2013年10月10日

「念仏」と「題目」と「真言」の効力対決

前回は念仏と題目の話になったが、
七田眞氏の『超右脳成功法』に次のように書かれている↓

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暗唱訓練は右脳記憶を育てる

『記憶力を高めると、基本的な知性も高まります。
ですから、くり返しで、何か覚えて唱えるといいのです。
ここでお勧めは、般若心経を覚えて毎日100回唱えることです。
般若心経でなくてもいいのです。
延命十句観音経でもいいのです。
毎日100回唱える、というふうにすれば不思議なことがいっぱい起こります。
そういうふうに、繰り返し繰り返し唱えると、頭の質が変わってしまうのです。
記憶がものすごく簡単になります。
小さな子供の頃に、できれば4歳の子供の頃に般若心経を教えてあげて、
親と一緒に仏壇の前に座ったりすると、
もう子供は一生懸命それを覚えてしまうのです。
親はなかなか覚えられなくて、1ヶ月かかったり、
2ヶ月かかったりするのに子供は簡単です。
これを覚えた子供というのは、右脳が開けます。
右脳の記憶力を開けた子供は、学校に行ってもすごく楽なのです』

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『般若心経』の核心は「色即是空」で、
「万物は実体(実在)ではない」という意味である。
要するに、真我に目覚めた時の悟りの内容である。

で、意味が分からなくても、とにかく繰り返し暗唱することで、
超記憶力を獲得することができるという。

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引き続き、『超右脳成功法』から抜粋↓

空海の超記憶をもたらした「虚空蔵求聞持法」

『右脳の能力開発は私の専売特許ではありません。
古来、世界各地で主に宗教家たちが修行目的で行っていました。
日本でも古くからあったのですが、それを
「右脳の能力」と結びつけて考えることはありませんでした。
中でも、真言密教の開祖・空海の超能力は有名です。
幼少の頃からその天才ぶりは有名で、
18歳で大学に入り儒教などを学びます。
しかしそこでも学問に満足せずにいたところ、
ある日不思議な僧侶に出会い、「虚空蔵求聞持法」を教わります。
この真言を100万編唱えれば記憶力が増し、
すべての教典を暗記できると言われます。
そこで大学を中退し、この教えを納めるべく激しい修行を行います。
四国の御蔵洞で修行をしている時に、明けの明星が口に飛び込み、
ついに「虚空蔵求聞持法」を完成したと言われています』

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「明けの明星」が口の中に飛び込んだということは、
ルシファーが喉のチャクラに宿ったということである。

ルシファーは封印された「艮の金神」だが、
その別名の1つが「虚空蔵菩薩」なのだ。

虚空蔵求聞持法とは、「虚空蔵菩薩真言」を1日1万編、
つまり100日で100万編唱えることだが、
5秒で2回唱えられるので、1分で24回、60分で1440回、
ということは、7時間で10080回ということになる。

1日7時間くらいなら不可能ではないが、
普通に働きに出ている人には無理がある。
だが、日常的に唱える習慣をつけていれば、
回数を数えていなくても1日数百回程度なら可能だろう。

私は今は色々と唱えていて、基本は祝詞なので、
虚空菩薩真言は数百回程度しか唱えていないと思うが、
約10年前(25歳頃)にこの真言を知り、
家に居る時は口に出して、外では心の中で、
毎日数千回は唱えていて夢の中でも唱えていたこともある。

それで何か変化があったかというと特にないが、
26歳の時に人生の大きな転機が訪れたことは確かである。

この真言を唱えたことと関係があるかどうかは不明だが、
各種ビジネスも絶好調で活躍していた1年間だった。

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空海は予言者でもあり、
様々な超能力も有していたことで知られるが、
現代でも描けないような関西の地下水脈の地図を残している。

ここでは詳細は割愛するが、以下にその地図を載せておこう↓
(関西の大部分が地底湖になっている)

