2013年11月13日

天皇の祖「スサノオ・アマテラス」と2036年「天皇の京都帰還」

学研『ムー』10月号の特別企画に
「聖徳太子と四天王寺の秘密」という記事がある。

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『聖徳太子 四天王寺の暗号』の著者・中山市朗氏である。
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このように書かれている↓

「聖徳太子によって創建され、日本最古の官寺といわれる四天王寺。
この寺にはなぜか鳥居が建っている。
もちろん、神仏習合の名残ではない。
そこには天皇と聖徳太子にまつわる、ある壮大な秘密が隠されていたのだ!」


物部守屋との戦いに挑む、
武装した若き日の聖徳太子。
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この戦いに勝利したことによって、四天王寺が建立されたという。

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また、次のように書かれている↓

太陽神と物部氏の祖神、四天王寺

『四天王とは東西南北を守護する神であり、
四天王寺も東西南北がきっちり定まった寺院なのである。
そこには意味がある。
真北へ向く伽藍、つまりこれは北辰信仰を示していることになる。

これは中国の道教からきた概念で、
あらゆる星は北極星を中心にめぐることから、
全宇宙の中心を北極星と見立てた信仰である。
この北極星を道教の最高位にあたる神、
あるいは高僧と見立て、「天皇大帝」と呼称した。

ここから「天皇」が採択され、
日本において天下を治める大王に使用されるようになった
という学説がいるが、おそらくそれは正しい。
「てんのうじ」という寺号も、
もともとは「天皇寺」であったかも知れない。

実際『上宮聖徳法王帝説』や『法隆寺流記資材帳』には
「四天皇寺」と表記している例もある。
『日本書紀』によれば聖徳太子は、
蘇我馬子とともに『天皇記』『国記』を編纂したとされる。
「天皇号」をわが国の大王の称号にと試みたの
はおそらく聖徳太子であり、天皇即位のための儀式祭場として
四天王寺の建立が計画されたのではなかったのか。

現在の四天王寺の本尊は救世観音像であるが、
創建当時の本尊は守護神である四天王自身であった。
四天王はあくまでも脇神であることから考えると、
守護するべき神は他にいて、それは太陽であるという解釈もできよう』


転載終了。

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また、次のように書かれている↓

四天王寺の祭祀を司る物部氏の末裔

『聖徳太子は隋との外交で「日出る処の天子」
あるいは「東の天皇、西の皇帝に曰す」などと、東と太陽、
そして天皇(天子も道教で天皇と同意語)を重要視していた。

四天王寺は天皇大帝を祀りながら、
同時に天皇は太陽神の子孫であるということを
信仰の上で具現化しようとしていたのではないかと思われる。

いや、それだけではない。
生駒山本体も大きな宗教的意味を含んでいるのだ。
それはこの山が、物部氏の祖山であるということだ。
ただしこのことは『日本書紀』には書かれていない。

『先代旧事本紀』にそれは示されている。

「此尊天神御祖の詔を受けて、天磐船に乗りて、
天降りまして、河内国の河上哮峯に坐す」

「此尊」とは物部氏の祖である、
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)であり、
天磐船で哮峯に天下りをしたのだという。
哮峯は斑鳩峯、つまりは生駒山のことである。

また、生駒山は物部の祖神を祀る石切剣箭神社が坐し、
生駒山の西麓一帯は「クサカ」と呼ばれる。
これは「草が香る」の意であるが、
「太陽の下にある土地」ということで「日下」の字があてられている。
日下はまた、ヒノモトとも読め、西の鳥居から四天王寺を拝することは、
太陽神たる天皇の祖霊と同時に物部の祖神をも拝することとなるわけだ。

物部氏は蘇我氏との戦いで敗北するまで、
天皇の宗教的儀式と軍事の両面に携わり、
その祖は天皇と同じ天孫族であることが認められた氏族であった。
饒速日命自身もその字からわかるように、太陽神でもあったのだ。

太子奥殿と太子堂と建物が並ぶその奥には、
流造の朱塗りの祠がひっそりと鎮座している。
四天王寺の説明によると願成就宮というらしいが、
祠の正面右に「守屋祠」とだけ書かれた立札がある。
縁起や由緒については何も書かれていないが、
「守屋」とは、蘇我氏の宿敵であった物部守屋のことである。

