いものでした。
至福とは、こういう感じを言うのでしょう。
私は至福感に浸っていました。
まさに、極楽浄土です。私はすぐに思いました。

「神様!」

すると、突然、これまでの自分の人生が走馬灯のように、
映画として上映されました。
しかし、その人生映画は、逆戻りの内容でした。
つまり、今から過去に遡って、生まれるまで逆戻りするのです。
楽しかったこと、辛かったこと、
悲しかったことなどが次々に映し出されました。

そして、私は思いました。

「私は、生きている時は楽しいことを追求してきた。
そして、辛いことや悲しいことを排除しようとしてきた。
しかし、こうして自分の人生を映像で見てみると、
楽しかったことよりも辛かったことや
悲しかったことの方が自分の為になっていた。
また、自分が幸せになった時よりも、
他人を幸せにした時の方が、自分にとって最高の喜びだった。
反対に、他人の幸せを妨げた時、自分にとって最高の悲しみだった」

そんなことを思っていると、声なき声が聞こえて来ました。

「そろそろ帰りなさい。お前は、現象世界でまだ体験することがある。
 今からお前の本当の人生が始まるのだ。」

そして、気が付いたら蘇生していました。
私は思いました。

「私は生きているのではなく、私は生かされている。」

そして、再び、生き返って以来、
私は他人を幸せにすることを第一として生きるようになりました。
なぜなら、それが本当の自分の喜びであることが分かったからです。
これまでも、他人の為に働いたことはありましたが、今までは
「あなたのためにやってあげている」という気持ちでやっていた為、
相手に「感謝」という見返りを求めていました。

が、今は違います。

他人を幸せにすると、自分が一番喜びを感じるからやっています。
つまり、「他人のためではなく、自分のため」にやっています。
だから、相手に見返りを求めなくなりました。
今の私は、いい意味で「自分中心」に生きています。

以上が臨死体験者の話です。


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ここで少し解説を挟んでおこう。

「精神世界では、人が死ぬと、つまり、肉体から魂が抜けると、
自分のこれまでの人生の映像を第三者の立場になって
映画のように見せられると言われています」


と、ありがとう仙人が言っている通り、
臨死体験者の語るところによれば、
肉体から魂が抜けて死を自覚すると光が出現し、
自分の人生が走馬灯のように映画として上映されたという。

これは自分の肉眼の視覚を通した映像ではなく、
あくまでも第三者的な視点での映像だという。

「魂が肉体から抜けた」と表現されているが、
離脱したのは4次元の幽体(その中に5次元の霊体がある)で、
第三者的な視点による映像は、魂(真我)の視点なのだ。

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私も肉眼でこの世を見ているので第三者の視覚は持っていないが、
感覚的に肉体の外側の魂の視覚を感じるのである。
感じるだけではなく、瞑想中や日常でもフトした瞬間に、
第三者の視覚で自分を観ている映像が脳裏によぎることがある。

その肉体の外にある第三者的な視覚を持つ意識が魂(真我)であり、
その意識が私の意識の主体で、心臓でその意識を受信しているのだ。

だが、離脱後に遭遇する発光体は自分の魂ではなく、
それはいわゆる「ハイヤーセルフ」である。
そのハイヤーセルフの分身が自分の霊体であり、
その投影が幽体、更にその投影が肉体だと言えるだろう。

「私は生きているのではなく、私は生かされている」
とのことだが、それ故に、前述の通り、自我の考えや感情を捨て、
見通しの神(ハイヤーセルフ)から真我(魂)を通して伝達される
テレパシー(指令)を忠実に実行しなければならないのである。

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「自分に出来るだけ喜びを多く与えて生きるとは、
「他人の喜びが自分の喜びとなるように生きなさいということ」

という中村天風の教えがあったが、それにも次元があり、
他人に世俗的な喜びを与え過ぎて堕落させては本末転倒である。

真の喜びは真我(魂)の意識に目覚めることであり、
それに導く為には人の自我が喜ばないことが多いのも現実だ。

臨死体験者の話でも、「楽しかったことよりも辛かったことや
悲しかったことの方が自分の為になっていた」という話があった。

もちろん、悪意を持って他人を傷つけるのは論外で、
そのようなことは自分の意識進化にはならないが、
マクロで観れば、それも因果律に基づく必然で、
理解に繋げることさえ出来ればオールOKではある。

