2013年11月02日

覚醒に到達する為の思考法

前回の記事で「空間の奥行きと幅」について書いたが、
半田広宣氏は人間の意識的変容に歯止めをかけているのは、
空間認識の観点からみると「幅の世界認識」に尽き、
「奥行きと幅」というこれら単純な二つの観念こそが
覚醒に到達する為の思考法の原点であると述べている。

無学な私にとっては少し難解だが、
以下、半田氏のFBより抜粋して転載しておきたい。
https://www.facebook.com/handa.kohsen

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この半年間というもの奥行きと幅の関係について
ずっと考え続けている。きっきり言って病気だ(笑)。

それは「奥行きと幅」というこれら単純な二つの観念こそが
実のところ本性上の差異(スピ系的に言えば覚醒のようなもの)
に到達するための思考法の原点であると考えているからなんだけど、
さすがに睡眠中にまで幅と奥行きが作る十字架が
いびきの音に合わせてクルクル回ってるってのはヤバい(笑)。

「本性上の差異」。。分かりにくい言葉だろうと思う。
これは一言で言えば、あらゆる存在を他として見て
内包している自己自身との差異ということだ。

つまり、人間という領域から出ることとでも言おうか。
それをベルクソン=ドゥルーズは
持続と主体との直接的一致と考えている。

奥行きが持続の場所であるのならば、
奥行きそのもの中に身を投げ入れることが
この「本性上の差異」への到達となるのだけど、
そこで事を終わらせてしまっては「主客の一致」
という従来の神秘的達観の域を出ないという意味で
「本性上の差異」への到達には至ることはない。

問題はそこからいかなる知を作り上げるかなのだ。
そこで時間と空間が混淆した時空という場を後にして、
複素空間という差異の運動の場に侵入する。。
というストーリー。

そこでは今度はそれぞれ独自の
奥行きと幅を持ったものが二人登場してくる。
それが構造としての自己と他者というものだ。
こいつらには羽が生えていて、
タケコプターのようにクルクルと奥行きと幅を回しては、
一緒に手を取り合って次元を上昇していく。

西田哲学風に言えば「自己の中に絶対の他を見る」
という感覚なのだろうが、この思考なかなか楽しいのだが、
楽しすぎて眠りの中まで入ってくる始末。
ここは心機一転、地上でのエロごとでも考えることにしよう(笑)


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【ヌースビギナーズ用】

空間について考えるときのコツ。
奥行きには3次元と4次元が重なっていると考えましょう。
モノから広がる空間は3次元ですが、
観測者から広がる空間は4次元です。
「モノを見る」ということが起きている空間は
こうして3次元と4次元が重なり合っていることになります。

さて、観測者から広がる空間にも二つあります。
つまり、4次元には二つの種類があるということです。
一つは他者の周りに広がっている空間。
もう一つは自分の周りに広がっている空間です。
前者が4次元時空、後者が4次元空間です(実数空間で言えば)。
まずはこれらの区別をしっかり把握しましょう。

今の一般的な空間認識はこれらの空間の違いがすべて
ゴチャッていて、4次元時空で統一されています。
見るものと見られるものの区別が全くついていないのです。
この混雑化が無数の「宇宙のウソの常識」を作っています。

その最たるものが「人間がいなくても宇宙はある、
あり続けている」という考え方です。素朴実在論と言います。
6500万年前に恐竜が存在していたとか、
137億年前にビッグバンが起こったとかいう類いの話は、
「人間がいなくても宇宙はある」という考え方に支えられています。

しかし、モノから広がる空間は3次元です。
ここには時間の要素がありません。
つまり、瞬間でしかないということです。
ですから、純粋にモノだけの世界は存在することはできません。
そんな世界でどのようにして出来事が起こるというのでしょう。
この素朴実在論の呪縛から解かれる時が迫っています。

さて、もう一歩突っ込んで、
他者だけが存在している世界を想像してみましょう。
そこには時空はあります。しかし時間は常に流れて行くものです。
異なる一瞬一瞬が次々と現れ出てきます。
しかし前の一瞬、さらにはその前の一瞬……というように
一瞬の連なりの記憶がなければ時間の流れは分かりません。