しかもここには、弓削小連、中臣勝海と、
あわせて三柱の霊が祭神として祀られているのである。
弓削小連とは弓削氏のことであり、朝廷の軍事を
統括していた物部氏と歴史をともに歩んだ氏族である。

また、守屋の父は弓削氏の娘を妻としていて、守屋はその子となる。
守屋自身、弓削大連、あるいは守屋弓削守屋と称していたのである。
また、中臣勝海は『日本書紀』にも登場する人物で、
守屋とともに強固な廃物派の人物であったとされる。

どうだろう。
廃仏派の物部守屋の軍を討ち果たし、
その祈願成就の証として建てられたのが、この四天王寺ではなかったのか。
それなのにここには、その廃仏派の霊が神道形式で祀られているのである』


転載終了。

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また、次のように書かれている↓

境内にある物部守屋の祠と牛頭天王の祠の謎

『四天王寺の境内にはもうひとつ、奇妙な祠がある。
四天王寺の鬼門の方向に位置する、石神堂がそれである。
そこには「牛王尊」と書かれた木版が掲げられている。

筆者は以前、四天王寺関係者から
「これは四天王寺で最も重要な神様なのです」と説明されたことがある。
ただしこのことは公になっていない。
四天王寺の僧侶でも、この意味を知る者は少ないとも聞いた。
じつはこの聖牛の正体は、牛頭天王なのである。

つまり牛王尊が牛頭天王であることを考えると、
その正体はまさに素戔嗚(すさのお)であり四天王の化身であり、
特に北を守護する多聞天だということになる。
そして同時にそれは、天皇大帝の化身であるとも考えられよう。

実際、四天王寺は牛頭天王と
深い関わりを持つ寺であることを筆者は確認している。
それは四天王寺建立と同時に、
聖徳太子が創設したという神社を見ればわかる。
聖徳太子が建てた神社?
建てていたのである。しかも7社も!』


転載終了。

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私はこの記事をちゃんと読む暇もなく四天王寺に降臨したので、
「守屋祠」の存在を知らず、当地で発見することもなかったが、
「牛王尊」は発見することができた。

もちろん、「スサノオ」を象徴していることはすぐに分かり、
四天王寺の鬼門に位置しているということも分かったが、
それが四天王寺で最も重要な神だというのである。

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イスラエル10支族が崇拝した子牛像アモン(バアル)でもある。
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四天王寺を囲む7つの神社
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その1つが堀越神社とのことだが、
これは四天王寺に行く時と帰りに、
熊野街道の反対側に見えた神社だった。

「熊野」はスサノオの別名なので、
何か意味のある街道名だと思って撮影した。
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また、次のように書かれている↓

天皇の祖先は素戔嗚の系譜だった!?

『牛頭天王は明治の神仏分離で素戔嗚となるが、
これには「天王」が天皇への不敬罪にあたるという理由もあった。
天王社の総本山は愛知県津島市の津島神社であるが、
この社は欽明天皇元(540)年の創設とされ、
嵯峨天皇より「日本総社」の称号を賜っているという。

「素戔嗚は即ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしなり」
というもので、さらに一条天皇によって
「天王社」の号を賜ったというのである。
だが、皇国の本主といえは、
素戔嗚ではなく天照なのではないか、という疑問が残る。

筆者は、天皇の系譜を作ったのは聖徳太子であり、
もともとは素戔嗚の系譜であった天皇の出自に、
太陽信仰の天照を加えようとしたのではないかと考えている。
このとき、素戔嗚は隠れ神の熊野神となり、
牛頭天王に姿を変えたのではないか、と。

太子はその複雑な天皇の系譜を、天皇大帝の四天王寺式伽藍、
東を向いた鳥居から見た太陽信仰、物部氏の祖神、
さらには天皇大帝の化身牛頭天王という図式の四天王寺と、
それを取り囲む7つの宮で具現化しようとしたのではないだろうか。

そもそも天皇の本質は仏ではなく、
古来継承されてきた物部の神であるという事実は、
どうやっても変えようがなかったのではないかと思う。
だからこそ四天王寺には、物部氏の影が残ったのである。
聖徳太子と牛頭天王の関係を示すものは、ほかにもある。
大阪市城東区に、比売許曽(ひめこそ)神社という古社がある。

