2013年11月20日

占い師によるZEROの手相鑑定と「善悪統合論」

手相のシンクロも最近多いが、
10月18日に「ZEROの手相」という記事を書いた。
http://new-mu.seesaa.net/article/377702476.html

11月16日には「人相と手相と血圧と断食の話」
という記事を書いた。
http://new-mu.seesaa.net/article/379920919.html

そして今回は、占い師に手相を観てもらう流れとなった。

何を観てほしいとかは頼んでおらず、
とりあえず手のひらを見せると次のように言われた。

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・胃腸が弱い
・若い頃は苦労している
・女運がない
・女に興味がない
・無口で大人しいから営業には不向きで、工場で働くと良い
・悪人ではないがそんなに良い人でもない
・人に流されやすいから悪い人と関わってはいけない


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これについて、私の見解を述べておこう。

日本人の多くは胃腸が弱いので、
占い師が「あなたは胃腸が弱いでしょう?」と聞くと、
殆どの人が該当するという話を聞いたことがあるが、
残念ながら私は胃腸が非常に強い。

その理由は「肥田式腹式呼吸」をしているからで、
基本的に粗食で少食だからだと思うが、
昔は苦しくて死ぬほど食べて胃腸を酷使したりして、
両極端なことを繰り返して鍛えられているからだと思う。

胃腸が強い証拠を挙げると、超激辛の物を食べても平気で、
テキーラもストレートで一晩でよく空けていたし、
90度以上あるスピリタスも昔はよく飲んでいた。

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若い頃は苦労しているとのことだが、
誰でも自分なりに苦労を経験してきているものだ。

「苦労してきたでしょ?」と聞かれたら、
誰だって該当するのではないだろうか。

従って、私は私なりに、有り得ないような苦労をしてきた。
若い頃だけではなく、今も普通では有り得ない苦労をしている。

だが、人によって感じ方や捉え方は千差万別で、
同じ経験をしても、人によっては死ぬほどの苦労でも、
他の人にとっては何でもないということもある。

今の私は、人に真似の出来ない苦労をしていると思っているが、
それはあくまでも自我でそのように判断しているだけであって、
私の意識の主体である真我では「苦労」とは全く思っていない。

最近、テレビの音声が耳に入って、
「苦労と不幸は違う」という言葉が聞こえ、
聖母が「その通り」と言ったが、
私は「それは違う」と言いきっても良い。

苦労は不幸ではないというのは単なる慰めであり、
苦労だと感じるのは不幸以外の何ものでもない。

苦労が不幸ではないなら、苦労は幸福ということになり、
幸福を願うなら一生苦労する人生を選択すれば良い。

私は苦労や不幸が嫌いだが、それを避けようとはしない。
本来、苦楽や幸不幸は感じ方・捉え方の違いに過ぎないからだ。

そうは言っても、確かに苦労や不幸というものは存在する。
だが、苦楽や幸不幸は人生の波であり、一面であり、感情を外し、
受け入れて肯定し、あるがままに生きることである。

従って、私は一般的な基準及び自我の感覚では、
今も苦労の多い人生で幸福とは言えないが、
それはトータルで観ると必ずプラスであり、
真我の私はそれを観て楽しんで至福なのである。

「他の為に苦労するのは喜びであるぞ」
と日月神示に示されているが、まさしくその通りである。

だから、私がどれだけ苦労していようとも、
手相には「いま苦労している」とは出ないのだろう。

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また、女運がないとのことだが、
昔から今も常に複数の女性から熱愛されている。

それが決して喜ばしいものとは限らないことが多いが、
いわゆる「恋愛」として、
一般的な意味での男女交際を絶っているので、
手相占いでは「女運がない」と出ているのだろう。

女に興味がないとのことだが、
「今まで散々遊んできたから、
もう面倒なことは嫌になったんでしょう」と言われた。

それは当たりだが、それだけではない。
もちろん、女性は好きだし、性に興味がないわけではないが、
そういったことを超越してしまっているので、
恋愛の愛情や異性の体を求める欲望も希薄なのだ。