(「大地からの最終警告」山下弘道)
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もう一発、七田氏の本からの抜粋である↓

『「般若心経」を100回以上唱えて能力を獲得した
塙保己一も、まさに博覧強記の人でした。
彼は『群書類従』(666巻)という日本文化史上、
不滅の大辞書を編纂した人物です。
その秘密はなんと「般若心経」を毎日100回以上唱えることで、
その能力を獲得したと言われるのです。
小さな頃、記憶力が悪く、師匠に叱られてばかりいた保己一が
一念発起して毎日100回般若心経を唱えることをしたところ、
1〜2ヶ月で恐るべき右脳記憶を開いてしまったのです。
日本では戦後アメリカ式の教育が主流になり、
それまでの暗記を重視した教育は廃れました。
これは理解を伴った記憶でなければ意味がないという
左脳的な教育理念が強まったせいです。
超記憶力を育てる右脳教育は「暗記・暗唱」を非常に重視します。
はじめは、理解を伴わなくともよいのです。
小さな頃の暗唱訓練は、左脳ではなく、子供の右脳を育てます。
ノーベル賞を最も多く受賞している国はアメリカですが、
人種ではユダヤ人(約30%)です。
ちなみに、かのアインシュタインもユダヤ人です。
そのユダヤ人は、小さい子供たちに
旧約聖書やトーラを暗唱させて教育しているのです。
これが彼らの暗記力と知識の秘密なのです』

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出た!「666巻」(笑)

それはさておき、般若心経でも超記憶力を獲得できるという。

七田氏が「右脳開発」と言っているとおり、
確かに右脳回路は開けると思うが、
右脳だけが発達すると今度は「右脳偏重」になってしまう。

だが、実際には読経などを長時間続けていると、
右脳と左脳が同調して脳波がシータ波となって、
超記憶力などの潜在能力が発現してくるのである。

政木和三氏が開発したヘミシンク装置
「アルファシータ」を聴いて、
『六法全書』に普通に目を通しただけで
2日間で丸暗記してしまった人もいるという。

また、七田氏はこのように述べている↓

「般若心経や延命十句観音経の暗唱は、
記憶力をよくするのに役立つだけではありません。
難病も癒やしてしまう効験があります」


七田氏によると、お経ではなくても、
何かを覚えて繰り返し唱えると良いそうである。

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サイババはサンスクリット語の「マントラ」を
世界中の人に唱えるようにと説いていた。

そのマントラを「真言」というのだが、
やはり重要なのは「音」であって、
意味を知っていなくても良いと言われている。

従って、念仏や題目は原音と全く違うので、
言霊としての効力は無に等しいと言えるだろう。

例えば、南無阿弥陀仏の原音は「ナマスアミーユス」、
南無妙法蓮華経は「ナマスサッダルマプンダリーカスートラ」で、
どちらも全く違う発音となっている。

だが、七田理論に従えば、繰り返し唱え続けてさえいれば
意味のない言葉でも右脳開発の効果があるということになる。

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念仏も題目も一応意味はあるが、原音と全く異なり、
逆に、空海の真言密教の理論では、
意味が不明でも音が正しければ効果があるという。

例えば、「ひふみ祝詞」なども、意味が分からなくても、
あの言霊配列で正確に発音することが重要視されている。

従って、念仏や題目は言霊としての効力はないと言えるが、
真言でよく使われる「ソワカ」の原音は「スヴァーハー」なので、
これもかなり違っているのでどうしたものかと思ってしまう。

故に、念仏や題目には言霊の力がなく、
真言には言霊の力あるとは一概には言えなくなる。

いずれも、原音と異なるという条件で比較すると、
意味の分からない真言を唱えるよりも、
一応は意味の分かる念仏や題目を唱える方が良さそうな気もする。

だが、日本人には馴染みのない難しい真言を暗記して唱える方が、
右脳の活性化には良さそうである。
また、真言のように意味の分からない言葉を唱えている方が、
無我の境地になれるような気がする。

