電車の都合で(←あくまでも電車のせい!笑)、
15分遅刻して麻布十番に到着した。
私は電車の中で億人28号に次のようなメールを送った↓
「半田氏によると空間に奥行きがあると思うのは錯覚らしいです。
距離はないと思うようにします」
そして、往復の電車の中で作った記事を載せておく↓

距離が存在しないなら移動の必要もなければ、
時間が掛かることもなく遅刻も有り得ないのだが……。
霊界でも空間や時間があるように見えるが、
空間や時間の移動が自由自在なので本質的には存在しない。
ということは、その投影である物質界も本質的には
時間も空間も実在ではないと言えるかもしれない。

「魂は肉体に宿っていない」という持論を度々書いているが、
これはあくまでも「内外反転」の認識による感覚的なものである。
また、「魂はこの宇宙全体に遍在している」とも書いてきたが、
これも同じく「内外反転」の認識による感覚である。
つまり、魂とは宇宙そのものだと言えるのだが、
これは「天人合一」の体験からも言えることである。

半田広宣氏によると、
3次元の空間に奥行きがあるように見えるのは錯覚で、
実は平面(2次元)の世界だという。
「シリウス革命」と七夕の御用
http://new-mu.seesaa.net/article/368729319.html
私も固定観念があるので、
その話を聞いた瞬間は「そんな馬鹿な!」と思った。
実際に距離は存在するし、「近い・遠い」というのも
単なる感覚ではなく測れるものである。

だが、距離があるという思い込みにより、
そのような現実を創り出していると言われると、
そのように感じられなくはない。
オコツトが言う「無限遠点」というものを、
私は昔から感覚的に感じることがあった。
特定の何かに焦点を合わせずに、無限に遠い地点、
つまり宇宙の果てを見るように一点を見つめる訓練を、
私は小学校の頃からやっていた。

それによって、無限遠点は自分の位置だということを、
いつの頃からか漠然と感じるようになっていたので、
この宇宙は奥行きのない平面だということは、
信じられないが理解は出来なくはない。
そうすると、魂は平面の存在ということになる(笑)
だが、半田氏によると幅というのも錯覚に過ぎず、
奥行きと同様に幅もミクロに圧縮されたものが、
物理学で「素粒子」と呼ばれているだけだという。
要するに、奥行きや幅、
つまり空間が存在すると思っているのは自我であり、
それが意識進化を妨げている大きな要因だという。

その話はまた別の機会にするとして、
まずは奥行きを圧縮して、
この世をスクリーン(2次元)と仮定してみよう。
魂が見ている夢の世界が「この世」だとすると、
この世が2次元であることが理論的には理解が可能である。
夢を見ている時、奥行きと幅のある空間だと認識しているが、
夢というのは一種の映像であり、2次元のスクリーンに
潜在意識が投影しているものだからである。
だが、それはイメージ的に2次元のスクリーンなだけであり、
そのようにしか表現できないからそう言っているだけで、
実際に2次元のスクリーンが存在しているわけではない。
もちろん、これは霊界を度外視した説明だが、
話が複雑になるのでとりあえずはそれを前提に説明する。

睡眠中に見る夢のことを考えれば、
魂というのは宇宙の外側にあるのかも知れない。
魂が見ている夢が、この世界(宇宙)だからである。
そうすると、私の「内外反転」の感覚も説明がつく。
イメージしてもらいたい。
夢を見ている時、夢の世界は自分の内側だろうか、外側だろうか。
外側の出来事だと答える人はいないだろう。
つまり、この世界(宇宙)は魂にとって「内側の世界」なのである。
私が自分の外側の世界を「内側」と認識しているのは、
真我(魂)の意識に目覚めかけている証拠だと言えるだろう。

もりけん氏は高次の存在にこう言われている。
「本当の内側は、
本当の外側に行かないと行くことができません。
しかしあなたは今、時間の空間にいます。
空間的に考えられる外側ではありません。
流れそのもに載った時、あなたはいつでもここにいます」
「内側」と「外側」は人間の視点で説かれているはずだが、
「本当の内側」と「本当の外側」とは何を意味するのか……。
「本当の外側」とは肉体の外側ではなく、宇宙の外側、
つまり、夢を見ている魂の外側の世界のことであろう。

