2013年12月13日

汝、常識と厄年をZEROにリセットせよ!

人間は様々な分野での“常識”に洗脳され、
それを信念として価値観や固定観念を生み、
真我の覚醒を妨げる大きな原因になっている。

私は今まで「常識破壊」を主張し続けてきたが、
簡単な検索で以下の記事が出てきたので、
あとで目を通しておいて頂きたい↓

一般常識・道徳観念・教義教条主義の破壊
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/182758501.html
医学常識を斬る反キリスト
http://kemono666.seesaa.net/article/259184221.html

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さて、賢者テラ氏も「常識破壊」について書いているので、
まずは以下の転載記事をお読み頂きたい↓

世間の常識にご用心!
http://ameblo.jp/eyeofgod/entry-11266089545.html

これは、ある教会の牧師の体験談。

牧師夫妻に、可愛い赤ちゃんが産まれた。
所の人々は、口々に
『あらまぁ、かわいい赤ちゃんだこと!』と言って、可愛がった。
でも、散々にほめた後で、こういうことを言うのである。

『でも、可愛いのは今のうちだけよ。
これが2,3歳になってごらんなさいな!
最初の反抗期で、大変ですわよ!』

でも、この牧師には、ひとつ自分で決めていることがあった。
世間がどうでも、うちの子には関係がない。
反抗期にはならないー。
それは、無理くりに 「ならない、ならない・・・」
と脅迫的に自分を暗示にかけるようなものではない。
言わば、サラッと 「ならないものだ」 と、
自分で決めて、宇宙に宣言したのである。
さて。
実際に、その子は2歳になっても3歳になっても、
特に親を困らせるようなことはなかった。

それから数年後。
今度は、また周囲の人々がこういうことを言い出す。

『お子さんが思春期になってごらんなさいな。
もう、親の言うことを聞かなかったりして大変よ?』

どうも、世間はよっぽど 『子どもに反抗させたい』 らしい。
科学的なことで、あるいは心理学的なことで
「反抗期なるものがある」 と主張したい人はいるかもしれない。
でも、ゴメンなさい。そんなものは本来、宇宙にはないのです。
世間が、もっといえば 『あなたが創造した』 のです。

で、実際にこの牧師さんの子ども、
中学生になっても高校生になっても、この牧師さんいわく
の時分を振り返って困らされたことや、
盾突かれた記憶がまったくないのだそうだ。
そして現在、4人の子どもさんたちは上が二十歳、
一番下が小学校高学年だがー
皆さん、同じように反抗期もなく、一家幸せに暮らしている。

さて、新時代のスタンダード。

あなたの外側に「法則」というものがあって、
従わねばならないのではない。
あなたがその「法則」を作り出しているのだ。

先ほどの例で言うとー反抗期がある、
ということを多くの人は世間から情報として習い覚えてー
「そういうものなのだ」 と無防備に受け入れる。
だから、それがその人にとっての真実となる。

だから先ほどの牧師さんは、
他人なんて関係ない自分の 「法則」 を作り出した。
うちの子に反抗期なんて関係ない、という。
だから、世間には逆らえない物理的法則があって、
それはどうにもならないんだ、というのは単なる思い込みである。

「ケンカするほど仲が良い」 と、世間では言われることがある。
これなども、ウソ。
真理でも法則でもないものが、人々の思い込みによって
あたかも本当であるかのように 「昇格」してしまったもの。

はっきり言おう。

本当に仲が良いと、ケンカしない。
それとも、こんな当たり前のことも分からないのだろうか?
要は、皆さんなかなか人と仲良くできないので、
そんな自分を弁護し、慰めるために作り出した屁理屈である。 

厄年、という考え方がある。
平安時代にはすでに存在した考え方らしいが、正確な起源は分からない。
また、科学的根拠もない。でも、これは現代人の心にも根強く残ってる。

