2014年01月22日

愛感力と自我の確立

「愛を超越する知識と自我の確立A」
で、自我の確立の必要性について書いたが、
「自我を確立させる為に内観が有効」とは、
どのようなメカニズムでそうなるのか……
という疑問を持った人もいると思う。

内観は自我を破壊して真我を目覚めさせ、
5次元意識、即ち、自他一体(愛)の認識に
到達する為のメソッドだからである。

一方、自我は自他分離の認識を持つ3次元意識で、
この人間界に自分と他者が存在すると錯覚している為、
真の愛を理解することができない。

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では、なぜ自我を確立する必要があるのか……。
自我が確立していないと、
自分と他者を明確に区別できないかららしい。

「それが真我の『自他一体』の認識ではないのか」
と思うかも知れないが、意識進化にはプロセスがあり、
自我が確立していないことと、自我を確立してから
自我を破壊して真我に目覚めることは全く違うのだ。

そして、自我が確立できていない段階で
「自他」の二元性を統合しようとすると、
個としての自分の主体がなくなって危険だという。

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では、自我を確立する為になぜ内観が有効なのか……。
そのような質問を受けて答えることが出来なかったのだが、
「自我の確立の必要性」の中で紹介した記事を読み直すと、
その答えが載っていた↓
http://new-mu.seesaa.net/article/361776925.html

「アダルトチルドレン」のケアから、
「自我が確立する上で必要不可欠なものは何なのか」が、
はっきりわかるようになりました。

それは「親の愛」です。
子供は両親のたゆみない愛情に包まれて育つ必要があり、
そうすることによって、子供は情緒的に安定し、
「どんな自分でも愛してもらえる」という安心感を身につけ、
そこから自分自身の人生を歩み始めます。

ところが、それが充分に得られなかったりすると、
「周囲の期待に応えよう」
「自分を受け入れてもらえるように振る舞おう」
という力が無意識に働き、子供は自分自身の人生を
なかなか歩み出すことができなくなるというのです。

やはり、子供は「親の愛」なくして成長できないようになっています。
自我が目覚める3才頃にしても、自我が確立する思春期にしても、
それぞれ第一、第二「反抗期」と呼ばれますが、親に反抗するのは、
どんなに反抗しても「愛してもらえる」という愛の確信が欲しいからです。
そうして得られて初めて、自分らしい自分だけの人生を歩み始めます。

ちょうど3才頃の子供というのは、だいぶ手もかからないようになってきて、
言葉を話し始め、親の愛をふんだんに受けられるように可愛い盛りを迎えます。
そうして親の愛を受けながら、自我が芽生え始め、
思春期になると、一個の独立した自分であることを模索し始め、
なんとか親の束縛から逃れようとします。

精神的には早く独立したいのに経済的には自立できないため、
色々な衝突や軋轢が生じ、悲劇的な結末に終わる場合も珍しくありません。
それを回避するためには、親にしても子供にしても、人間一人一人は
誰からも束縛されない一個の独立した存在であることを明確にした上で、
人間一人では決して生きていけないこと、
そのためにお互いが助け合う様々な関係が有形無形に
結び付いて成り立っているのが人間社会であり、
その中で家族は自分の意志では変えられない宿命的な関係であることを
はっきり自覚する必要があります。

さらに、私達一人一人が本当の自分を見いだし、
本当の意味で自分自身の人生を歩むためには、
アダルトチルドレンに限らず、
誰もが本当の親の愛を実感しなければなりません。
本来受けるべき親の愛が足りないと、
子供は何とか愛されようと懸命な努力を無意識のうちにしてしまい、
結果的に自分自身の人生を歩み出せなくなります。

立派な大人に見えても、その行動の動機が他人から評価されたい
認められたい一心で行っている場合が少なくありません。
それは本当の意味で自分の人生を歩んでいる生き方ではありません。
経済的に自立して誰からも束縛されず自由に生きているように見えても、
本当の意味で、まだ自我が確立されていないようです。


