2014年01月03日

覚醒者と非覚醒者

前回紹介した坂本政道氏とバシャールの対話で、
次のような話があった↓

坂本…
それぞれがネガティブとかポジティブとか、
目覚めるとか目覚めないとか言っていますけれど、
目覚めている状態がいいとか、
目覚めていない状態が悪いとかいうことはない、ということなんですよね?

バシャール…
そうです。目覚めているのがより優れているということではありません。
先ほどもお話ししたように、価値判断ではないのです。
「ひとつなるもの」の表現のすべては等しく価値があるのです。


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これは本質論で、分かりやすく言えば、
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」で、
極論すれば、高級霊(神)も低級霊(悪魔)も
大いなる全体の一部なので優劣はないということである。

だが、宇宙の目的が生成発展で、
人間の人生の目的が「覚醒」であるなら、
便宜上、次元の上下や善悪という概念は存在する。

それは白金ルシファー氏の以下のコメントにも通じるが、
理論的には理解が進んでいる方だと思われる↓

星は爆発し、塵が集まり又、粉々になる。
水は川となり海へ流れ水蒸気となり雲になって雨となって川に流れる。
それを生と死とみるか、善悪とみるか。
そう思えばそうだし思わなければそうではない。
とすれば次元が上が善いだからその為の善悪統合?それとも?
わからないのです。次元の上下、良し悪しをつけないと
三次元の自分はただ遊びにきただけなのか?


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さて、少し前に紹介した
「Eye of the God 〜神の眼」のテラ氏のブログで、
その話と通底する記事があったので転載しておこう↓

覚醒者なんて大したことない

今日のショッキングなタイトルは、
「本当にそうだから」 付けたのではない。
ただ、それくらい言っといたほうが、
皆さんの勝手な覚醒者に抱く「幻想」を砕いてあげられるかな、
と思って、親切にも思い切って言ってみた。

ある有名なスピブログのコメント欄で、先日面白い現象があった。
そのブログのコメントの常連の方がいて―
どうも、文章の内容からただの一読者というよりは、
ご自分もブログ主に近い 「覚者」 っぽい人。
毎回、適切なというか、素晴らしいコメを残すので、
そのコメ欄の世界では人気者だった。
だが、ある日の事。

その覚者の方が、珍しく批判にあったのだ。
確かに、あなたの言っていることは正しい。
的を射ていて、非の打ち所がない。
だが、「非の打ちどころがなさ過ぎて、イヤ。」
まぁ、平たく言えば 「人間味がない」 ということかな。
逆に、きれいすぎる、ということかな。
覚醒などしておらず、まだ悩みの中にいる私の気持ちなんか、
分かってないでしょ?と。
もっと泥臭い、一生懸命生きてます、
みたいな必死さがあるほうが、好感が持てる、と言う。

白川の清きに魚の住みかねて 元の田沼の にごり恋しき

…そんな狂歌も、ありましたっけ。日本史の勉強で、習いました?
その後、この覚者の方と、ツッコミを入れたコメ主との応酬が続く。
覚者は、相変わらずで(笑)
良い意味でも悪い意味でも「ブレない」ので
結局、批判主が求めているものは何なのか、
をつかめないまま、やり取りは終わっている。
お互いが依って立つ次元が違うので、まぁ話がかみ合うわけがない。

この覚者さんは、何の悪気もない。
だって、「攻撃や問題を、
それとして正面から相手にする発想が欠落しているから」 。
そもそも、何か人から突っ込まれたからといって、
それを深刻にとらえ「どうやったら相手が納得するのか?」という、
恐れの意識で対処するのが不可能なのだ。

でも、不可能なくせに愛があふれている(笑)から、
無視はせず誠実に返答する、という形になる。
でもその返答が、問題があるとする質問者と住む次元が違う
(問題のない世界)ので、結局覚者は悪気なく相手を不快にさせる。