言い換えると、恋愛や聖交尾で得られる究極の歓喜を、
常に味わうことが出来るからで、
5次元の歓喜のエネルギーが、
真我から自我に流れているからだと言えると思う。

ロシアの予言者ソロビヨフは、
反キリストについて「婦人に興味がない」と予言しているが、
当たっていると言えば当たっている。

くれぐれも、私は女性に興味のない同性愛者ではなく、
特定の女性の愛情や肉体を強く求める欲望が希薄だということである。

異性運ついでに結婚運について言えば、
私は彼女いない歴9年の独身で結婚歴もないが、
私と結婚を望んでいる女性は5人以上はいる。

そのうちの3人は4〜7年くらい会っておらず、
電話は一切せず、正月と誕生日くらいしかメールもしないが、
私にとっては異性の親友のようなもので、
その3人とは結婚してもいいと思っているが、
今のところ結婚はする気は全くないだけである。

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営業に不向きで工事で働くのが向いているとのことだが、
私は自分から殆ど話さず、
占い師が何か言ってもうなづいていただけなので、
そのように判断されたのだろう。

確かに私は黙々と働くことにも向いている。
だが、時間を拘束されて人に使われるのは耐えられず、
様々な工場で働いた経験もあるがド短期で辞めてきた。

私は武士家系なので遺伝的に、
今やってる超人アイテムの物売り商売も苦手なのだが、
今まで営業系で普通では有り得ない実績をたくさん作ってきた。

但し、他者を蹴落として自己アピールをして、
口八丁で人を騙すような腹黒い人間が
成り上がるようなホストの世界では全然ダメである。

だが、それがたまたま1人の太客のハートを掴んで
ミラクルを起こすことはあるかも知れないが、
その場合、私は全く正反対の行動に出るだろう。

というよりも、それも目的の1つとして
ホスクラで働いていたことがあるのである。

私は酒と女性が好きなので
キャバクラ巡りの生活をしていたが、
貯金が底を尽きたので、
お酒が飲めて女性を話が出来るホスクラで働き始めた。

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で、私の投資事業を理解してくれる人がいれば、
店でお金を使わせずに、投資してもらって運用し、
その利益から配当を出して、
そのお金で店に来てもらってNo.1になる戦略である(笑)

過去の実績で言えば、資金300万円あれば
2〜3ヶ月で2〜3億円にすることが可能である。

それはリスクの高い運用だが、安全に運用しても、
資金300万円あれば1ヶ月で普通に倍以上にはなり、
利益分からの複利で回して雪だるま式に利殖することができる。

先物取引はパイが狭いので、莫大な資金は運用できないが、
常に1億円だけの軍資金で分散投資をして、
超最低で少なく見積もっても1000万円は間違いなく利益を出せる。

最初に300万円を投資してくれたお客さんに、
毎月500万円の配当を出して、そ
の中から好きなだけ店で使ってもらおうという戦略だった。

そのことを反キリ1の自叙伝に書いたところ、
文章の意味を理解しなかった猫臣(私を恨んでいたストーカー)が、
ネット上で私のことを極悪人のように喧伝し、
それが私だけではなく、私の周りの人間を巻き込む爆弾だったので、
自叙伝を封印せざるを得なくなったのだった。

今は一応和解していて、最近も猫臣(ミカエル666)から
以下のようなメールが届いたが断った。

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悪人ではないがそんなに良い人でもないとのことだが、
「いい人」の定義は時代によって、
国によって、人によって全く異なるものである。