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パーソナル心理学によると、自我が確立する上で
必要不可欠なものは「親の愛」だという。

そういえば、人間に最も近い動物はサルだが、
坂本政道氏やシルバー・バーチの霊言によると、
次に人間に生まれ変わる可能性が高い動物は犬と猫で、
人間の愛情が注がれることで進化するのだという。

さて、本来受けるべき親の愛が足りないと、
何とか愛されようと懸命な努力を
無意識のうちにしてしまうようになるという。
つまり、愛に飢え、愛を求める人生になってしまうのだ。

「恋は求めるもの、愛は与えるもの」という誰かの名言があるが、
愛を求めるということは愛を知らないということになる。

実は、心の学校(佐藤康行)や原アカデミー(原久子)や
太陽の会(中丸薫)が指導する内観の真髄は、
「母親の愛を思い出す」ということに絞られている。

ネオデジタル内観はそれを重視していないので、
私のハイパーネオデジタル内観には、
中丸薫氏が説く内観メソッドも取り入れている↓

7つの反省と魂の癖を読み取るワーク
http://world888.seesaa.net/article/236297877.html

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何故、母親が重要なキーパーソンかというと、
約10ヶ月もの間、母親の胎内で育ち、
自分を生み出した原点であり、人生で一番最初に
無条件の愛を与えてくれた存在だからである。

スウェデンボルグは次のように述べている↓

「あなたは小さな幼児を抱いて、
その頬に頬ずりしている母親といった
母子の姿にどんな気持ちになるか?
この光景は心和む気持ちにさせるものに違いない。
幼児の姿には無垢を感じ、母親の姿に愛を感じるからだ。
ここには一つの天国の光景が確かにある。
無垢と愛は天国の一つの姿だからである」


天国へ招かれる条件と真の愛
http://new-mu.seesaa.net/article/357132805.html

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つまり、母親の愛は天国レベルの無償の愛であり、
それを思い出すことで自我が確立すると同時に、
真我が覚醒するということになる。

但し、心の学校や原アカデミーや太陽の会などがいう
「真我覚醒」は、私から言うと真我覚醒ではない。

母親の無条件の愛(無償の愛)を思い出すことで
幽界想念が浄化され、天国の意識レベルを一時体験し、
意識改革のキッカケになるということである。

換言すれば、天国レベルの愛に触れることで、
真我が覚醒に近づくということで、その為には
「母親の愛」を思い出すことが近道だということなのだ。

だが、天国はまだ輪廻の世界であり、
5次元(真我の世界)には到達していない為、
天国レベルの愛もその断片であり投影である。

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もし、赤ちゃんが突然、自分に懐かなくなり、
昼も夜も憎たらしい顔をして泣き続けたとしたら、
どうだろうか……。

その赤ちゃんを愛おしく思えなくなったとしたら、
それは「無条件の愛」ではなかったということになる。

また、全身全霊で愛情を注いでいたのに、
病院で赤ちゃんの取り違えがあったことが
発覚したとしたら、どうだろうか……。

それでも変わりなく、その赤ちゃんに対して
無条件の愛・無償の愛を与え続けられるだろうか……。

出来ないとしたら、それは自分の子供だと
思っていたから可愛がれたということで、
「真の愛」ではなかったということになる。

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あるいは、赤ちゃんが誘拐犯にさらわれて
殺害されたとしたら、どうだろうか……。

本能的に一時的に悲しくなるのは仕方ないが、
赤ちゃんの死を祝福することができずに悲しみ続け、
誘拐犯を恨み続けるならば、赤ちゃんに対する愛は
「真の愛」ではなかったということになる。

「真の愛」は真我に目覚めなければ分からないことである。

この話をすると今回のテーマから外れるので改めて詳述するが、
とりあえず、母親の愛というものは多くの場合、
「天国レベルの無条件の愛・無償の愛に近い」ということである。

