2013年12月07日

自他の区別をなくす「鏡瞑想」

前回の記事を書き終わった時、
「鏡瞑想」を思いついたので載せておく。

以前、鏡を使った「ミラーチェック」や
「自霊拝」という瞑想を紹介したが、
今回紹介する「鏡瞑想」は、
鏡に映った自分の顔を見つめるだけである。

他者は自分の断片の投影だが、
鏡に映った自分の姿は自分の顔そのものの投影である。

他者は自分自身、鏡に映った自分も自分自身なので、
他者と見つめ合うのも良いが、
まず個人的な自分自身を見つめることが基本であろう。

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通常、人間は体外離脱をしない限り、
自分の姿を客観的に見ることはない。

要するに、内観しなければ自分の内面が見えないように、
鏡を見なければ自分の外面(全身)を見ることができない。

「内外反転」すれば、外側の世界そのものを
「内側」として観るようになるが……。

特に、顔は心の顕れと言われているので、
鏡で自分の顔を見つめることも一種の「内観」だと言える。

それは「自霊拝」や「ミラーチェック」と共通するが、
今回はただ単に「鏡を見る」という瞑想法である。

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藏本天外氏によると「鏡は潜在意識」だという。

もちろん、鏡そのものが潜在意識ではないが、
鏡に映った自分に話し掛けると潜在意識に深く入っていくという。

更に言えば、鏡に映った自分の姿を「真我」だと仮定しても良い。

天の岩戸から出てきた天照大神も、
「鏡に映った私の姿を私だと思って祀れ」と言っている。

天照大神とは即ち「真我」である。

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そして、鏡に映った自分の顔を見るのは
「自分が見ている視点」である。

と同時に、鏡の中の自分と目を合わすことは、
「見られている感覚」も同時に体験していることになる。

その「見られている感覚」は即、
「自分を見ている視点」でもあるが、それはまさに、
「見ている者と見られている者の区別のない世界」
の擬似体験に他ならない。

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私は昔、一般的な意味でのナルシストだった。
不登校を始めた小学校5年の頃から高校時代までがピークで、
何時間でも自分の顔を鏡で見ていた時期があった。

決して、自分の顔が理想の顔ではないのだが、
毎日鏡に映った自分の顔を見続けていた。

それによって自分の内面が見えてきたとか、
真我が覚醒したというようなことは全くなかったが、
「見ている者と見られている者の区別がない世界」
を意識して鏡を見ていれば、意識進化に役立つと思われる。

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今の私は普段、歯を磨く時やヒゲを抜く時以外は殆ど鏡を見ない。
ヒゲを抜く時は口元だけしか見ていないので顔全体は殆ど見ない。

まともに鏡を見るのは、外出先でトイレに入った時くらいだが、
自分の顔を鏡で見る時間を増やすことは良いことだと思う。

自分の顔を見て表情のチェックをすることも大切だが、
今回提案するのは、鏡に映った自分と
目と目で「見つめ合う」ということである。

瞑想というと、普通は目を瞑るものだが、
それは目から入る情報を遮断して無我の境地に近づく為である。

同じように、何も思わず考えず、1分でも5分でも良いので、
鏡に映った自分と見つめ合うことを日課にしてみてもらいたい。

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ちなみに、マルチョン瞑想はピラミッド・アイ
(ルシファーの目)と見つめ合う瞑想だと言える。

余談だが、江戸時代の曹洞宗の僧曹・月舟宗胡が、
死ぬ間際に描いた上の自画像もマルチョンである。


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posted by ZERO at 23:05| Comment(0) | 呼吸法・瞑想法・言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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