人に流されやすいというなら、私は人々の「都合のいい人」で、
都合のいい人は文字通り「いい人」のはずである。

実際に私は自分の生活を犠牲にして、
神様の代わりに人々の願いに応える事に精一杯の生活をしている。

その意味では私はいい人だと思うし、
それが私の自然体であり喜びでもあるので、
偽善でもなければ、
いつか暴発して衝動的に凶悪犯罪を犯すこともない。

また、いい人過ぎるから誤解されて恨まれることはよくあり、
今までに同じことを何度繰り返してきたことか分からない^^;

内海康満氏の話では、「神は善でも悪でもない中真」だという。
私の感覚では「神は善悪を統合した中真」なのだが、
それをZEROポイントという。

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その意味では確かに私は、
悪い人ではないが良い人でもないということになる。

むしろ、親鸞の「悪人正機」で言えば私は悪人であり、
「宇宙の全ての原因と責任を自分に求める」
スサノオの贖罪の精神=ホ・オポノポノの原理を
よく理解して受け入れているならば、
自分を善人とは評価することはないし、
人から善人と評価されることを求めることはない。

悪人や気違い呼ばわりされようとも構わないし、
それはその人が私に自分を投影して見ているだけである。
もちろん、「いい人」と言われた方が嬉しいが、
それは単なる自我に過ぎない。

また、『日月神示』に示されている通り、
悪く言われることによってカルマが解消されるので、
悪口を言われるのは大歓迎で感謝・感激である(笑)

もちろん、悪口を言われて喜ぶだけではなく、
御免なさい・赦して下さい・愛してます・有り難う御座います・感謝します
という5つの言葉を発することが望ましい。

また、悪口を言われることで自分のカルマは解消しても、
悪口を言った人にカルマを作らせてしまうことになる。
悪口は人が勝手に言うことではなく、
どのような理由があるにせよ、自分が存在しているからだ。

従って、人にカルマを作らせてしまった罪を祓う必要がある。
他者が自分自身であることが分かっていれば、そう思うようになる。

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人に流されやすいから悪い人に関わってはいけない
とのことだが、当たっているようで当たっていない。

人に流されやすいのは確かだが、一般的な意味合いと異なる。
私は人に何か頼まれたりお願いされると断れない性分である。
断る場合も柔らかく断るので、押されると断りきれなくなる。

それも菩薩行であり、自分にとっての
修行だと思っているのでそれでいいのだが、
私は「自我の確立」ができた上で、
「自分の中心軸」が定まっているので、
真の意味で人に流されることはない。

真の善行とはいかなることか〈求められる自己の確立〉
http://new-mu.seesaa.net/article/361580498.html

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従って、もし悪い人と関わったとしても、
私は天の理に背くようなことはしない。

もちろん、私も人間なので、
意図せずに過ちを犯すことがあるかも知れないが、
それを未然に防ぐ為にも日々の浄化に努めている。

尚、「悪い人に関わってはいけない」ということについて言っておくと、
私は「自分ほど悪い人間はいない」と思っている(笑)
それくらい思っておいて、ちょうどよいのである。

また、「人類の全ての罪を背負った最大の悪人である」
というくらいの覚悟を決めることが大切である。

汝、宇宙一の大悪党になる覚悟をせよ!
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/161026665.html

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だからといって、それをネガティブに受け取るのは本末転倒で、
自分の世界を映し出しているのは自分自身なので、
「全責任は自分にある」ということである。

これはホ・オポノポノの原理と一致し、
あらゆることを言霊でクリーニングしていく作業が人生だと言える。

自分が浄化されていくのだから、これは喜びであり、
決して人生を悲観的に捉えるべきではない。

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話が逸れてしまったが、
「悪い人に関わってはいけない」ということについて、
このような教育が日本をダメにした要因の1つだと言える。

「良い人・悪い人」という二元的な感覚を持つことがまず間違いで、
「あの人は良い人」「この人は悪い人」と決めつけることはできない。

良い人でも悪想念を発したり、悪い事をすることもある。
逆に、悪い人も常に悪想念を発しているわけではなく、
悪い事しかしないということはありえない。

また、良い人と評価されていた人が
大きな犯罪を犯してニュースになることもある。
逆に、悪い人と評価されている人が反転して、
人の命を救ったり、社会に偉大な貢献をすることもある。