父親の愛は一般的に「厳霊系」なので、分かりにくいことが多い。
また、授乳や子育ても普通は母親がしてきてくれたことなので、
巷の内観では「母親の愛」がテーマとなっていることが多い。

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母親の愛情を感じられない、母親を憎んでいるという人が、
私の相談者の中にも多くて厄介な問題である。

日本で最初に確立された内観の基本は、
「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」
の3つを思い出すことがテーマとなっていて、
原アカデミーやネオデジタル内観でも導入されている。

母親の愛情を感じたことがないという人でも、
最低限の世話をしてもらってきたはずである。

だが、母親のことを思い出すと憎しみしか湧かず、
パニック発作が起きるという人もいたので、
感情を外して客観的に内観することを指導したが、
どうしても出来ないという。

「忘れた方がいいのではないか」と聞かれたが、
表面意識で忘れたとしても、潜在意識は忘れていないので、
その記憶が浄化されるまで人生に投影され続けることになる。

しかも、多くの場合、投影される度に怒りや憎しみの感情に支配され、
死ぬまで負のスパイラルから抜け出せないというケースが殆どだろう。

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そこで、思えなくてもいいから、とりあえず
「有り難う」をひたすら唱えてもらったが、
唱えれば唱えるほど怒りがこみ上げてきて、
耐えられなくなってしまうという。

それは潜在意識のネガティブなものが浮上して、
浄化作用なので喜ばしいことである。

トラウマの治療でも、退行催眠で幼い頃の記憶を呼び覚まし、
その時の苦痛を追体験することでトラウマが解消される。

本当は、感情の追体験をする必要はなく、
むしろ映画のように客観的に観るだけでいいのだが、
出来ないと言われれば仕方がない。

感情が出てきたら、その怒ってる自分を客観的に観て、
「その感情の原因は過去の出来事」で、
「その出来事の原因は潜在意識の記憶」だという認識のもと、
自分の潜在意識に対して「ホ・オポノポノ」を唱えてもらったが、
どうしても感情に耐えられないという。

それは前世からの強烈な悪因縁としか思えない……。

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また、内観は一種のトランス状態になるので、
パニック発作になるほど強烈なネガティブ感情が出るなら、
1人で内観を続けるのは危険でもある。

私が守っているので大丈夫だが、
それでも苦しみに耐えて内観を続けろとは言えない。

それで、過去完了形で「有り難う御座いました」と唱えると、
恨みの波動からようやく解放されたという。

だが、それだけではまだまだ不十分で、その時点から、
感情を入れずに客観的に内観を始めるスタート地点である。

そして、母親が自分の投影である以上、
母親に対する恨みの本質的な原因は、
自責の念から自分を守る為に
母親に攻撃の念を転嫁していたということになる。

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前世でその母親に殺されて、恨みを晴らす為に
その母親の子供として生まれたということもあるが、
仮にそうだとしても本質的には自分の投影なのだ。

それを理解して、ひたすら謝罪と感謝と愛の言霊
(ホ・オポノポノ)で浄化し尽くす必要があるのだ。

そして、1つだけ母親に感謝できることを思い出したらしく、
とりあえずは一件落着だが、
母親の無条件の愛・無償の愛を感じるまでには至っていない。

また、幼くして母親と離別して、
記憶がないという人はどうすればいいのか……。

その場合は、育ての母親や父親を対象にするしかない。
もし、育ての母親や父親に虐待を受けていた場合は、
先ほどの例のように内観を進めていくとよい。

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ちなみに、「自我の確立の必要性」に載せているが、
ESPの石井普雄氏は3歳の時に母を亡くし、
写真もなくて顔も知らず、母の愛を知る由もなかったという。