私は昔、数多くの人を意図的に傷付けてきた。
私も数多くの人から意図的に傷付けられてきた。
それらの経験がなかったら今の私はないと思う。

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「あなたが死を迎えた時、こう感じるだろう。
何て無駄なことに人生を費やしてしまったんだ。
俺の人生は無駄なことばかりだった。
瞑想をしたわずかな時間だけが本当に価値があった」

(OSHO)

「救世主をヤメた男」で紹介したクリシュナムルティも
次のように述べている↓

「私は毎朝30分ないし35分間、瞑想しています。
それは6時45分から7時20分までの間です。
短時間ではありますが私の精神集中は日増しに向上しつつあり、
寝る前にも10分ほど瞑想しています。
人生で大切なのはそれだけであって、他には何もないのです……」


確かに、真我覚醒が人生の目的なら、
瞑想だけが価値があると言えるかも知れないが、
臨死体験をした人は、瞑想以外にも、
「他人の為に費やした時間も価値があった」と言っている↓

「自分の人生を振り返って、分かったことがもう1つある。
お金儲けの為に費やした時間は、価値がなかった。
それよりも、他人の為に費やした時間、
そして、瞑想に費やした時間が最も価値があった」


サイババも次のように説いている↓

「熱心に苦行に励み、神聖な寺院に巡礼の旅をし、神聖な水で沐浴し、
教典の奥義を究め、至高の神を瞑想して忘我の境地に入っても、
そのようなことはみな、生々流転の世を超える助けにはなりません。
人類への奉仕こそ解脱を得る為のただ1つの行いなのです」


解脱を得る為のただ1つの行い
http://new-mu.seesaa.net/article/365169777.html

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釈迦は、解脱の為にヴィパッサナー瞑想(内観)を説いた。
それは真我(魂)の意識に目覚めることによって、
解脱(輪廻転生の卒業)が可能となるからである。

従って、真我覚醒(輪廻解脱)の為に、
必ずしも奉仕活動は必要ではないというのが私の持論で、
釈迦も奉仕によって真我に目覚めたわけではない。

以前紹介した『波動合わせ』の奥田治良氏は、
変な宇宙人の話をしているので支持する気はないが、
私が一応「覚醒者」として認めている人物だが、
「人の為に生きていればいつかは覚醒できる」と説いている。

だが、人々の為だけに生きたマザー・テレサは覚醒していない。
死後は天国に迎え入れられたようだが、輪廻は解脱していない。

人の喜びを自分の喜びとしていたら覚醒(解脱)できる……
そのようには私は思えないし、
実際に天国の(輪廻転生地点)の霊たちは、
他者の為に生きることを喜びとしているそうだが、
そこは「輪廻転生地点」なので解脱できずに転生するのだ。

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もちろん、意識レベルの上昇と共に、
自然に奉仕活動をしたくなるものである。
故に、奉仕の精神なくして覚醒(解脱)は不可能とも言える。

先ほど釈迦の例を挙げたが、
釈迦は城の外で苦しむ病人や貧民を見て胸を痛め、
それを救いたいという一念で全てを捨てて出家して、
自己犠牲の過酷な苦行を経験した上で、
悟りを開いた(真我に目覚めた=輪廻を解脱した)。

これは「奉仕の精神」ではあることには違いなく、
悟りを開いた後の説法や内観指導は「究極の奉仕」である。

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ホワイト・イーグルはこのように教えている↓

『上級イニシエーションは、人生の大きな転機の中で、
「自分を捨てて地球(宇宙)進化のために全面的に献身する」
という決断から始まります。
人はこの決断をするならば、一つの人生の中で
幾段階ものイニシエーションの階段が上れると教えています。
すなわち、一生涯で釈迦やイエス・キリストに近いところまで
上れるのだと断言してくれているのです』


「自分を捨てて地球(宇宙)進化のために全面的に献身する」
というのは、要するに自己犠牲的な奉仕のことだが、
具体的にどのようなことかというと、
前回の記事の冒頭で書いた通りである↓