「世界は4次元時空です」と得意げに言う人たちがいますが、
それは他者しかいない宇宙と考えた方がいいでしょう。
見てる自分も他者のように見立てて、実際に見えている世界、
4次元空間から離脱してしまっているのです。

僕が「奥行き」についていつもブツブツつぶやいているのも、
この奥行きこそが流れる時間の記憶をすべてストックしている
4次元空間(実数的には)だと考えているからです。

ヌーソロジーではこのように時間の流れを把持
(一気に持つ)できている奥行き世界のことを「人間の外面」、
単なる時空の世界のことを「人間の内面」といいます。
ここからびっくりするような認識の転回が起こります。
つまり、時空とは見えない世界だということです。


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転載終了。

素朴実在論についてはセミナーでも聞いたが、
半田氏は次のように言っていた。

「宇宙はビッグバンから始まり、単細胞から進化し、
猿から人間に進化したという進化論を信じている魂は全滅する」


時間の流れや進化論は3次元的には間違いとは言えないが、
それが世界観の本質的な間違いだと言える。

もちろん、ビッグバン仮説や進化論を信じていると
淘汰されるというのは極論ではあるが、
3次元の世界観に囚われていると意識進化できないといことだ。

オコツトが「宇宙と人間の誕生は同時の出来事」と言っている通り、
宇宙は自分の投影であり、自分が生まれた瞬間に誕生したものなのだ。

だから、自分が死ぬと同時に宇宙も消滅し、真我が完全に覚醒しても、
自分の肉体とその投影である自分の宇宙も消滅することになるのだ。

即ち、1つの世界に70億人が住んでいるという3次元認識は、
自我による錯覚に過ぎないということである。

故に、変換人の意識に進化することなく、
人間次元の意識(自我)のままでいれば、
3次元の物質界の滅亡と共に魂も淘汰されてしまうことになる。

「シリウス革命」と七夕の御用
http://new-mu.seesaa.net/article/368213069.html

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引き続き、半田氏のFBから転載する↓

複素2次元空間

3次元の認識というものを静的なものと思ってはいけない。
見えている世界は実空間としては2次元である。
それを3次元に見てしまうのは、
この見えている2次元が回転ドアのように上下方向を軸として
クルクルと意識の中で回転しているからだと考えよう。
このとき、回転する2次元を絶えず見つめている仮想的な視線がある。

前をずっと見据えている視線と、
方やクルクルと対象の周りを回っている視線。
この二つの視線の支え合いによって3次元という認識は起こっている。
回っている視線というのは言うまでもなく、
他者の視線をわたしが拝借したものだ。
だから、他者なき世界では3次元認識は生まれない。

目の前の実の2次元の平面と、わたしとあなたの2本の視線。
視線とは奥行きのことでもあるのだから、
これを虚軸と見なぜば、世界は複素2次元空間
(実軸2本と虚軸2本が互いに直交する空間)と見なされることになる。
4次元時空なんて代物より、この複素2次元空間の方がよっぽど
「見える」という感覚に忠実な空間認識の表現に思える。

ラカンは虚数単位√-1のことを勃起器官と呼んだのだけど、
物理学者のソーカルから「それは穏やかではない」と揶揄された。
しかし、ラカンの方が正しい。
奥行き(虚軸)は存在を受胎へと向かわせる勃起器官だ。
反転したファルスと呼んでいいかもしれない。
凸ではなく凹としての器官。
要は奥行きは宇宙的女への入口たるヴァギナなのだ。

この宇宙的女の世界たる奥行きへの侵入を疎外しているのが
「父の審級」としてのファルス(男根)なのだが、
それは幅側に入り込んでいる奥行きと言っていい。
すなわち左右からの視線としての他者(大文字)の視線である。
これによって本来の奥行きが幅に変えられている。
3次元の空間認識はこのファルスの産物なのだ。

複素2次元空間には全部で四本(実・虚・実・虚)の軸がある。
だからそこで起こっている回転の自由度は全部で六つある。
この六種類の回転が全部見えるようになってくれば、
君は父がかけた3次元空間の呪いから完全に離脱することができる。