そして、母亡き後、一年くらいした頃に継母が来たが、
優しさを求めすがる石井氏に対して
継母は冷たかったそうだが、次のように述べている↓

「しかしながら、亡き慈母を慕う孤独の哀愁は一層強く、
人の情、優しさを求め、人様の親切や愛情に対して、
心から喜ぶようになり、人の為なら、
自分の事を考えない嬉しい信念ができていたことを、
今この第三弾の原稿を書きながら思った。
これは亡き母の最高の教えであり、導きであり、
母の愛が今日も強く生きていることが身に沁みて感じられた」


両親や育ての親というのは人間関係の原点なので、
まずそこに手をつける必要があり、僅かながらでも感謝するべきこと、
反省するべきこと、多少なりとも愛情を感じることがあるはずである。

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明治天皇の御製で次のようなものがある↓

「目に見えぬ 神の心にかなうこそ
人の心の 誠なりけり」


神の心に適う心とは、一体どのようなものだろうか……。

「われ神なり」という謙虚で平和な気持ちで、
自他一体の認識で人類を平等に愛することだと言えるが、
それは真我に目覚めなければ無理な話である。

この明治天皇の御製を思い出す度に、思い出すことがある。

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それは生長の家の「大調和の神示」である↓

汝ら天地一切のものと和解せよ 
天地一切のものとの和解が成立するとき 
天地一切のものは汝の味方である 
天地一切のものが汝の味方となるとき 
天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 

汝が何物かに傷つけられたり
黴菌や悪霊に冒されたりするのは
汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから
省みて和解せよ 

われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 
先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である 
汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である 
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ
 

その意味でも、両親をテーマにした内観の重要性が分かる。

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だが、ネガティブな感情が強すぎて、
内観できる段階ではない人も中にはいる。

先ほどの例もそうだが、そういうケースに対応する為に、
いつか「インナーチャイルドセラピー」の資格を取りたい。

と思っているのだが、それはさて置き、
日常的にネガティブな感情に支配され、
両親とも憎しみ合っているという人がいた。

まだ1人で内観をするのは難しいと判断した私は、
親に口頭で「生んでくれてありがとう」と言うように伝えた。

それだけは絶対に言えないとのことだったが、
親が自分を生んでくれたことは(3次元的に)事実である。

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また、不幸な人生で「生まれて来たくなかった」
と思っていたとしても、今後はどうか分からないし、
辛い人生を経験してきたからこそ幸福人生に反転する人もいる。

バシャールの「輪ゴムのアナロジー」という話で、
輪ゴムを限界まで引っ張って指を放すと、
反対方向に一気に飛んでいくという理論があるが、
ネガティブのどん底まで来た時に一気に反転することもあり、
自殺未遂がキッカケで真我に目覚めた人もいる。

そのようなケースもあるが、徐々に浄化を進めて
一歩ずつ進化していくことが無難だと私は思う。

いずれにしても、「禍福はあざなえる縄の如し」で、
幸・不幸は表裏一体であり、そして、
全ての出来事は自分の潜在意識の投影で、
必然・必要・ベストで最善だと思えなくても思い、
ホ・オポノポノで浄化するのである。

それは無理やりなポジティブ思考で、
マイナス感情を抑えつけているとも言えるが、
それも言霊で浄化するので問題はなく、
現象を「理解」できなければ、それしか方法はないだろう。

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話が逸れたが、人生には不幸もあれば幸もあり、
不幸しか体験したことがないという人はいないと思う。

生まれた瞬間に殺されたとしても、それでカルマが解消され、
人間界で生きていく必要がなくなって幸福だと捉えることもできる。

読者の中でも、私から全く返信がないという
人も少なくないと思うが、それには色々な理由がある。

全てのメールを読むだけでも大変なので、
全てのメールに丁寧な返信をすることができない。
かと言って、適当な返信をするわけにもいかない。

返信をすればまた返ってくるので、
全員とそのようなメールのやりとりをしていると、
毎日24時間メールし続けてもキリがないし、
いくら菩薩行とは言え、そのような生活はできない。