霊界を総動員してのスピリチュアリズム運動は、
「地球人類を救いたい」という
イエスの愛から出発したものだとされている。

シルバー・バーチによると、スピリチュアリズムとは
「神と人類のために一身を捧げること」、すなわち、
「スピリチュアリズムの普及に人生を捧げる」ということで、
それが最高の利他的生き方であり、最高の救いだという。

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奉仕を説くサイババは、無料の病院や学校、
水道設備の供給などの社会奉仕事業が高く評価されていたが、
8000億円も資産があれば簡単にできることである。

私も31歳の時、そのような活動をもっと大規模で展開し、
更にエネルギー産業に革命を起こす文明転換事業の為に、
33歳で抹殺される覚悟で資産形成に乗り出す決意をした。

もちろん、それは地球と人類を救済したいという衝動からで、
その決断が真我覚醒に近づくほどの進化を促進したのか……。

結局、私はまだ何も着手できていないのだが、
私の関係者が世界各国の権力支配層を巻き込みながら、
水面下で着々と準備を進めている。

その間、私はビジネス以外にやるべきことがあり、
1人ではとても手に負えない程の課題が与えられた。
それが今の私の状態なのだが(喩えとして私を例に挙げるが)、
今の私の日常が「究極の奉仕」と言っても過言ではない。

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サイババの社会奉仕事業や私が画策する文明転換事業も、
偉大な奉仕活動には違いないが、奉仕の本質は前回も紹介した↓

『マザーは、世間から見捨てられた貧困者に誠心誠意をもって奉仕しました。
貧しい人々の中の最も貧しい人の心に励ましを与えてきました。
しかしマザーには死後の世界についての正しい知識がなかったため、
死んでいく人々に、死後の世界の真実を教えてあげることができませんでした。
霊界の事実を知ることは、死を恐れる人々にとって“最高の救い”となります。

霊界についての詳細な事実を知っている私たちスピリチュアリストは、
マザーにはできなかった奉仕ができるのです。
霊的知識を伝えて人々に“霊的救い”をもたらすという、
次元の高い奉仕ができるのです。

物質次元での人助けも利他愛であり立派な奉仕ですが、
“霊的次元”での人助けは、それにも増して優れた奉仕活動です。
それは永遠の魂の救いに直結するからです。
より本質的で高次元の救いをもたらすことができるという点で、
私たちにはマザーよりも大きな利他愛実践のチャンス・
奉仕のチャンスが与えられているのです』


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それに対して、私は以下のように書いた↓

要するに、私の解釈では、
「死後の世界を伝える活動」と「ヒーリング活動」が、
スピリチュアリズムの2本柱ということになるが、
『日月神示』には次のように戒められている。

「死後の生活知らすことはよいなれど、
それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方、
奇蹐を見せ、病気を治してやるのもよいのぢゃが、
それのみによって改心迫ってはならん。
それのみで道を説いてはならんぞ、
そんなこと位でマコトのホッコン改心が出来るならば、
人間は遠の昔に改心して御座るぞ、
今迄のやうな宗教は亡びると申してあろうが、
亡びる宗教に致して下さるなよ」


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内容の違いはどうあれ、
スピリチュアリズムと宗教の活動は同じである。

霊界の話を聞いたりヒーリングを受けることで、
心身の救いになったり改心のキッカケになることはあっても、
やはり『日月神示』が示す通り、
マコトのホッコン改心は出来ないであろう。

マコトのホッコン改心は内観によってのみ可能で、
真の救済も内観で輪廻を解脱するでしか実現し得ない。

そうであれば、内観を伝えることが真の救済事業であり、
究極の奉仕だといえるのではないだろうか。

「内観」という言葉を使って内観そのものを伝えなくても、
そのような世界観の持ち方を話して進化に導くことはできる。

食事改革や体操などの健康法をアドバイスしたり、
真理を説いたりカウンセリング的なことをするのは、
真我覚醒を促進させるための補助的なことに過ぎないが、
そういうことを周囲の人に少しずつ伝えることも奉仕である。

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慰めたり、励ましたり、
勇気や希望や癒しや感動を与えたり、
とりあえず話を聞いたり愚痴を聞いたり……
そういうことも人間として大切なことではあるが、
本質的な救済ではなく、単なる自我の救済に過ぎない。