創建は垂仁天皇の時代というから相当古い。
祭神は下照比売(したてるひめ)で、
推古天皇15年正月に聖徳太子が神供を奉わり、
難波古宇豆(こうず)天宮社と称したとする。

ただ、織田信長の石本本願寺攻めの兵火を避け、
戦乱をかいくぐって転々としているうちに
牛頭天王社となった時期もあったという。
また、「コウズ」は現在の「高津」の語源になったともいう。
いずれにせよ、聖徳太子がここを天宮社としたということは、
明らかに天皇を祀ったということを意味している。

このため古宇豆天王社と呼ばれていた時期もあったという。
となれば「高津」天王社ではなく「牛頭」天王社のほうが自然である。
実際、古くは牛頭=ゴズではなく、「コウズ」と発音されたのである。
しかも下照比売とは、兵庫県の生田神社の由緒によると、
形を変えた天照大神であるというのだ』


転載終了。

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真の初代天皇「ニギハヤヒ」の父が、
日本建国の父と呼ばれる「スサノオ」なので、
「天皇の祖先は素戔嗚の系譜だった」というのは正しい。

「もともとは天皇の出自に、
太陽信仰の天照を加えようとしたのではないか」
とのことだが、スサノオももともとは太陽神なのだ。

神としての「スサノオ」は、
イスラエル10支族が崇拝した黄金の子牛「アモン」で、
そのルーツはエジプトの太陽神「アメン」である。

さらに、アモン(スサノオ)はオリエント神話で
牛の姿をした主神「バアル」でもあり、
本来は太陽神としての性格を持っていたが、
息子の「ミトラ」が太陽神となり、
バアルは嵐の神としての性格を強めていったのである。

それが、暴風雨の神であるスサノオ(牛頭天王)として伝わり、
その霊統の出雲族の族長のフツシが、
現人神として「スサノオ」と呼ばれていたのだ。

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スサノオは贖罪神であり、
その御魂はイエス・キリストにも受肉したが、
彼もまた太陽神として神格化されている。

つまり、イエス・キリストは「バアル」であり、
再臨のキリストが太陽神「ミトラ」、
即ちマイトレーヤ(弥勒菩薩)なのだ。

神話では、ミトラはバアルの息子で、
バアルの生まれ変わりでもあるとされている。

その構図は「スサノオ」と「ニギハヤヒ」にも対応し、
ニギハヤヒが太陽神である由縁である。

また、そのニギハヤヒの霊統が天皇家に復活することが、
天照大神の再臨(キリストの再臨=弥勒菩薩の下生)なのだ。

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だが、聖徳太子かどうかは不明だが、
現在の天皇家(日向族)にも「天照大神」は存在した。

それが、スサノオの日向の妻である「アマテラス」である。

日向族は祖神である「天照大神」を、
スサノオの息子の「ニギハヤヒ」から、
スサノオの日向の妻だった「アマテラス」にすり替えたのだ。

出雲族が太陽神「アメン(アモン)」の霊統であるのに対し、
日向族は太陽神「アテン(アトン)」の霊統である。

後者は「偽の天照大神」であり、悪神「盤古大神」とも呼ぶが、
詳細は『日月神示』に示されていることを解説し、
神仙組2や反キリシリーズの「善悪逆転論」で発表してきた通り。

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さて、アマテラスは邪馬台国の「卑弥呼」だが、
「アマテラス」という呼称も「ヒミコ」という呼称も、
個人名ではなく役職の肩書きのようなもので、
代々受け継がれてきたものである。

スサノオとアマテラスの間に生まれた長女に、
多紀理姫(木花咲耶姫)がいるが、
その長女(つまりアマテラスの孫娘)に「下照姫」がいる。

それが恐らく、マクモニーグルが透視した卑弥呼で、
山口から大阪を経由して奈良(大和)に連れて来られたという。

それがまさに、比売許曽神社の祭神の比売許曽(ひめこそ)、
即ち「形を変えた天照大神」なのだ。

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歴史言語学者の加治木説によると、
卑弥呼の語源の「ヒミグス」が「ヒメコソ」に転訛したという。

また、加治木氏は邪馬台国は北九州にあったと断定しているが、
「卑弥呼(神功皇后)2」が大阪から畿内入りをしたという。

何代目かはともかくとして、歴史の流れの骨子は、
アリオン説と加治木説とマクモニーグル説は大筋で符合している。

その中の細かい矛盾点については現在も私は研究中だが、
ある程度の整合化を図りながら統合し、神仙組外典で発表してきた。

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四天王寺は神社である!?