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神霊能力者の隈本確は読経などは一切やらないが、
読経で病気が治ったりすることがあるのは、
お経のリズムで心身の調子が整うからではないかという(笑)

私が思うには、何かを唱え続けることで
自我(雑念や思考や感情や想念)が沈静化し、
脳波がアルファ波〜シータ波になって
脳がリラックスしてストレスがなくなるということである。

また、自然にアナパーナ・サティ呼吸(吐く息が長い腹式呼吸)
になる為に、それによる瞑想効果や健康効果も期待できる。

もう1つは、言霊は関係なく「信念」の問題で、
信じる力によって病気が治ったり、
その他の奇跡が起きたりするのだろうと思われる。

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宗教に入って読経するようになってから、
病気が治ったり、運勢が良くなったという人もいれば、
家庭が暗くなり、体調を崩したり、
運勢も悪くなったという人も少なくないようだ。

これは両者ともに複数のケースが考えられる。

まず1つは、体調を崩したり悪いことが起きたりする場合は、
「苦しい〜助けてくれ〜」という地獄想念の依存心を持って拝むと、
同じような想念の地獄霊を引き寄せ、病気や不幸が起きたりする。

また、様々な願望や欲望を叶える為に、
餓鬼のような想念で拝んでも同じような結果を招くだろう。

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もう1つは、カルマの浄化作用で、
好転反応として悪い現象が現れている可能性もある。

「この道に入ると損をしたり、病気になったり、
怪我をすることがよくあれなれど、それは大難を小難にし、
またメグリが一時に来てその借金済ましをさせられているのぢゃ」

「悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。
神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、
マコトの喜び与へようとしてゐるのぢゃ。
局部的、瞬間的に見て判らんこと多いぞ。
おかげは、すぐにはないものと思へ。
すぐのおかげは下級霊。まゆにつばせよ、考へよ」


稀なケースでは、特別な使命を持っている人の場合、
自分以外の様々なカルマを神仏によって背負わされ、
どん底に突き落とされることもある。

「この世の代わり目にお 役に立てる身魂であるから、
わざと根底に落として苦労ばかりさせてあろうがな」

「人のようせん辛抱さして、 生き変り死に変り修行さして置いた
昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ」


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一方、病気が治ったり運勢が良くなったりする場合、
カルマの解消や神仏の加護によるものだと思って良い。

その場合、謙虚な気持ちで感謝や奉仕の精神を忘れてはならない。

だが、欲望と感応した低級霊の憑依によって、
運勢が良くなったりすることも少なくない。

その場合、最後の最後に奈落の底に落とされるものである。

極端な例では、ギャブル運が良くなって大金持ちになり、
贅沢三昧の生活で有頂天になっている時に、
転落し始めて借金地獄になったりするケースである。

神仏の加護で仕事が成功して大金を手に入れた場合も、
有頂天になると取り上げられて突き落とされることになるが、
神仏は見通しなので、それもシナリオではある。

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また、1000万円が欲しいと願っていたら、
大切な家族が死んで保険金で1000万円が入ってきたり……。

これも基本的には悪霊の仕業と考えられるが、
それすらもカルマの法則で決まっていることなので、
神仏は微笑みながら見ているということも有り得る。

宝くじで3億円が当たって海外で結婚式をし、
通り魔に殺されてしまった人もいるが、
不労所得を得た時は10%を募金などで喜捨することで、
厄祓いをすることができるといわれている。

不労所得ではなくても、収入の10%を募金などに使うと
福祓いとなり、それが繁栄の法則だといわれている。

「厄のみでは祓いに ならん。福のみでも祓いにならんぞ。
厄払いのみしたから今日の乱れた世相となったのじゃ」


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要するに、様々なケースが想定できるので、
現象1つ採り上げても解釈のしようがない。
真相は内観によってのみ知ることが可能で、
それと直感力が必要となる。