「ああ、今年は厄年だからなぁ…」

そんな言葉が、会話の端々でもよく出くる。
なぜそんな非科学的なことが信じ続けられてきたのか?そのわけは簡単だ。
実際にたくさんの人に 「厄年に良くないことが起った」 からだ。
そういう多くの実績(?)が、この迷信を支え続けているのだ。
現実と違うならば、これほど長くは語り継がれない。

皆が「厄年は本当に厄年だ!」という体験をしてきたから、生き残っている。
ここで、新時代の真理から厄年の不思議を暴いてみよう。
世の常識では

@厄年という考え方があって、
実際に多くの人において厄年に悪いことが起きている
Aだから、やっぱりこの概念はバカにできないものなのだ、と信じる

そういう流れだろう。
しかし、今日のメッセージが明らかにするのは、事実はこの逆だということ。
実際には、次のような流れになっている。

@周囲からの情報を素直に受け取ることにより、
厄年という考え方を心に受け入れてしまう
A心で受け入れたので、その通りのことが実現する(信念が働いた)

現実がこうだから私たちはこう信じる、
という常識は、事実を的確にとらえてはいない。
そうではなくて、私たちが心で受け入れ認めたこと、
いつも思い巡らせていることが力をもって現実になる、
というほうがよっぽど現実をとらえた考え方だ、と言える。

はっきり言いまして、厄年などというものはない。
それはそう信じた人だけが、そういう考え方を受け入れた人だけが、
その通りの現実を体験するにすぎない。
厄年は、万民に適用される真理ではない。

他に例を挙げれば、4は日本では不吉な数字だが、
海外では文化が違うので、4を何も気にしない。
一方、キリスト教文化圏では6や13が不吉としているが、
東洋人はまったく気にしない。
「13日の金曜日」 「オーメン」 という映画が有名になって、
最近では6や13が不吉という考え方がポピュラーになりつつあるが…。

世の中で「これって、こういうものよね」と言われているほとんどのことはー
「その人がそう思うからそうなるだけのこと」 に過ぎない。
だから、そういう情報に過度に振り回されるのではなく、
「自分はどうであることを望むのか」
ということのほうを大事にしていくべきではないか。
心に恐れを抱けばそれを現実に見せられることになり、
幸福や希望を心に抱き続ければ、それが現実になるのだ。

そういう考え方からいうと、一番迷惑な存在はテレビである。
あるいは、健康に関する話題やニュース。
〜をすれば頭が良くなる!〜を飲めば〜に効く!
権威のある筋からそう言われれば、「そうかなぁ」 と思う。

もし、それが本当に効いたとすれば、心で素直に受け入れたからだ。
ただのビタミン剤でも、嘘をつかれて 「これは特別な特効薬です」
と言われれば、本当に良くなってしまう、というのもそういうことだ。

昔、『たけしの本当は怖い家庭の医学』なんていう番組があったがー
知らなくて済んでいたことも、
「こういう怖いこともあるんだ!もしかして私も・・・」
と、人に思わせる。不安をあおることで、
それを受け入れ自分の宇宙の真理としてしまう人が増える。

でも、ひとつ補足しておかなければならない。
信念が現実をつくると言っても、何でもかんでも思い通りにはならない。
例えば、「山よ動け!」 とやっても、どうですか?
山はシーンと静まり返ったままのはず。

見方を変えてみよう。
あなた、山を動かせたからといって楽しいですか?
魂の底からの喜びがありますか?
それをすることで、誰かの役に立つでしょうか?
誰かに愛を配ることができる行為でしょうか?
山よ動け、というのは恐らく、本当にくだらない理由のはずである。

私たちはもともと、生身の人間ではなく、
人間というゲームキャラを動かしている別次元の超意識である。
その存在は絶対であり、完全であり、
時間という概念もないし場所という概念もない。
失敗とか成功とか喜怒哀楽とか、冒険とかロマンスとか、ない。

ただ、完全として 『在る』 のである。
それでは退屈だから、完全な存在はあえて自分を限定した。
限られたことしかできないように設定し、
そこで成功するか失敗するか。ゲームを始めた。
それが、この三次元に見える世界。私たちがいる宇宙だ。
願って一瞬で思い通りになるのなら、この世に生まれる必要がない。
こんなところ来なくてよろしい、というものだ。