江戸時代の文献や地図を見ると、
大阪に「元四天王寺」という場所があったことが示されている。
森之宮神社と玉造稲荷神社である。
「元」ということは、最初はここに四天王寺が造られ、
後に現在の場所に移されたか、再建されたということになる。
玉造稲荷には、聖徳太子が守屋と争っている際に栗の白木に
戦勝祈願をし、後にここに元四天王寺が造られたという由緒が残る。

一方、森之宮神社には聖徳太子とともに、用明天皇、
穴穂部間人皇女の両親が祭神として祀られているという事実がある。
その摂社には、物部氏とともに神道祭祀を司っていた忌部氏の氏神や、
物部神道の奥義に関連する布留魂命が祀ってある。
これは奇妙なことである。

なぜ、仏教の聖者たる太子とその両親が、
御仏としてでなく神道の神として、しかも滅ぼしたはずの
忌部氏や物部氏の神と一緒に祀られているのだろうか。
いや、その前に、ここが元四天王寺だというのであれば、
それは寺でなければならないはずだ。
しかし、元四天王寺は「神社」なのである。

ということは、移転された四天王寺も当初は神社であった
と考えたほうが、極めて自然ではないだろうか。
元四天王寺が神社だったことの意味は極めて大きい。
それによってこれまで筆者が四天王寺で見てきた物部神道の痕跡や、
周辺の七宮の創設についても合点がいくことになるからだ。

聖徳太子はむしろ神道派の人物であり、
その上で「天皇という太陽神の子孫がこの国を治めている、
その神威は中国皇帝と同じである」としたのである。
四天王寺建立の目的は、仏教の煌びやかな文化、技術を使用しながら、
その天皇の神威を諸外国に知らしめるためのものであったといえよう。

さて、最後に筆者には、あるひとつの疑問というか、疑念がある。
それは聖徳太子の血筋が、実は蘇我氏ではなく、
物部氏の系統なのではないかということだ。
聖徳太子が両親とともに、森之宮神社に神霊として
物部系の神々とともに祀られているということ、また、
天皇は仏教方式では即位しないという祭祀形態の原点となるものを、
おそらく聖徳太子が創っているはずだということからして、
おそらくは間違いないのではないかという確信もある。


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森之宮神社の摂社に、滅ぼしたはずの忌部氏や物部氏が
祀られていることが奇妙だということだが、
まず、聖徳太子が忌部氏を滅ぼしたという事実はない。

私の仮説では、秦氏は忌部氏と同盟を結んだ同族であり、
「聖徳太子」と呼ばれる人物は、
秦河勝と蘇我馬子と忌部氏の子孫の3人で構成されていた。

従って、忌部氏が祀られていることは何も奇妙ではなく、
ごく自然なことであると言える。

滅ぼした物部氏が祀られているのは奇妙と思うかも知れないが、
四天王寺にも「守屋祠」があり、
鬼門にはスサノオを象徴する「牛王尊」が祀られている。

更に、秦氏の神社である八坂神社の主祭神が
「スサノオ」であることも奇妙だと言わざるを得ない。

スサノオ
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だが、これは神社を研究する者にとっては奇妙なことではない。

神社の建立の目的や、そこに祭神を祀る時、
必ずしも崇拝する為ではなく、
「祟りを鎮める為」や「封印」という目的があるからである。

聖徳太子は神道派の人物だったとのことだが、それはそうだろう。
聖徳太子は崇仏派だった為に、廃仏派の物部氏を滅ぼした
という観念をまず捨てることである。

聖徳太子は仏教のみを重視して、神道を廃しようとしたわけではない。
聖徳太子は、神道・仏教・儒教を重視していたからである。

「聖徳太子の血筋が物部氏の系統なのではないか」
とのことだが、物部氏はスサノオ〜ニギハヤヒの出雲族の血統であり、
聖徳太子はそれを封印した
忌部氏・秦氏(蘇我氏と賀茂氏を含む)の日向族の血統であるが故に、
聖徳太子の血筋が物部氏の系統ではないことは明らかである。