話が若干、本筋から離れてしまったが、
重要なことは祈る時や拝む時の想念で、
無我の境地か感謝の祈りが理想である。

サイババによると、マントラは神を讃える言葉で、
キリスト教のハレルヤ(讃美歌)も同じである。

祝詞も読んで字の如く、祝福の詞であり、
神を讃えて罪穢れを祓う為に唱えるものである。

「悪いキで拝めばどんな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。
悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、
悪神 引っ込んで、それぞれの善き神現われるのぢゃ。
この道理よく心得よ」


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ちなみに、神霊能力者の山崎敏子氏によると、
家系の宗派は絶対に捨ててはならないという。
代々続いてきた宗派を捨てて、別の宗派に乗り換えた人は、
ほぼ例外なく不幸が起きると言っていた。

私から言わせれば、宗派に囚われるのはナンセンスで、
宗派を変えて子孫を祟るような先祖霊は幽界霊である。

だが、ESPの石井普雄氏も昔、病気治療の依頼を受けた時に、
すぐに直感で閃いて「代々からの宗派を変えたでしょう」
と言うと、実際にそうだったらしい。

で、超念力パワーで依頼者の病気を治し、
宗派を元に戻すようにアドバイスしたそうだが、
そこが私にはよく理解できない。

パワーで病気を治したということは、
憑依していた先祖霊は浄化されたということになる。
それなら、宗派はもうどうでもいいと思うのだが……。

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それはそうとして、家系の宗派を変えなければ、
他の宗派の経文を唱えたりしても問題ないはずである。
宗派は無数にあっても1つの仏教なので、
互いに補い合って統合するべきであろう。

仏教の場合は、開祖によって宗派が異なるが、
ユダヤ教やキリスト教の場合は、
様々な預言者(それぞれが開祖に等しい)の言葉を編纂し、
『聖書』という教典になっていて、
その解釈の違いによって宗派が分かれているだけである。

また、神道は仏教伝来以前の日本古来から道なので、
日本人であれば家系の宗派関係なく、
神棚を祀って「祝詞」を挙げても良く、
むしろ日本人の努めだと言っても過言ではない。

『日月神示』は仏教に対して弾圧的な姿勢を見せているが、
これは単純な話ではないので、
文字通りに解釈して仏教を批判したり蔑視する必要はない。

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29歳の時、知人の家に1年間居候することになり、
ある日蓮宗の宗派団体に強制入会させられ、
毎朝6時から30分間の勤行が義務づけられ、
その後30分間の説法を聞かされていた。

そのお陰で日の出の太陽瞑想が出来なかったのだが、
デタラメな解釈をした仏法を聞かされ、
いつも私は逆説法をしていた。

ある日、「身口意」の話をされた。

「身口意の三密」とは真言密教の教えで、
「身」は身体の動作、「口」は言葉、「意」は心を意味し、
手印を組んで真言を唱えながら仏を臆念するという行法である。

転じて、日常生活の中でも、
「想念」「言葉」「行為」を一致させることをいい、
この三位一体の一致の重要性は『日月神示』でも説かれている。

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で、日蓮宗の法話では他宗の批判をしながら、
真言密教の「身口意」の話をされたのだが、何と聞かされたか……。

「願い事を思い浮かべながら題目を唱え、願いが叶うように行動せよ」

まず、題目は「法華経に帰依します」という意味だが、
それを唱えながら願望をイメージする時点で「身口意」の不一致で、
これほど不謹慎な信仰はないだろう。

その宗教曰く、題目は「宇宙の根本原理」だという。

「妙」は真理、「法」は法則、「蓮華」は極楽浄土の象徴、
「経」は経典という意味なので、
妙法が「宇宙の根本原理」だと言っても差し支えはない。

では、宇宙の根本原理とは何かというと、
万物の源である究極の真我であり、
道教でいう「タオ」やマルチョンの「チョン」だと言える。

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ヒンドゥー教では「ブラフマン(梵)」と呼び、
それが人間に顕現したのが「アートマン(我)」である。