だからこのケースで悪いのは
(ちょっと皆さんの次元におりてみますよ〜)、覚者さんではない。
あなた私の気持ちが分かってない、と突っ込む質問主さんが悪い。

皆さんの中に根強くある、勝手な 「覚醒者」 のイメージがある。
こういう人であるべき、という押しつけがある。

愛であふれている。
優しくて、人格者。
怒らない。
いつ何時でも、人に対して誠実な姿勢を崩さない。
必ず他者の思いを的確に汲み、的確にそれに応える。
間違いを犯さない。

だから、覚醒者 (と思われる) が自分のニーズに対して
これだけの会話をしても、納得のいくものを与えてくれない!
そういう、勝手なイメージを抱いて勝手な要求水準を設けて、
その合格水準を満たさないので
「なんじゃこいつは、覚者なんだろ?」 となる。

だから、こう思っていただきたい。

覚醒者って、大したことないんだよ。

この場合の 「大したことない」 の意味合いに注意いただきたい。
読んで 「文字通り」 大したことない、のではない。

この世界が、善悪や正しい、誤りが存在するという
幻想がまかり通る世界においてー
覚醒者は、時として不器用である。
だって、もう覚醒以前の呪縛(認識パターン)に陥ることができないのでー
相手のエゴが満足するような対応が、もはや不可能なのだ。
あなたの次元で、かゆいところに手が届くような細やかなケアは、もう無理。

もちろん、自由意思でトライしてみることはできる。
でも、結果は先に紹介した覚者とそうでない者とのやり取りのごとく。
英会話の心得がない人と、英語のネィティブスピーカーが会話するようなもの。
だから、私などは人と会話する時、相手に理解してもらおうとか、
どうやったら納得していただけるか、など考えていない。
考えても無駄 (自分はその次元にいない) と自覚しているので、
同じどうしようもないなら「好きなこと、言いたいことを言おう」という方針。

つまり、あなたの次元に降り切って語れない、という点。
問題のある意識ステージで生きている者を、真剣に構ってあげられない点。
それこそが、覚者の 「弱点」 。
 
でもそれは、一般的感覚での表現であってー
覚者自身は、それを弱点と思っていない。
むしろどうでもいい感じ。問題にしていない。

人によっては、ここで突っ込んでくるだろう。
じゃあ、覚醒者がやっている個人セッションは、意味があるんですか?
トークライブは、意味があるんですか?
だって、認識の次元が違うんでしょ?

この問題は、視点を変えないとダメだ。
ある方が覚者の個人セッションを受けるなり、
トークライブに行くなりという現象が実際に起こる時ー
それは、起こるべくして起こっている、と言える。

つまり、時が来たのだ。時満ちたのだ。
その時、それをするのが最善だから、起こった。
受け止め、気付きを得て次のステージに行ける段階になったのだ。

だから、覚者と話すことに意味がある。
しかし、人生はただの一本線で、すべて決まっているのではない。
だから、さっきの質問者も、選択によっては覚者との出会いの中で、
もっと違う気づきを得たケースもあっただろう。

それをパラレル・ワールドと呼び、
あなたが選択しなかったすべてのパターン世界が、
この次元を越えたところにある。
「今ここ」 でなくなったことに関して、
あの時こうしていれば、という議論はまったく意味をなさない。
だって、「失敗」 などないから。
永遠の時間を、何度でも気の済むまで挑戦できるゲームだから。

だから、たまに覚者が(あなたにとって)失言しても、
大目に見てやってください。
寛大な心で、「しょうがねぇな」と思ってあげてください。
だって、コイツら本当の意味で
あなたに共感できる次元の外に行っちゃったんだから!

多少、あなたの気持ちを繊細に汲めなくても、許してあげましょう。
あ、ひとつ言っておかないと。
もちろん個人差があるので、
覚者でも本当にそのあたりの扱いがうまい方がいます。
しかし、覚醒者が皆そうではないことを覚えておかないと、
いらぬイライラが生まれます。

覚醒した、って言っても、肉体を持ってこの次元で生きているんですよ。
二元性の世界に存在できている以上、完全ではない。
完全になっちゃったら、この次元にはいられません。
あちら (一元性) の世界に強制送還されますよ。

イエス・キリストという人物がいる。
このブログで何度も キング・オブ・言いたい放題」
として紹介しているマスターだ。
本当に、一見したら 「聞く相手のことなど
全然配慮していないかのような」言葉ばかりである。
イエスに関する聖書の記述は、そのような言葉で埋め尽くされている。