ワクワクして、失敗を乗り越えて、様々なプロセスを経て、
やった〜!
という感情、つまり喜びを味わいたいがために、この世界を開いた。

だから、いくら人間意識としてのあなたが
山よ動け〜重力よなくなれ〜と願ったところでー
そんなことがまかり通るゲームは面白くないので、
プレイヤーである超意識に拒否られるだけである。

そもそも、決まりごとだらけの宇宙で
どこまでできるか?というゲームをしにきたので
その前提(ルール)を過度に壊すような願いは
いくら願っても、びくとも動かないのである。
なぜなら、あなたがゆるしても
「本当のあなた」 がゆるさないからー

ゲーマーが「無敵モード」でずっとゲームを楽しめると思いますか?
一定の制限があって、困難だから面白い。
だから、ゲームキャラとしてのあなたが、
怖いのいやだ、無敵がいい、と思おうが関係ない。
本当の自分は、実はあなたの状況を「楽しんで、観じている」のである。


転載終了

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これは、2012年06月02日に書かれた記事だが、
まずは最後の部分……。

『本当の自分は、実はあなたの状況を「楽しんで、観じている」のである』

度々ブログに載せているが、2012年2月26日に、
私がヤタガラスに送ったメールと非常によく似ている。

そのメール画面が下の画像だが、
「獣」というのは反キリシリースでの私のニックネームで、
「ヨハネの黙示録」に登場する反キリストのことである。

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「楽しんで」をわざと「たの死んで」と書いているが、
真我に目覚めると自我が希薄になり、ある意味において、
人間界では死んだように生きている状態だからである。

「居眠りしながら」というのも同様の意味合いだが、
真我覚醒は「生死」という二元感覚を超越した状態でもある。

日常的に真我が半覚醒した状態を保って生きていると、
ワクワクして、失敗を乗り越えて、様々なプロセスを経て、
やった〜!という感情、喜びも希薄となるが、
それは自我の感情そのものが希薄だということである。

その代わり、失敗しても酷く落胆することはなく、
何が起きてもネガティブな感情に支配されることはなく、
どのような出来事に対しても殆ど一喜一憂しないのである。

そのように言うと「喜びがなければ人生つまらない」
という声が聞こえてきそうなので予め言っておくが、
自我の一喜一憂などの感情を超越した真我の感情は、
人間界のあらゆる出来事を観て「楽しんでいる」のだ。

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記事全体に対しても異論はないが、
厄年については少し付け加えておきたい。

日本では厄年を信じる人が多い為に、
そのような「信念体系領域」の世界が形成され、
日本人の集合的無意識を支配していると言える。

故に、厄年を迷信だとして全く信じていない人や、
厄年をよく知らない人や忘れていた人にも影響するのだ。

それを回避するためには、
「厄年を恐れない、受け入れない」ことが基本だが、
幽界〜信念体系領域(フォーカス23〜26)を脱却し、
天国(フォーカス27)レベルに意識を高めることだ。

だが、中矢伸一氏によると、厄年は迷信ではないという。
中矢氏の勝手な主張ではなく水野南北の話に基づくもので、
詳細は以下の画像を拡大してお読み頂きたい。

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厄年は「メグリ(カルマ)の中間決算期」で、
ネガティブ・カルマが多い人には悪い事が起こり、
ポジティブ・カルマの多い人には良い事が起こるという。

もちろん、神社仏閣の厄払いなどは気休めに過ぎず、
身魂磨きをして意識レベルを高めることが重要となる。

厄払いの詳細については、以下の記事も参照して頂きたい↓

人類の厄年を反転させるミニロゴストロン
http://kemono666.seesaa.net/article/248924180.html
鬼は外、福も外!
http://kemono666.seesaa.net/article/250285180.html
禍転じて福となす
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/185321696.html

冒頭に乗せた「常識破壊」の記事もお読み頂きたいが、
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posted by ZERO at 13:29| Comment(0) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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