僕が世界の「複素2次元」への置換にこだわるのは
理念の発生的場所とも言える〈零度〉の
位置(存在の折り返し点と言ってもいい)があると信じているからだ。
僕らは理性に世界を略奪されてしまっている。
理性はインプットがあって初めて働くものであって、
あくまでも受動的な力にすぎない。

この受動性を能動性と勘違いしているから、
人間は理性の力で世界がいつまでも進歩・発展する
というふうに今でも思い込んでいる。
しかし、理性は限界にきていることを
誰もが薄々感じ始めているのではないか。
ここは一発、理性が偽りの能動性であるということを示すためにも、
時間という観念をその根底から解体しなくてはならないと思ってる。
なぜなら、おそらく時間こそが理性の本質であるように思えるからだ。

近代以前、ヨーロッパの思考者は理性の上に
「能動知性(ヌース)」というものを置いていた。
能動知性とは真なる能動力、すなわち存在の原因となった力である。
時空は存在の結果として出現しているのであって、
その原因となるものは当然、時空には存在していない。
時空を出現させたもの。それが能動知性の力だと思考者は考えていた。

この能動知性とは早い話、「神」ということになるのだが、
近代の理性がこの神を宗教の方にけ散らしてしまったのだ。
それによって宇宙を動かしている能動的な力の存在に蓋をして、
それを思考することを狂気と呼んで疎外している。
能動知性はいつまでも理性の横暴を放ってはおかない。

たとえば荒川修作は「天命反転」のスローガンのもとに、
この〈零度〉の空間を芸術を通して出現させようとした。
言うなれば新生児の目玉を作り、新しい身体を組織化し直そうとしたのだ。
理性はそんなアラカワを「アラカワは狂っている」と平気で言う。
身体は物質であり歴史であってアラカワが考えるような理念ではないと。

物質、歴史。これが理性の確固たるフランチャイズである。
創造されたものと、そして、それらが展開してきた進化の尊厳。
これらを白紙還元するなどとは言語道断、
何たる不敬の輩か、といった具合に。
世界はどっぶり受動性に浸かっているのだ。
能動知性の存在を信じれるか信じれないか−−。

もし信じれるのであれば、
この信仰を単なる「祈り」型の宗教にするのではなく、
新しい思考様式として能動的に彫塑していかなくてはならない。
これがヌーソロジーの中に感じられる
もはや止めることのできない衝動である。


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転載終了。

私は空間だけではなく時間の感覚にも変容が起きているが、
時間の謎については今まであまり取り組んでこなかったので、
現在は「時間」について研究をしている。

私は2歳の頃から「空間」や「時間」について考えてきたので、
その解明は私の使命の1つなのだと思っている。

また、「理性が偽りの能動性」で「時間こそが理性の本質」で、
「時間という観念を根底から解体しなくてはならない」という。

即ち、理性を破壊する必要があるということである。
何故なら、意識進化の過程では時として理性も必要だが、
理性は自我であり、本質的に真我の覚醒を妨げていると言える。

例えば、過度の飲酒をして理性を失い、
泣き出したり怒り出したりする人がいるが、
それは肉体意識(自我)が薄れることによって
幽体意識(潜在意識)が前面に出てくるからである。

要するに、理性が無くなることによって、
真我に近づいていくということである。

もちろん、泣いたり怒ったりすることが真我ではないが、
幽体意識は肉体意識よりも真我(魂)に近く、
幽体のネガティブな感情を吐き出すことも必要である。

もちろん、感情を吐き出すだけではなく、
内観や言霊で潜在意識を浄化していかなければ、
一生同じことを繰り返すだけの人生となってしまう。

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引き続き、半田氏の話を抜粋しよう↓

とにかく奥行き

何度でも言っておこうと思います。
人間の意識的変容に歯止めをかけているのは、
空間認識の観点からみると「幅の世界認識」に尽きます。
世界を幅でしか認識してないために、
世界のあらゆるものが数量化され、
何事につけてもソロバンをはじくような
ごくごく表層的な思考しかできなくなっているのデス。

「幅の世界認識」に対して
「奥行きの世界認識」というものが存在しています。
奥行きを通した世界認識が起こっているところは
幅の世界認識が起こっているところとは全く別のところです。
現在の人間にはこの区別が全く見えていないので、
世界が物質でできているかのような錯覚に陥っているだけなのデス。