アマテラス
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中山氏の仮説の根拠の1つが、
「天皇は仏教方式では即位しないから」ということだが、
日向族の実権を握っているのはあくまでも
「真の闇帝王」と呼ばれる忌部氏であり、
聖徳太子と呼ばれる3人の中の中心人物だったはずである。

天皇の即位は忌部氏の神道祭祀によって執り行われるのは当然で、
現在でも忌部氏なくして天皇は即位できないのである。

加治木氏によると、神道の語源は「シンドゥ」、
即ち「ヒンドゥー教」とのことだが、
アマ族(出雲族と日向族)がインドを経由して
日本に渡来したことからも、それは事実だと思われる。

だが、ヒンドゥー教がユダヤ教の影響を
受けていることを指摘する学者は少なくない。
表面的に見れば、多神教と一神教で全く異質の宗教だが、
本質的には多神教と一神教は表裏一体である。

ヒンドゥー教は、仏教などを取り入れながら
バラモン教を発展させた宗教とされているが、
アマ族の信仰の影響を受けていても不思議ではない。

即ち、ユダヤ人(日向族)の「アテン信仰」と
イスラエル10支族(出雲族)の「アメン信仰」である。

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詳細を書けば長くなるので、
反キリ3などで検索して過去の記事をお読み頂きたいが、
要するに、アマ族が日本に神道をもたらしたのである。

厳密に言えば、現在のヒンドゥー教が成立する少し前の
「アショカ仏教」と呼ばれるものだが、
それが縄文時代からの信仰である「かんながらの道」と融合し、
「神道」というものが形成されていったのである。

だが、出雲族の神道と日向族の神道は、
本質的に信仰する対象が異なることは既に述べた通りである。

古代イスラエル王国が分裂した時、祭司を司るレビ族は、
10支族の「北イスラエル王国」と
2支族(ユダヤ人)の「南ユダ王国」の両方についた。

つまり、レビ族は日向族だけではなく、出雲族にもいたことになる。

その日向族の中のレビ族が「忌部氏」であり、
出雲族の中のレビ族が「物部氏」だったのだろう。

物部氏の武器庫「石上神社」にて。
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だが、私の仮説では、スサノオの血統は
イスラエル10支族の「ガド族」であり、
その末裔の物部氏もガド族ということになる。

また、「聖徳太子の血筋が物部氏の系統なのではないか」
という中山氏の疑念も私には理解できる。

どういうことかと言うと、
ここにも日向族(秦氏)の欺瞞が見られるのだが、
詳細は機を改めて発表したいと思っている。

簡潔に言えば、物部氏の出自はどうやら北九州
(日向国)で、出雲族ではなかった可能性があり、
その物部氏が、ニギハヤヒの長男である
ウマシマヂの家系を乗っ取ったと考えられるのだ。

故に、「物部氏=ニギハヤヒの血統」と断定するのは早計で、
「物部氏の抹殺」という言葉には注意が必要なのだ……。

同誌には『2036年、天皇陛下は京都に戻る』という記事もあった。
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文章の転記は割愛するが、
これは奇門遁甲という古代中国の方位占術によるもので、
2015年の節分までに新潟に遷都し、
2036年に京都に遷都すれば、日本は再生できるという。

2015年の節分までに新潟に遷都……
不可能ではないと思うが、実現する可能性は極めて低い……。
では、日本は再生不可能なのかというと決してそうではない。

奇門遁甲がどれだけ優れた方位術だとしても、
それが全てではないし、天皇家を動かしているのは、
ヤタガラスの「裏神道」並びに「陰陽道」である。

封印してきた日本の国魂である出雲神ルシファー
(艮の金神=国常立尊≒スサノオ≒真の天照大神=ニギハヤヒ)
を復活させる為に動き始めているはずである。

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そもそも、日本の首都は正式には東京に遷都しておらず、
今でも京都が首都であることは一応事実である。