なので、返信を急がない内容のメールは後回しにして、
その後回しメールが次々と増え続けて手に追えなくなり、
何週間、何ヶ月も経ってから返信することもあるし、
そのまま返信できていないメールも無数にある。

超人アイテムの注文などの重要なメールを見落として、
数週間後に再送メールが届いて、
やっと気づいたこともあったぐらいである。

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だが、相談者に直接返信しない場合でも、
その回答になることをブログに載せていることも多い。

また、返信は必要ないだろうと判断した場合や、
敢えて返信をしないということもたまにはある。

いずれにしても、私にとっては、
メールを送ってくる相談者たちも私の投影であり、
そのメールの内容は私の潜在意識が映し出していることである。

つまり、全ては私の問題であり、全ての原因と責任は私にあり、
私は私の世界で人々の苦悩を全て引き受け、メールを見ながら、
「ホ・オポノポノ」を唱えているということを伝えておきたい。

私の世界では全ては私の投影なので、自分の全てを愛している私は、
当然ながら全ての人々を平等に愛している。

分かりやすく喩えれば、神に話しかけても返事は聞こえないが、
神は全てを聞いているのと同じように、
返信の有無には拘らないで頂ければ幸いである。

「守りておりても気付かせぬ、
黙ってただただ守りたる、それがまことの神の愛」

(日月神示)

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この世は自分の真我の「内側の世界」であり、
5次元の光と愛に包まれ、万物は愛と光に満ちているが、
多くの人がその大愛を感じることが出来ないのは、
潜在意識が曇って真我が眠っているからである。

人間が言う「愛」には様々な形態があるが、
いずれも「真の愛」ではなく、その断片であり投影であり、
曇っていたり歪んでいたりするものである。

だが、母親の愛は「真の愛」に最も近い天国的な愛だと言える。
それ故に、母親の愛を思い出す作業が有効で、それが無理なら
後回しにして、先に父親の愛を思い出す作業をする。

また、どちらが先でも、片方だけでは片手落ちで、
両親の愛を深く感じ取れるまで内観を深めていく必要がある。

心の学校や原アカデミーのメルマガをたまに読むと、
親を憎んでいて感謝など絶対に出来ないという人が、
親の深い愛に気づいて号泣し、親子関係だけでなく、
他の人間関係も良くなったという体験談も多い。

私の内観指導で様々な奇跡的な変化を起こす人も、
例外なく両親への感謝を徹底的に実践した人である。

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では、ヨグマタ圭子は何か言っていないだろうかと思い、
「ヨグマタ 母親」で検索すると次のブログにヒットした↓

母親との関係
http://blog.goo.ne.jp/peace-healthy/e/8bca36c6f151b96f9474503187496675

ヨグマタジの合宿に参加して、一番の課題だった
「両親への怒り・悲しみ」が浄化されました。
長い間、私に大きな影響を与えていた問題です。

ヨグマタジに出会う前、自己流のセルフヒーリングや、
スピリチュアルなワーク、インナーチャイルドのワーク、
アダルトチルドレンのカウンセラーさん、心理学などで、
この心の問題を乗り越えようと試みましたが、
一瞬良くなったような気がしても、現実は変わらず。

むしろ、問題ばかりを見つめているせいか、
考えすぎて、余計ややこしくなっている気もしました。
お金もかかるし、変わらない現実にため息…時に、涙。

「一生、重たい気持ちのままかもしれない。」とあきらめの
気持ちでいましたが、ヨグマタジのディクシャをいただき、
様々な変容が起きたのを体験し、
思いきって、合宿に飛び込んでみました。