ズケズケ、覚醒の観点から恐れずものを言った結果ー
十字架上で、無実にもかかわらず処刑された。
皆の理解を越えていたのである。
きっとイエスは、そういう事態になっても
自分が「失敗した」 とは思わなかっただろう。

むしろ心からの言葉だけを言い、そこに悔いはなかっただろうしー
何より、自分の生き様を人類が知って、これからの歴史がどう動いていくのか。
うわ、面白そ。そういう感じだったのだろう。

覚醒者が、自分より上(なはず)だという過度の期待が、邪魔なのだ。
覚醒者なんだから、これくらい分かってよね。
できてよね!という勝手な押し付けが邪魔。
終戦後、昭和天皇が人間宣言をされたようにー
私も、改めて宣言してみる。

覚醒者が、皆さんが勝手に考えるような「上等」な存在なんてとんでもない。
皆さんより、上でも下でもない。
皆さんと同じ、人間です。同じ魂です。

覚醒者である人間。
覚醒者でない人間。

このふたつの言葉が並び立つ時ー
「覚醒者である」 「ない」 という部分よりも、
「人間」 という部分の方が、圧倒的に重要。
人間、という言葉を修飾する語句
(どんな人間か) という部分に、大した重要性はない。
ないのに、この幻想世界では「どんな人間か」ばかりに気を取られている。
その事実に気付いていただきたい。

トムとジェリー
仲良くケンカしな。
覚醒者と、非覚醒者。
(そんなもの本来ないけど)
仲良くケンカしな。
できることなら、ゆるし合いな。


転載終了

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私も日常会話やメール相談の中で、
同じようなことがよくあり、
以前はコメント欄でもたまにあったが、
私もテラ氏と全く同じ意見である。

だが、私は人間の視点で他者と対話をすることもできる。
さもなくば、非覚醒者と何を話しても全く話が噛み合わず、
禅問答になって一切のコミュニケーションが不可能になる。

しかし、実際にはどのような覚醒者と呼ばれる人物でも、
3次元的な人間の視点で他者と対話することは可能である。

それを徹底して「しない人」というのは、
3次元的な人間の視点で相手の土俵で論争することを、
頑なに拒絶しているだけだと言えるだろう。

私もそのような時があり、
それは「真実の言葉(真理)」ではなくなるからで、
相手に理解困難だと分かっていても、
そのような姿勢を貫く場合がある。

だが、人には意識のレベルというものがあり、
人それぞれに応じた説法も必要であろう。

真我の視点からのみで、相手が理解できない言葉だけを並べ、
その一辺倒の姿勢や態度を崩さないのは、一種の自我であり、
人々の意識進化を導く指導者とは呼べないと思う。

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半田広宣氏は次のように述べている↓

「変換人になると、今の人間とは全く逆になる」

これは「内外反転」の認識が生まれるからで、
私が人と正反対の世界認識を持っていることからも分かると思うが、
半田氏は次のようにも言っていた↓

「水の中でも水の外でも呼吸できる両生類のように、
『人間』としても『変換人』としても生きれるようにした方がいい」


これは七夕の記事でも書いた事だが、
それに対して私は次のように書いている↓

『私は全くその通りの生き方をしている。
変換人の意識を持つと世界観が反転するので、
人々とは根本的に話が合わなくなる。
つまり、今の人間界で普通に生きていくことは不可能となるのだが、
私は人々に合わせて交流し、社会に順応して俗世間で生活している。
変換人は本質的に社会不適合者だが、
私は「人間」として社会に適合する柔軟性もあるということである。
もちろんそのことは、記事を書く上でも重要な要素である』


「シリウス革命」と七夕の御用
http://new-mu.seesaa.net/article/368729319.html

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覚醒者と非覚醒者の対話についての話に戻すが、
本質的なことを言うと、非覚醒者は覚醒者の自我の投影であり、
覚醒者は非覚醒者の真我の投影に過ぎない。