裏天皇勢力である賀茂氏・秦氏・藤原氏は
今でも京都に根付き、天皇の御所帰還を待っているのだ。

これは私が勝手に言っていることではなく、
そのような言い伝えが京都に残っているのである。

また、2036年までには天皇は京都御所に帰還するはずで、
遅くとも2036年に帰還するはずである。

そして、2037年に「天照大神の再臨」、即ち、
出雲族の初代天皇の分け御霊が現在の天皇の世継ぎに降臨し、
「世界天皇」の即位が行われることになる。

鳥見山にて神武天皇の即位の再現
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それと同時に人類の天の岩戸(心の扉)が開き、
天照大神(真我)が覚醒することになるだろう。

これは「2037年 イエス・キリスト再臨説」や、
オコツトの予言「2037年 入神」と一致するが、
その覚醒期はマヤ暦の終わりから始まっている。

「入神」の意味がトランス状態(入神状態)とするならば、
日常的に魂が半覚醒している状態を意味すると思われる。

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2037年の黙示録
http://kemono666.seesaa.net/article/299394776.html
【2037年】キリストの再臨
http://kemono666.seesaa.net/article/299441541.html
日月神示が示す「ミロクの世元年」=「イエス・キリスト再臨の年」
http://mujaki666.seesaa.net/article/125404458.html
トランスと内観と入神
http://new-mu.seesaa.net/article/379353869.html


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posted by ZERO at 01:37| Comment(7) | アカシックの修復 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。入神は全人類なのでしょうか?それと同時にシャンバラも地上に現れるのですか?
Posted by 夜血 at 2013年11月13日 10:14
ZEROさん、こんにちは。

最近、ゼロさんの影響もあって、
オコツト再読しています^^
分からないところは分からないですが、
相変わらず面白い本です。
また、ようやく日月神示が本日
手元に届く予定です。

あ、あと名前をMOONAにしてみました。
これからはMOONAでコメントします(^u^)
有難うございます。
Posted by ファイブリッチ at 2013年11月13日 12:40
こんばんは〜☆
この手の話が何度読んでも理解できないんです。
前にも個人的に質問させていただきました、確か。

古史苦手〜★

私ってやはりおバカなんでしょうか・・・
Posted by 言上姫 at 2013年11月14日 00:00
夜血さん、こんにちは。

入神は全人類はアセンションする人だけだと思います。
聖書や日月神示によると、人類の1/3くらいだそうです。
半田氏によると、人類の2/3らしいです。
宇宙進化の為には反進化の作用も必要なので、
仕方ないことですね……。

シャンバラが地上に現れるというのは、私の考えでは、
地球の内核に発生しているプラズマ世界(アルザル)が
北極から飛び出して、新しい太陽になるというものです。
詳しいことは知りませんが、最近、
飛鳥昭雄氏も同様の仮説を展開しているようです。


MOONAさん、こんにちは。

日月神示デビューおめでとうございます^^
少し読んでどのような印象を受けましたか?


言上姫さん、こんにちは。

私の説明が煩雑なので理解しにくい部分もあると思います^^;
実際に、非常に複雑な歴史なんですけどね。。
決して理解力が乏しいわけではありませんよ(多分)(笑)
Posted by ZERO at 2013年11月16日 13:05
まだほんの少しだけしか読んでいませんが、
思ったより読みやすいですね。
いいこと書いてあるなぁ、面白いなぁ、、
そんな程度です(^^)

もっとも、ZEROさんのブログだったり、
ツイッターで日月神示に接していたから
そう思うのだと思います。
完約の発売当初、本屋で立ち読みした時の印象は、
読みにくいわ〜、意味分からない、、、ポイ笑
こんな感じでしたから^^
Posted by MOONA at 2013年11月16日 15:36
MOONAさん、こんにちは。

それは良かったです^^
『日月神示』は読んでいるだけでも身魂磨きになるそうなので、
毎日少しでも読むと良いと思います。
Posted by ZERO at 2013年11月18日 20:49
11月4日、将軍が「御所の御用」に行ってくれましたので、
読んでみて下さい↓

【京都上洛御用2013秋】京都御所と関西還都
http://seii-tai-shohgun666.seesaa.net/
Posted by ZERO at 2013年11月20日 15:05
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