予想できない展開がどんどん起こり、
合宿最終日には、両親へ感謝の気持があふれるほどでした。

頭で何度も「感謝しなくちゃ」と思っていてもできなかった、
あたたかく優しい思いが、胸に溢れました。
怒りに曇った心が浄化され、表情も柔らかくなりました。

家に帰ると、何も知らないはずの両親から、
「いままで、ごめんね」と手紙が届いていました。

現実が、動いた。
自分が変わると、現実が変わることがわかった瞬間でした。
今まで、色んなことをやってきたおかげで、
この変容がいかにありえないことかが、よく分かりました。

ヨグマタジが長い間、修行をされて行き着いた境地。
その境地からの愛と知恵をいただいて、
両親と私の間にあった大きな岩が溶けたこと。
本当に、このご縁には一生感謝しかないと、
ただただ、頭が下がる思いでした。ありがとうございます。

3年経った今も、両親とはどんどん関係が良くなっていっていて、
それにもまた、感謝です。
この良好な関係が、あたりまえではないこと。
感謝を忘れないように、生きていこうと思います。


(転載終了)

もちろん、それで真我に目覚めたという話ではないが、
それによって「自我の確立」ができたはずで、
その上で「自我の消滅=真我の覚醒」に向かっていることだろう。

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それでも、どうしても両親に感謝など出来ない、
両親の愛を感じたくもない、
口先だけで感謝の言葉を唱えることすら無理だ、
という筋金入りの強者も中にはいる……。

その場合、
「他者は自分の投影であり、自分の世界に他者の実体は存在しない」
ということを徹底的に理解することである。

「他人は他人と思うなよ。
他人も自分ぞ。己の心のうつし鏡ぞ。
真っ直ぐに己と向き合う勇気持たねばならぬのぞ。
その勇気持つが強さぞ。
強うなってくだされよ。己を守るは己の心ぞ」

(日月神示)

だが、頭では理解しても感情がどうにもならないという人もいる。
その場合は、ハイパーネオデジタル内観の基本である腹式呼吸で、
想念を浄化して自我を沈静化させるしかないが、
それも嫌だ、苦痛だ、という人の場合は別の方法を取るしかない。

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『日月神示』には次のように示されている。

「生き物飼いて気付く者。男女の縁で気付く者。肉親失い気付く者。
気付きの形は違えども、一度は心にその愛を、感じてわかりておるはずぞ。
そのこと静かに思い出せ。思い出せればその時の、
愛に溢れた瞬間は、心豊かに満ち足りて、神の心となりておる」

「最初はその者その人の、己の片手が届くもの、それから始めて触れてゆけ。
触れれば愛の心涌く。その手で抱けば心涌く。
人の心はそうやって、すべてを愛せるものなれば、
今の人民どのも、己のまことの心に、気付かぬだけと思うのぞ」


つまり、男女愛やペット愛などでも、
真の愛(真我)に目覚める1つのキッカケだということである。

だが、実際には、どれだけ熱烈な大恋愛をしたとしても、
それは盲目的で独占的で条件付きの愛なので、
真我に目覚めることは皆無に等しいだろう。

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そのことも詳しく書くと長くなるので機を改めるが、
では、一体どうすれば良いのか……。
それは、真の愛を発する真我に目覚めることである。

そのように言うと禅問答のようだが、
真我を覚醒に導いてくれる深奥の真我である
「ハイヤーセルフ」を強く求めることである。

人間界の親は「肉体の親」だが、
ハイヤーセルフは「魂の親」である。

人間界の親子が(3次元的に)別人であるように、
ハイヤーセルフと現世の自分の魂も別個の存在だが、
あくまでも魂の分身なので「自分自身」である。

ハイヤーセルフは「守護神」だが「5次元の自己」であり、
肉親の愛情を超越した「真の愛」を、
無条件に無償で常に与え続けてくれている存在である。

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ハイヤーセルフの存在を信じられない人、
信じているけど信じきれない人が殆どであろう。
確かに、自分で認識できないことを信じきるのは難しい。

