

通行人で隠れてしまったが、
警察官が50ccの原付で2ケツしていた(道交法違反)

館内撮影禁止で撮影できなかったが、
漫画の展覧会のような所に行った。

火の鳥のモニュメントだけ撮影した。

そして、久しぶりに貴船神社に行きたかったので、
提案すると合意したのでレンタカーを借りて案内した

前に見えるのがデーモン字山(笑)

鴨川沿いの川端通りを北上

正確にいうとここは高野川で、高野川と賀茂川が
下鴨神社のある出町柳で合流して鴨川となる。

それが更に琵琶湖を水源とする宇治川など合流し、
最終的に大阪湾に流れ込んでいる。

秘密の花園橋

これを右折すると比叡山や八瀬・大原方面で、
直進すると岩倉・貴船・鞍馬方面である。
御父の情報によると、
岩倉実相院に裏天皇がいるそうだが、
私は御所に住んでいると思っている。
道を間違って田圃道に迷い込んだ。

前方に見えるのが比叡山

岩倉を越えて貴船方面に向かっていたのだが、
道に迷ってナビで「貴船」を設定したものの、
絶対におかしいと思いながらナビに従ったら、
なぜか下鴨の方に戻ってきてしまった……。
原因を究明した結果、貴船神社とは無関係な
下鴨貴船町という所に誘導されたことが判明(笑)
ようやく貴船神社の奥宮に降臨

そして、中宮に戻った。

巨石

最後に、最初に通過した本宮に向かった。

車が来ているのにどこうともしない人間ども!轢いたろか!(嘘)
ごめんなさい 許して下さい 愛してます 有り難う御座います 感謝します

この川床も一度は行ってみたかった。

そして、ついに川床に行くことになった。

この貴船川が鞍馬川と合流し、その後、鴨川に合流し、
最終的に淀川に繋がっているので、
大阪人が飲んでいる水道水には貴船の水も入っている。

貴船の川床は「京都の奥座敷」と呼ばれている。

だが、空いている駐車場の店しか入れず、
この川床の向かいの店に接待されることになった。

とろろそばをご馳走になった


出口王仁三郎は「ネギは良い」と言っているが、
私は普段はネギも一応禁止食品に指定している。
(2日連続で食べたが……。)

私は朝と昼は原則として食べないが、
1日2日ほど断食していた場合は、
家で昼食にそばを食べることがある。

そうめんやうどんの時もあるが基本的にはそばが好きで、
石原結實氏も昼食を食べるならそばが良いと言っている。

無目金(目のない金魚)がいた。

参拝は空腹時に行なうのが基本だが、
食事の為に駐車しないと参拝できないので、
やむを得ず食後の参拝となった。
貴船神社 本宮

全国に約450社ある貴船神社の総本社である。

京都人はみんな「きぶねじんじゃ」と呼んでいるが、
Wikipediaによると……
『地域名の貴船「きぶね」とは違い、
水の神様であることから濁らず「きふね」という』

貴船神社は丑の刻参り(呪いの藁人形)でも有名だが、
「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に
貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、
丑の刻に参拝して願いを掛けることが心願成就の方法で、
呪咀が本来の意味ではないそうである。

社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、
黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、
水神を祭ったのに始まると伝えている


で、社名の由来は「黄船」によるものだという。

長らく賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされてきたが、
これは天喜3年の社殿再建が契起となっているとする説がある。

近世以降、それを不服として訴えが続けられ、
明治以降になってようやく独立の神社となった。

絵馬発祥の地でもある。

神社自体が欲望の坩堝だが、
よく考えると七夕飾りも欲望の固まりである。

「また来ます」という短冊もあった(笑)

「〜ますように」という願い事が多いが、
欲望系は神仏と波長が合わないので、
過去完了形で書くことが基本である。

祭神:高龗神 (たかおかみのかみ)