故に、私にとって他者との対話は「自問自答」のようなもので、
その理解を深めてもらいたいと思う。

だが、相手の世界の相手の本質は「真我」であり、
自分と同じ神で一体の存在であることを分かっているので、
単純に「他者は自分の自我の投影に過ぎない」というような
傲慢な考えや想いは微塵も存在しない。

むしろ、そのような傲慢な考えや想いを持っていれば、
それは世界認識が反転していないエセ覚醒者であり、
神なる意識である真我の目覚めとは程遠い低次元にある。

だが、冒頭の話に戻せば、そのようなエセ覚醒者と
非覚醒者と覚醒者に上下はないということになる(笑)

要するに、自分の世界に於いては「人類=自分」であり、
70億人の人類は70億通りの自分の投影であり、
自分を知る為に様々な他者が存在するように見えるのである。


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posted by ZERO at 02:03| Comment(4) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
半年前位前に、巨大宇宙船をアストラスの姿で見て、
その船は大きすぎるので、一人残らず世界全体をすでに救済しているため、アセンションという虚構はすでに我々がその救済の箱舟に乗っていたと気づけば良いだけという理解です。
その後にシリウスという言葉のシンクロを引き寄せてしまったので、宇宙意識の象徴として自我的解釈をしておきました。

この後に主客の分離意識は残っていて、そのアストラルの大きさを自分個人のものとして投影するエゴの罠にはまりましたが。

ところで覚醒者同士は理解し合えるのでしょうか?
Posted by 2ちゃねらー at 2014年01月03日 14:20
2ちゃねらーさん、こんにちは。

「一人残らず世界全体をすでに救済している」
という考え方は良いと思いますよ。
私も真我の覚醒を自覚した時、
原因の世界(想念界)で人類を救済したことを感じました。

ただ、巨大宇宙船がノアの箱舟のように人類を救済するというのは、
それこそ幻想や虚構ではないかと思うのですが如何でしょうか?

アセンションは虚構ではなく、
イエスや伝説のヒマラヤ聖者のように、
肉体が消滅することを言います。
現在の日本にもそのような人が存在しています。

真我が完全に覚醒すれば、この世から肉体が消滅します。
しかし、この世からその人の肉体が消滅したように見えるのは
第三者から見た認識であり、その人にとっては
自分が存在したこの世自体が消えてしまうのです。

覚醒者同士は理解し合えるのかについては、
覚醒の度合いや個人的な考え方の違いはあるでしょうが、
基本的に同じ世界観を認識・共有しているので、
大体は理解し合えるものと思われます。

バシャールがいうパラレルワールドへの分化が進めば、
覚醒者は覚醒者同士の世界に移行していくと思いますが、
現時点では覚醒者同士が接点を持つことは少ないと思います。
釈迦やイエスも苦悩する人々を引き寄せていましたからね。
Posted by ZERO at 2014年01月03日 15:25
>ただ、巨大宇宙船がノアの箱舟のように人類を救済するというのは、
それこそ幻想や虚構ではないかと思うのですが如何でしょうか?

その通りなんでしょうね。僕も現時点でそういう風には考えてませんし。
宇宙全体=宇宙船と行った感覚に近かったですね。これも後付けの解釈になってしまうのでしょうけど。
会話の食い違いが減るように話して置きたかっただけですので、この話はこれ位で。

>基本的に同じ世界観を認識・共有しているので、
大体は理解し合えるものと思われます。

そうですか。ネット上の掲示板で悟った風な方達による議論の言い合いとか
見ることがあり、どういうことなのかと疑問に思いました。

他のことについては、わからないことで、知識としてもないので参考だけにコメントは控えます。

お返事ありがとうございます。
Posted by 2ちゃねらー at 2014年01月04日 00:00
ネット上の掲示板で悟った風な方達による議論の言い合いですか……

私はそのようなのを見たことがないので知りませんが、憶測で物を申せば、悟っている(真我に目指めている)人は滅多にいません。

理解し合う為に論争は結構なことだと思いますが、ほとんどの場合、自分の知識や観念に基づく自己主張で、一種の宗教戦争を起こしているだけだと思います。
Posted by ZERO at 2014年01月04日 22:52
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