この宇宙の根本原理であるアートマン(梵)との合一を
「梵我一如」といい、「天人合一」と同義語である。

題目、即ち「宇宙の根本原理に帰依する」というのは、
ブラフマンに帰って梵我一如に到達する為の祈りだと言える。

そのような尊い意味の題目を唱えながら、
願望をイメージするという教えを説いているようでは、
それこそ末法の世であり、
日蓮の怒りで人類が滅亡してしまうかも知れない(笑)

ちなみに、日蓮も「ルシファーの預言者」だったが、
政木和三氏は「アルファシータ」を聴いて過去世を思い出し、
過去世の1つが日蓮だったという。

興味深いことに、政木氏が小学生1年生の頃、突然、
「法華経」の内容が分かって母親に説いて聞かせたという。

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また、「諸仏は音声(おんじょう)に動く」という説法があった。

私にはすぐに意味が分かったが、その説法によると、
目には見えないが空間には諸仏が無数におられ、
人が口で発する音声を聴いて願いを叶えるという。

そのような迷信じみた話を真顔で言っていたが、
真相は、空間の電磁波が音声(電磁波)に反応するのだ。

言霊はヨコ波(電波)とタテ波(音波)による電磁波であり、
「―」+「|」=「十」となり、神を表し、「言葉=神」は、
流(波)のタテ・ヨコ(十)で、流の十(龍の神)となる。

詳細は以下の記事を参照して頂きたい↓

天の雫による獣の世界支配計画
http://kemono666.seesaa.net/article/274050190.html

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決して、龍の姿をした人格神などではないが、
竜巻、落雷、地震雲などで象徴的に龍の姿を見せることもある。

政木和三氏によると、龍体を持った霊や神も実在するそうだが、
次のような啓示を受けている↓

「神仏は人間の願い事を一切聞き入れない。
どうしても叶えたい願いがあるなら過去完了形で思え」


願いは欲望であり、御利益を売り物にする宗教は幽界次元である。

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で、私は前述の説法に対して次のようにツッコんだが、
口を濁らせて明確な答えを聞くことはできなかった。

「以前、阿弥陀仏などの他宗の本尊は架空の仏だと仰っていましたが、
今あなたが仰った空間に無数におられる諸仏とは一体何者ですか!?」


空間の諸仏というのは、電磁波や素粒子の比喩であり、
阿弥陀仏も架空ではあるが実在でもある。
例えば、太陽を神格化したのが「天照大神」で、
「太陽」という恒星生命体が「天照大神」なのだ。

で、その霊統の高級霊(神々)も無数に存在し、
それらが人格神としての「天照大神」と呼ばれ、
その分魂が人間界に生まれて来ることも当然ある。

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岡田多母の師匠にあたる天翠氏は次のように述べている↓

『従来の世で代々に渡って受け継がれて来た常識・知識・習慣・
学問・宗教・人間関係など、不必要な事項は切り捨ててゆくのです。
つまり、マインドと言われるもの、精神・心・感情・
感覚といった今までの情を断ち切ることが肝要なのです。
修行をすることにより魂の周りは汚れ、マインドは強固になったのです。
思い切って「断ち切ること」、否定想念を止めること。
オヤは言います「念唱をやめよ、座業を解け」と。
「念仏や呪文を唱えると念エネルギーが充満するぞ、
座禅や瞑想その他熱烈な信仰心は念エネルギーを助長するぞ」と』


もちろん、題目や真言や祝詞などにも同じことが言えるが、
前回の記事でも書いた通り、唱える時の念が問題なのだ。

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私が一応覚醒者と認めている元波動整体師の
奥田治良氏は次のように述べている↓