「奥行き」は世界の存在を感じ取っている
主体自身が息づいている場所です。
「幅の世界認識」の中では、この「奥行き」が存在しているところは
ミクロの極限の中に存在しているかのように見せられる仕組みがあります。

奥行きは知覚的事実としてつぶれています。
このつぶれた奥行きを幅にあてがうと、ミクロに入り込むのは当然デス。
こうしたミクロに入り込んだ奥行きが
物理学では素粒子と呼ばれているだけなのデス。

「今まで巨大な宇宙と思っていたもの」が、
奥行きの空間知覚を通じて一気に世界の極小の中に入り込むという出来事。
とうにそれは無意識の中では起こっていたのだけど、
それがあからさまに意識化されてくるという出来事。
この出来事のことをヌーソロジーでは「顕在化」と呼びます。

この「顕在化」が起こると、もうわたしたちは魂や霊といった存在を、
正体不明の抽象的な言語概念で表現する必要がなくなってきます。

今まで幅で埋め尽くして表象化していた空間を、
すべて奥行きで埋め尽くすことによって、
幅の勢力と奥行きの勢力の逆転が起き、
わたしたちの意識は物質意識から霊的意識へと
相転移を起こすことができてきます。

魂霊的世界の形象化が始まるのです。
そして、それは今まで物理学者たちが一生懸命探って来た
素粒子世界の構造と一致してくるはずです。
それは創造の元初が実は、わたしたち人間が息づいている
場所であったということの覚知につながっていきます。

そうした目覚めの中で、現代物理学が持った物質的宇宙観は
もうまもなくすべて刷新され、世界全体が霊的世界認識へと
シフトしていくことになると個人的には考えています。


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転載終了。

今まで巨大な宇宙と思っていたものが、
奥行きの空間知覚を通じて
一気に世界の極小の中に入り込んだのが素粒子で、
それがあからさまに意識化されてくる出来事を、
ヌーソロジーで「顕在化」と呼ぶそうである。

私はあからさまに意識化されていないが、
顕在化と似たような認識と感覚がある。

それは今までに何度も書いてきたことが、
宇宙の果ての無限遠点を自分の位置に知覚すると、
全宇宙が自分に集約されてしまうのである。

故に、「人体は大宇宙」ということが理解でき、
外側の世界を「内側」として認識してしまうのかも知れない。

尚、宇宙が素粒子に集約されるという話は、
伯家神道の秘儀継承者で、
ロゴストロン開発者の七沢賢治氏が説く
「マクロの量子論」に通じる話だと思う。

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意志進化論 日本神話の創造情報

「人類の進化にとって不可欠なことは、意志の進化を図ること。
意志の法則は言霊によっている。
言霊を量子で発信して、人類の進化に寄与する。
人類が五次元を自覚すると、
文明閉塞や環境危機などの諸問題に画期的な活路が開かれる。
その転換には、意志知識の統合のベクトルと階層の視点を持ち、
ミクロの量子論からマクロの量子論へ発展させる必要がある。
五次元開顕と対になっているヒッグス粒子発見後のマクロシフトと、
その行動倫理的取り組みをどうするのか。
私は、上代倭語と古事記神話に可能性を求める。
倭語の哲理である言霊は進化論のパラダイム変更のフロントとなる」


言霊発信装置「ミニロゴストロン」
http://new-mu.seesaa.net/article/359981537.html

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「覚醒に到達する為の思考法」とのことだが、
空間認識は右脳が司っている為、
腹式呼吸などで右脳と左脳を統合させた上で、
ネオデジタル思考をする必要がある、

また、「顕在化」に繋がるメソッドを次回紹介したい。

デジタル思考は合理的に物事を捉え、本質を浮き彫りにする
http://world888.seesaa.net/article/150692508.html
「自分を観察する力」を身につける「ネオデジタル思考」
http://world888.seesaa.net/article/150595948.html
ネオデジタル思考が導く意識進化とアセンション
http://kemono666.seesaa.net/article/235783148.html


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posted by ZERO at 03:02| Comment(0) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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