反転はしていなかったとしても、
善悪は表裏一体であり、大善を成す者は大悪であるのだ。

そう言うと語弊はあるが、
小さな善しか成せない人間は大きな悪を成すことはないが、
悪魔としての能力が高い者は救世主としての能力も高いのだ。

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出口王仁三郎も次のように述べている。

「善人は自分自身を救うのが精一杯だが、
悪人は大悔悟すれば大きな働きをする。
仏のような人ではなく、鬼神のような人でなくては、
この過渡期に大きな活動力を発揮できない。
自分は世の終わりまで悪魔だ、地獄行きだ、
一生涯世間の人間に歓ばれない、こうした悲痛な絶望的な決心」


もちろん、救世主としての能力を発揮する為には
悪から善に反転する必要があるが、
その救世活動は悪の勢力にとっては
「悪魔」以外の何ものでもないということになる。

この話は過去にも度々してきたが、
長くなるので別の機会に改めて書くことにしよう。

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『いま知りたい異常心理入門』という本によると、
「良い・悪い」に分断された感情を持っているのは境界性人格障害だという。

つまり、「善悪」や「自他」など二元の概念を持っているのは人格障害で、
人類の99.9%が精神異常者だということが分かる(笑)

私には「良い・悪い」に分断された感情はないが、
善悪の分別のない無知とは異なり、
今の一般常識の善悪はもちろん知っているが、
その概念に囚われず、天の理による「真の善悪」を指針とし、
その上で、善悪を統合し(悪抱き参らせ)ている者である。

内海理論で言えば、神なる意識(中真感覚)を持つ者は
善にも悪にも偏らないということになるが、
ここでいう「善悪」はあくまでも人間の概念によるものであり、
内海氏のいう神なる意識(中真感覚)とは、
私の言葉でいえば「善悪を統合したZEROポイント(絶対善)」である。

従って、「悪い人に関わってはいけない」という発想は間違っている。

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もちろん、霊界に「善霊」と「悪霊」がいるように、
人間界にも「善人」と「悪人」は存在する。

法律や倫理を守り、正義感が強くて、
人に親切で優しく、ボランティア活動などもしていて、
「善人」と呼ばれている人であっても、
想念が曇って汚れていれば悪人である。

ツッコんだ話をすれば、法律や倫理に反することは好ましくないが、
そのような人間界のルールに囚われ過ぎてはいけない。
その囚われが真我覚醒の妨げの要因の1つとなっているからだ。

その囚われから解放される人が増えることによって社会が変容し、
法律や倫理も変化(又は緩和)していくことになるだろう。

正義感が強いのは結構だが、それは正義(善)への囚われであり、
悪人や犯罪を憎んで許さないという「大罪」を犯すことになる。

正義感の強い人は犯罪のニュースを見て怒ったりするが、
それがすでに悪想念であり、戦争の種であることに気づいていない。

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人に親切で優しく、ボランティア活動なども結構だが、
「自分は善行を積んでいる善人である」という想いを持つと、
そこから意識進化の脱線が起こり始めることが多い。

一方、社会的に言う「悪人」とは、
泥棒や詐欺師や暴力団など、犯罪を犯すような人たちである。

彼らも人間である以上、「完全な悪」ということは有り得ないが、
積極的に関わるべき存在ではないことは明らかである。

だが、そのようないわゆる「悪人」も含めて、
「悪い人に関わってはいけない」という言葉には賛同できない。

まず、「悪い人とは関わらない」という意識を持つことに問題があり、
それは自ら「善悪」の概念を作っているからだということは述べた。

だが、現実に「悪人」は存在し、
「関わりたくない」という意識を持っていると、
引き寄せてしまうものなのである。

また、引き寄せても引き寄せなくても、
この世に「悪人」が存在するなら、それは自分の投影である。
まず、そのことをよく理解する必要がある。

もし引き寄せてしまったら、それも必然・必要・ベストで、
自分が何かを理解しなければならないからだ。

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簡単に言えば、人生における出会いは全て必然であり、
『日月神示』には次のように示されている。