「般若心経など、お経をあげるという行為は、
意味が分かっていなくても言霊という言葉があるように、
唱えることで何らかの波動が発せられます。
その波動には、純粋にその経本に含まれている波動と、
お経をあげる方の心の波動の両方が含まれます。
純粋にその経本に含まれている波動は問題ないとしても、
その人の心が発する波動は何が為にお経をあげるかによって
良き力ともなるし悪しき力ともなるし無駄にもなります。
失礼なことを言いますが、大半はお経をあげて御利益を
期待するという煩悩を吐いていることがほとんどと言えます。
形式的にお経をあげるのも煩悩の放出です」


これも私と同感で、特に異論はないので解説は割愛する。

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最後に、『生命の實相』第15巻「人生問答篇」に載っている、
生長の家の開祖・谷口雅春の直接指導録を転載しておきたい↓

信念の力

大村:

病人が子供で、お経をあげても、
『生命の實相』を読んでも意味が解らなくっても効くんでしょうか。

谷口:
それは効きます。一つは念の感応で効きます。
こちらが解って読めばその悟りの念が感応するのです。
それから人間の意識は幾層にもなっていて
「表面の心」は教育されたことだけしか知りませんが、
奥底の心は幾度も生まれ代わってきている霊魂の意識ですから、
現世で教育されないことでも知っています。

野田:
奥底の心は「守護神」のこころのことだと思いますが。

谷口:
奥底の心の中には守護神の心もあり、自分の霊魂の潜在意識もあります。

高橋:
表面の心には理解できなくとも奥底の心が理解するということになれば、
『般若心経』の棒読みでも効果がありましょうね。

谷口:
無論効果があるはずですが、
読み手が理解して読むといっそう効果があります。

高橋:
お経の意味が解って効果があるという説でありますが、
ちょうどそれと反対の事があります。
ある所に御加持をして非常に上手に病気を治す婆さんがあったが、
その御加持に唱える真言が「油虫そこ退け」というのだったから、
ある人がそれは「阿尾羅吽欠姿婆詞」(あびらうんけんそわか)
のまちがいだと教えてやった。
それ以来婆さんは正しく教えてもらった真言どおりを
唱えて加持するようになったが、
かえって病気をなおす霊力が無くなったという話があります。

谷口:
「阿尾羅吽欠姿婆詞」(あびらうんけんそわか)を
「油桶底ぬけ」(あぶらおけそこぬけ)と言って
病気を治したという話もきいています。

篠原:
「尻々、マカ尻、尻々、ソワカ」と言って病気を治した人もあります。
これは「修利修利、摩詞修利、修利修利姿婆詞」
(しゅりしゅりまかしゅり、しゅりしゅりそわか)の間違いであります。

谷口:
御経を理解して読んだら相手に感応して病気が治るというのは
読む人の真理の念波が感応するのです。
今まで御加持に使っていた真言がまちがいだったと解った時に
その婆さんの御加持が効かなくなったのは、お婆さんの信念が
動揺を来して強い信念の念波を相手に与え得ないからです。

要するにこの世界は念波の世界です。
治るという信念があれば御経がまちがっていても治るのは、
鰯の頭でも信ずれば御利益があるのと同じですが、
信念がなければ、治らないのは阿弥陀様の前に坐っていても
信念のない人はすくわれないのと同じでありましょう。

本来お経をあげて病気が治るというのは
お経そのものの意味を病人の潜在意識が理解し得て治る場合と
お経をあげたりお題目を称えたりする人の悟りの念波が感応する場合と、
たんに「これで治る」という信念の強さが波及して効く場合とがありまして、
信念さえあれば、キリストも言っているように芥種(からしだね)のごとき
信念だにあればこの山にかしこに移れと言っても、それが実現するのです。
だから信念さえあればどんな呪文を唱えてもよいし、
また唱えないでもよいのであります。