江戸時代までは上賀茂神社の賀茂別雷命も祭神としていた


昔はペットボトルを沢山持って来て、
毎月汲みに来ていた。

波動測定によると、
貴船の神水は霊障にも効果があるが、
フォーグに乗せた水を飲んでも霊障に効果がある。

低級霊は有害電磁波で、霊障は細胞の電磁波被曝だが、
フォーグは電磁波の影響を受けにくくし、
細胞に電子を供給して修復する働きがあるからである。

帰りに「上賀茂神社」を通過した。

深泥ヶ池という心霊スポット

宝ヶ池

私の地元の懐かしい駅

私は一睡もしていなかった上に、
標識や交通ルールを覚えておらず、
信号にも気づかないことがあり、
結構スピード狂だが安全運転である。

大空を見上げてハンドルを手放し、
流れに任せて運転するのは危険である(笑)

次に向かったのは平安神宮である。

大鳥居

平安神宮は、延暦13年(794年)の平安遷都から
1100年を記念して明治28年(1895年)に創建された。

「エルサレム神殿」と呼んでも良いだろう。

平安神宮も幼少の頃から茶会でよく来ていたので、
私の庭のようなものである。

主祭神は、あの悪名高い桓武天皇である。

皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、
平安京で過ごした最後の天皇である
第121代孝明天皇が祭神に加えられた。

桓武天皇は平安京に遷都をしたことで知られるが、
それを裏で操っていたのは秘密結社「山背派」である。

京都府南部を「山城国」と呼ぶが、
Wikipediaには次のように書かれている。
「やましろ」は、古くは山代と書き、
7世紀に山背国という表記で国が建てられた。
794年12月4日の平安京命名の際に桓武天皇が、
山河が襟帯して自然に城をなす形勝から山城国に改称した。
平城京時代の木簡を見る限り
「山代国」「山背国」の表記は並存していたと見られている。

「山代」→「山背」→「山城」と変化しているのが分かるが、
この山背派というのは長岡京を拠点とする秦氏である。

その秦氏の中でも山代(やまだい)の国、
即ち「邪馬台国」を支配していた連中であることが分かる。
平安神宮前の冷泉通り(冷泉家も藤原支族)

「桓武の夢を一度は叶えた国民よ、此度は思いとどまれよ」
(アーリオーン・メッセージ)
呪われて建国された国「日本」
http://jew-beast.seesaa.net/article/153801841.html

23歳の時、平安神宮の池に亀を放しに来た。
小4まで通っていた平安神宮の近くの小学校

次に清水寺に行ったが、
駐車場の時間が終わっていて仕方なく引き返した。

鴨川

鳥のようだが、鳥にしては大きなUFOが写っている。

「UFOを見た」と言うと「見間違いだろう」という人がいるが、
UFOとは「未確認飛行物体」という意味である。

だが、完全にエイリアンの乗り物であるUFOを
年に1回か2回は目撃している。
八坂神社

御池通り

そう言えば、バシャールの予言では、
1997年にアメリカで1万人以上が目撃したと言われる
フェニックスライト事件の時のヤイエルの宇宙船が、
次に目撃される可能性が高いのは2013年だろうとのことだが、
果たしてどうなることだろうか……。
汝、宇宙連合と交信せよ!
http://new-mu.seesaa.net/article/311799244.html

レンタカーを返し、電車で京都駅に向かった


こころはずむワクワク空間!

「京都に暴力団はいりまへん」というポスターがあった。

暴力団という呼び名は蔑称で、本来は
天照大神をヒエラルキーの頂点とする「任侠」である。

それはともかくとして、暴力団と警察は表裏一体で、
どちらかが欠けても国が成り立たない面があり、
暴力団だけを排除しようという考え方は間違いである。

それは「警察=善」「暴力団=悪」という観念が原因で、
実際にはどちらが善で悪とは一言では言えない部分がある。

警察も暴力団も自分の投影だが、
仮に「警察=善」「暴力団=悪」と定義しても、
悪だけを排除するという考え方は中心から外れている。
京都タワー展望台

『日月神示』にも「悪を悪と見るのが悪」と示されているが、
関連する箇所を抜粋して載せていこう↓
「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、
輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ。
この御教に人民は、すっかり騙され悪殺すことが
正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ。
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、
平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、
悪はますます増えるのみ、悪殺すてふそのことが、
悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ。
本来悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、
八岐大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生ける神、
神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、
あななふ所に御力の、輝く時ぞ来るなり、善いさかへば悪なるぞ。
善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ。
ただ御光のその中に、喜び迎へ善もなく、
悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし」

「悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、
歓喜を殺し、総てを殺す結果となる」

「大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが」

「悪殺してしまうのではなく、悪改心さして、
ミロクの嬉し嬉しの世にするのが神の願いざから、
この道理忘れるでないぞ」

「悪も御苦労の御役。この方について御座れ。
手引いて助けてやると申してあろが。
悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」

「悪の世が廻りて来た時には、
悪の御用する身魂を作りておかねば善では動きとれんのざぞ。
悪も元を正せば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、
憎むと善でなくなるぞ、天地にごりてくるぞ」

「悪も善に立ち返りて御用するのざぞ、
善も悪もないのざと申してあろがな」

「悪も御役であるぞ。
この道理よく腹に入れて下されよ」

「悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として
育て給わんがために課せられたる地上人の
光栄ある大使命なることを自覚しなければならない」

私は「警察破壊」を提唱する以上、
「暴力団破壊」もワンセットではあるが、
今の時代はまだ警察も役割としては必要で、
暴力団も今後反転して「任侠」に戻り、
良い意味で「御用の悪」として活躍する使命がある。

Wikipediaには次のように説明されている↓
「任俠とは本来、仁義を重んじ、
困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、
彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神を指す語」

天照大神(イエス・キリスト)を信仰し、
奉仕(自己犠牲)の精神を持ち、
場合によっては法律を破ってでも日本を守る……
任侠道はそのようなスピリチュアリズムなのだ(笑)

私は昔、警察にも暴力団にも敵対意識を持ち、
闘争心むき出しで喧嘩してきたが、
今はどちらも肯定はしていないが否定もしていない。

どちらも善悪二面性を持っていることを理解し、
どちらも自分の投影であることを認めて受け入れ、
抱き参らせることが大切である。

トータル的には「全肯定」ということになるが、
批判するべきところは痛烈に批判する。

だが、それはあくまでも
自分の投影であることを認識した上での話なので、
一般的な人間の感覚でいう「批判」とは、
全く根本的に次元の異なるものである。

警察や暴力団というと、私にはよい思い出はないが、
今はどちらも愛している為に奉仕(救済)の対象である。

誤解のないように言っておくが、
私は人類を平等に愛している上で、
各々の本来の使命について述べているのである。

「死の意識」と日本を救う極道の大和魂
http://mujaki666.seesaa.net/article/167844277.html
汝、極道になって昇天せよ!
http://new-mu.seesaa.net/article/364971130.html

何か話題が日記から大幅に逸れたが、
京都タワーで手相占いをして(次回公開)、
次に京野菜料理の居酒屋に招待された。

私は飲酒をする時は基本的に食事をしないので、
もちろんここでも私はビール以外は注文しなかった


私は注文していないが次々と出てきて、
食べるように勧められた


私は普段は漬け物以外の野菜も殆ど食べないので、
野菜の料理も美味しく感じた。

おつまみ程度なら良いのだが、
米とビールを同時に飲食すると、
胃の中で泡が膨張してすぐに満腹になる。

ビールは2〜3杯しか飲まなかった



東本願寺

街に戻ってカラオケに招待され、
ここでは飲み放題でガッツリ飲んだ











この時に「うたスキ」に登録して初めて撮影し、
今までに44本の動画を撮ってきたが、一番最初に撮影した
この「カタルシス」という曲が最もまともに歌えている

カラオケの終盤で、友人は私の歌を聴いて号泣していたが、
「カタルシス」を歌ったのは予言だったようである。

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