「自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう」

「今あるもの、今生きているものは、たとえ極悪ざと見えても、
それは許されているのであるから、あるのであるぞ」

「人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が 曇りてゐるからぞ」

「大神の道には正邪ないぞ。善悪ないぞ。
人の世にうつりて正と見え 邪と見えるのぢゃ。
人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのぢゃ」

「悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ。
霊から改心させなならんぞ」

「悪も御苦労の御役 。此の方について御座れ。
手引いて助けてやると申してあろが。
悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」

「神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、
八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、
善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、
悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、
喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、
働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、
三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、
光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ」


善人よ、改心せよ!
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/165934778.html

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心理学における「投影」の概念を見て頂きたい↓

『自己の悪い面を認めたくないとき、
他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働きを言う。
一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。

投影は日常生活においてよく起こっている。
例えば、なんとなく嫌いだった人物が、実は自分の否定的な、
認めたくない面を体現していたなどである。
またこの概念はパーソナリティ障害の治療において、
医者に向けられる怒りとして専門的に語られることもある
(精神分析における対象関係論の投影同一視)。
統合失調症における迫害妄想との関連も語られている。

ユング心理学では、元型の一つ影(Schatten)とも関連し、
否定するのではなくそれを自分の一面として認識し受容することで、
もっと大きな「大いなる自己」・
自己実現へと成長するきっかけとして活かすことができると言う』


プラスマイナスと善悪の二元の統合=ZERO
http://new-mu.seesaa.net/article/369210976.html

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「悪い人に関わってはいけない」というのは、
「悪を抱き参らせる」という事と正反対でもある。

また、悪は「必要悪」「御用の悪」として存在し、
悪霊も悪人も必要があって存在が許されているのだ。

何が必要かと言うと、悪霊も悪人も「自分の映し鏡」として存在し、
人類の意識進化、すなわち宇宙進化の為に必然的に存在しているのだ。

悪霊や悪人は、その為に損な役回りを演じさせられている
偉大な存在だという捉え方もできる。

真我に目覚めて神なる意識を持つ者は、
「あいつは悪人だから関わってはいけない」
などと人に言ったりすることは絶対にない。

悪霊や悪人を避けるのは、自らの中の悪に目を背けることである。

いずれにせよ、悪霊も悪人もその実相は真我(神)であり、
悪人の中にも「神」を見ることが人生における重大な修行だが、
そうは言っても、そう思えないのが人間(自我)である。

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結局は、自分が真我に目覚めれば、
善人も悪人も等しく自分の投影であり、
その本質が自分と一体の「神」であることを認識できるようになる。

従って、「悪い人に関わってはいけない」という時点で、
「自他一体」も「世界平和」もないということが分かるだろう。

まず、理論として理解するならば、どのような珠(魂)も磨けば光る、
即ち本質は「光る珠(魂)」だということである。

もっと言えば、どれだけ汚れた硬貨でも、硬貨の価値に変わりはない。
また、どれだけ厚い雨雲に覆われていても、その上は太陽が輝く晴天である。

もちろん、「悪人」に限らず、
自分にとって「嫌な人」についても同じことが言える。

また、以下のことを肝に銘じておけば、
「悪い人に関わってはいけない」ということが、
如何に愚かな教養であるかが分かるはずである。

「自分の世界にいる他者は、自分の投影であって実体ではない」

ちなみに、私が所有している手相占いの本
『手相と食と運命と』はお薦めの書である。
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posted by ZERO at 14:50| Comment(0) | ZEROの解体白書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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