それからまた、お経の治病的要素としては、
このお経はありがたいということを人類の何割かが知っている。
それは意識の表面には現われていないけれども、
そういう信念の波は宇宙に満ちている。
その信念の波にちょうど感合するようにその経をあげると
人類の何割かの信念の波がそこに具象化して病気が治るのであります。

もう一つは、佛教の経典にはそれを護持している仏霊がある。
神道の経典にはそれを護持している神霊がある。
その仏霊なり神霊なりが感応して来て病気を治す場合もあります。

高橋:
そうすると何も生長の家の聖経『甘露の法雨』でなくとも
『般若心経』を一心にあげてもよいわけでありましょう。

野田:
「般若心経」を棒読みにするのでは
専門の坊さんのほかは意味がわからないでしょう。
聖経『甘露の法雨』は同じ真理を極解りやすく書いてあります。

高橋:
「表面の心」は『般若心経』の意味は解らなくとも、
われわれの「奥底の心」は意味が解るとおっしゃるのではありませんか。

谷口:
われわれの「奥底の心」は「表面の心」の知らないことも知っています。
しかしそれは全能の神性のことではありません。
全能の神性なら、何も真理を読んで聞かしてもらわなくとも、
真理そのものだから真理を知っているのです。

われわれがここで奥底の心というのは
野田さんのおっしゃるように守護神というのもある。
また本人自身の霊魂の潜在意識もある。
それは一個の幾度もこの世に生まれ代わって来た霊魂であって、
肉体の知らないことも知っていますけれども、
全然真理を知り尽くしたものでもありません。

やはり解り難い言葉よりも
解りやすい言葉で聞かしてもらう方が解りよいのです。
それに読んで聞かしてもらう病人が大人である場合は、
肉体の意識の方も意味が解って真理を悟る方がよい。
ことに重要なのは読む人の心が、
読んでいる間じゅう真理を悟らしめられ、
高められて、その高められた平和な確信に満ちた
精神波動を病人に送ることになることです。

御経を棒読みにするのでは、専門の坊さまは別として
読む人だって意味がわからないから、
こんな事が効くのだろうかと思って頼りないし、
読む人自身が真理がさとれず平和な確信に満ちた
精神波動を病人に送ることができないでありましょう。
こうして古い御経では現代人には信念が高まりにくい。
神は救うてやりとうても信念が高まらねば救いようがない。

そこで神の救いの摂理として「生長の家」が
現代に適するように出現したのであります。
「生長の家」の聖典『生命の實相』を読んで病気が治る
という事実は古今を通じ各宗を通じた真理が新しい迫力をもって
現代人の心を打つような形をもって出現したからだと思います。
したがって各宗の諸神諸霊が聖典『生命の實相』を
護持していられるというような事実もあります。

大村:
ある霊学者の説によると病気のほとんど全部は、
悪霊の災いで、黴菌や災難もみな
悪霊が武器として使うものだと言うじゃありませんか。

谷口:
それはなるほど、一面の真理であります。
医者は悪霊が武器として使った黴菌を征服する方法を考えています。
心霊療法家は、その悪霊と正面から戦って退治する方法を考えています。
生長の家では悪霊と共鳴するような悪精神波動を起こさないようにして、
悪霊がいても害をすることができないようにするものです。

悪霊は魚みたいなものです。
その波を干上がらしてしまえば悪霊が禍いをしようと思っても
水のない魚のように禍ができなくなるのです。
そうさせるのが生長の家の「神想観」であり、
聖典の一章の毎日読誦であります。

----------------------------------------------------------

これについても私は異論はない。

「神想観」とは内観の一種で、まだ紹介していないが
ハイパーネオデジタル内観の一部として私の日課でもあり、
そのうち載せようと思いながら何年経ったことだろう(笑)


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posted by ZERO at 22:55| Comment(0) | 呼吸法・瞑想法・言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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