最初のステップとして、それも必要なことではあるが……。

真我に目覚めれば、どのような現象にも囚われず、
至福と歓喜と感謝と安心立命の不動心となる。

あらゆる苦悩の原因は「無明」、
即ち、輪廻を解脱していない状態、
真我に目覚めていないからである。

故に、厳しい言葉にならざる得なくても、
また、過酷な想いをさせることになったとしても、
真我覚醒に導く為のアドバイスこそが真の奉仕である。

私は寝ても覚めてもそれに明け暮れる毎日で、
なかなか連絡が取れないような状況に追い込まれ、
一部の人から文句を言われたり怒られたりしながらも、
寝食を削って可能な限り親身に対応している。

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マザー・テレサの奉仕の対象は、
世間から見捨てられた貧困者で、
彼らの心に励ましを与えることだった。

だが、それは各地を巡行し、その場限りの癒やしを与えただけで、
それは「救済」とは呼べないことである。

それどころか、よく考えると、貧しい人々の心に自分と同じ
「心の闇」を生み出すという大罪を犯したことになる。

マザー・テレサの「心の闇」
http://new-mu.seesaa.net/article/365331754.html
マザー・テレサの「神秘体験」
http://new-mu.seesaa.net/article/365353087.html
マザー・テレサの死後と「心の闇」の原因
http://new-mu.seesaa.net/article/365371945.html

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マザー・テレサの活動の対象は貧困層だったが、
健康で裕福で幸福だという人であっても、
同じように何らかの苦悩を抱えているものである。

また、マザー・テレサは「愛の反対は無関心」だとして、
貧困者への奉仕に無関心な人々を厳しく批判したが、
彼らも人間である以上は何らかの苦悩を持っているのだ。

また、その愛を知らない無関心な人々こそ、
奉仕の対象だと私は思うのである。

従って、奉仕(救済)活動の対象は悟りを開いていない人、
即ち、輪廻を解脱していない(真我に目覚めていない)人、
そして「天国の霊人たち」も含まれる。

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仏陀(真我に目覚めた者)になる修行中の身を「菩薩」という。

従って、自分がまだ真我に目覚めていなくても、
自分の投影である全人類が奉仕(救済)の対象であり、
自分が知った真理や内観を伝えることが「菩薩行」である。

聖母は近所の人や服屋の店員や客など、知り合った人たちに
『日月神示』やホ・オポノポノや私のブログを伝え歩いている。

と言っても、「天は自ら助くる者を助く」で、
最終的には本人の努力によってしか救われないのだが……。

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さっきの臨死体験者の話である↓

『他人を幸せにすると、自分が一番喜びを感じるからやっています。
つまり、「他人のためではなく、自分のため」にやっています。
だから、相手に見返りを求めなくなりました。
今の私は、いい意味で「自分中心」に生きています』


もりけん氏とハイヤーセルフの会話である↓

「そういう意味では私も貢献しているんだろうか?」

「もちろんです。大変よくやっています」

「ありがとう。でも僕は僕のためにやっているんですが」

「知っています。そう思うことは大切です」


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クドいようだが、物質的なことにしろ精神的なことにしろ、
奉仕や究極の奉仕などの善行や徳積みと呼ばれるようなこと。

即ち、自分の時間を犠牲にして、
出来る限りの人類救済活動(菩薩行)は、
誰の為でもなく「自分の為」だという自覚を忘れてはならない。

「人の為にしたことは自分に返ってくる」
というような下劣な考えではなく「人の為は即自分の為」なのだ。
人類は自分の投影であり、「人類救済=自己救済」なのである。

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親鸞の命日に生まれた私は親鸞の教えがよく分かるのだが、
親鸞は晩年、このように言い残している。

「阿弥陀仏の本願は親鸞ただ一人を救うためであった」

阿弥陀仏とは「真我」であり、
本願とは「一切衆生を救済したいという願い」である。

親鸞は「人々は自分の投影だった」ということを悟ったのだ。
親鸞は菩薩行を続けて真我に目覚め、仏陀となったのである。

マザー・テレサの真価と「究極の自己中心主義」のススメ
http://new-mu.seesaa.net/article/365376919.html
究極の自己中心主義と世界平和の祈り
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/158841686.html
汝、自分本位で自分勝手に適当に生きよ!
http://kemono666.seesaa.net/article/254611848.html


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posted by ZERO at 03:59| Comment(0) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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