真我が見ている夢の中の自分が、今の人間の自分である。
自分が夢を見ていることをイメージすれば分かると思う。
夢の世界の外側、つまり、
夢を見ている真我の外側の世界が「実在の世界」であり、
それは今の自分の「内側」からしか行けないということである。
「内外反転」の理論から言うと、
肉体の内側が「外側の世界」である。
それは本当の外側ではないが、本当の外側に行く為には、
まず外側(肉体の内側)に入らなければならない。

だが、もりけん氏が遭遇した天使は
「本当の内側は本当の外側に行かないと行くことができません。
空間的に考えられる外側ではありません」と言っている。
宇宙の果てまで行っても宇宙の外には出られない。
私の感覚からすると、宇宙の果ては宇宙の中心で、
それこそが自分の肉体であり、その中心が胸である。
また、坂本政道氏も体外離脱体験により、
宇宙の中心には宇宙の外に出る穴があるというが、
私から言わせれば、それは体内離脱(インナートリップ)
で自分の胸を入口とする大宇宙の中心なのである。

もりけん氏は天使にこう質問している↓
「ここは私の肉体から最も遠い地点なのでしょうか?」
それに対して、天使はこのように答えている↓
「空間的遠いという質問でしょうか。
ここは空間ではありません。時間次元です。
時間の流れの中でしか遭遇できません。
その代わり流れに乗れば距離はゼロです」

さて、自分がいる「この世」は真我が見ている夢なのだから、
1人1人が異なる世界に住んでいることは理解できると思う。
この世の人間の夢とは違って、
真我は自他一体なので共通の夢を見ている為、
人類は同じ1つの世界に生きているように感じているのだ。
例えば、A氏とB氏が一緒に月見をしているとする。
2人が同じ月を見ていることは確かだが、
それは同じ夢を見ているということであって、
それぞれ自分が映し出している月を見ているからで、
AとBは別の世界に住んでいるからである。

自分の世界には自分しか存在せず、恋人は自分の投影で、
恋人にとっては自分は恋人の投影である。
そして、その自分さえもが、真我が見ている
夢の中の登場人物であり、実体ではないのだ。
即ち、真我の投影であり、真我(魂)と自我(心)が
別物だという私の主張も理解できることと思う。

もちろん、魂も「心」だが、いま生きている自分の心とは
別ものだということが分かるはずだ。
投影なので別ものではないが、別ものと表現するのが適切で、
それ故に「心」と「魂」という言葉で区別されているのだ。
「汝の魂は宇宙の外にある!」というタイトルにしたが、
魂が宇宙を内包しているとも言える。

その魂(真我)の姿はユングが視たヴィジョンのように、
夢の中(この宇宙)に存在する自分の姿と同じなのかも知れない。
私は「魂に姿形はない」と言っているが、
それは「本当の外側」の話ではなく、
内外関係なく、宇宙レベルでの話である。
この空間概念は時間概念とも関連し、
理論的にだが時空の謎が徐々に解けてきたので、
改めて記事にする予定だが、次回は
「無限遠点」の認識を獲得するメソッドを紹介する。

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あなたはよく人間の、いや宇宙の真理を理解してらっしゃいますね。
まだまだだとは思いますが。
でも文章がわかりやすく上手です。
たまに読むと面白いですね。
そうですね!
真理は知れば知るほど謎が深まるので、
真の意味での悟りは永遠にないかも知れません。
だからこそ面白いのですけどね^^
私の文章は複雑で煩雑だと自分で感じる時がありますが、
わかりやく楽しく読んで頂けて感謝します^^
「本来あるはずないのに縦横奥行の〜空間?〜を
つくりだしてあるのはなぜなんだろう」
ってね、それは一体何者がなんのためなんだろう、ってね、、、。
中年もとうにすぎてるのに狂っちゃったのかしらと悩み・・・。
zeroさんのような方がいらしてホントに良かったです。
わたしの鏡なんでしょうが、お礼をいいたいです!