だが、絶対的な愛に満ちた本当の自分が、
胸の中に存在すると決めてみることはできるだろう。

体術で胸の扉を開け、「われ最高の神なり」という崇高な境地で、
ハイヤーセルフと波長を合わせ、ハート(心臓)に愛が流入する
イメージ瞑想をする習慣をつけることをお勧めする。

イメージは単なる空想でなどではなく、信じ切ることによって、
実際にイメージ通りになるということを忘れないで頂きたい。

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最後に、矛盾するような話になるので戸惑うかも知れないが、
ネオデジタル内観の実践に於いて、
「神」や「愛」のイメージや観念を捨てる必要がある。

文字通りに解釈すると矛盾しているが、何も矛盾していない。
内観とは、魂である真我の意識に目覚める為のメソッドで、
それは真の愛に満ち溢れた内在神である。

要するに、今まで自分の頭の中で築いてきた「神」や「愛」
に対する先入観や固定観念を手放すということである。

あまり難しく考えなくても、「ネオデジタル内観」と
「ホ・オポノポノ」で潜在意識が浄化がされてくると、
様々なことから愛を感じることができるようになってくる。

私はそれを、愛を感じる力……「愛感力」と呼ぶ。

それはちょうど、雨雲が薄くなっていくようなもので、
やがて雲の隙間から太陽が顔を出して、
太陽光線が降り注ぎ地上が明るく温かくなるのに似ている。

まだまだ説明し足りないことは無限にあるが、
とりあえず今回はこの辺で終わりにしよう。


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posted by ZERO at 11:38| Comment(10) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
親の愛情は一生のつき物ですね?親に対する憎しみは確かに前世で殺された無念もあります?お互い許さない限り殺し続けます?どちらかが許す事が大事だけど、これは許せない問題になります。自分の力で許す事は出来ません?第三者にも出来ません?これが出来るのは神様だけです。こうゆう場合神様に縋るしかないのです。私も家庭環境悪いし両方の親を許せません。一緒に住んでた時、母親を殺したいと思ってました。一人暮らししてからその無念が晴れました。私が生まれ変わったようにさっぱりした気持ちになってます。これは神様にすがるしかないですね?自分では変えられないもの。第三者にも変えられません?第三者がその人を変える力や強さがあればいいけど、そうゆう力を持ってる人は誰も居ません。私を変えようとした人も私を変えるのは無理でした。私の気持ちに我慢出来なかったからです。我慢した人もいました。だけど私がその人に耐えるのが無理だったからです。こうゆう事が言えるのは私を変えようとした人も助けようとした人も私を助ける事が出来なかったのだから人間にはそんな力がないと言えます。きついですが私からの一言です。
Posted by ルキュエル at 2014年01月23日 00:29
船井幸雄さんが亡くなりましたね。
Posted by at 2014年01月23日 04:24
ZEROさ〜ん!ご無事ですか?
Posted by at 2014年01月29日 07:32
名無しさんへさん、コメントありがとうございます。

ここに書き込みする前に、あの人に削除依頼のメールはしています。

自分からすすんで、プライバシーを暴露する趣味はありません。

しかも、許可なく掲載されるのは不快なものです。ご自身に置き換えてみて下さい。色んな人の目に触れるのに、黙っていられますか?
私には無理です。

これで二回目ですから。もう いい加減にしてもらいたいです。

あの人を慕う皆さんには、申し訳ないですが あの人は そんな人じゃないです。少なくとも私の中では。


Posted by at 2014年01月29日 08:08

こんばんわー

ブログ更新がないですね。
船井さんがお亡くなりになったからでしょうか?

zeroさんも、いろいろありそうですね
まぁ、この世に生まれてきたということは
なにかしらあるからだと思いますが…

Posted by chiara at 2014年01月29日 23:31
ルキュエルさん、こんにちは。

>自分の力で許す事は出来ません?第三者にも出来ません?
これが出来るのは神様だけです。
こうゆう場合神様に縋るしかないのです。

それは自分と第三者と神を分離した考え方ですね。
本質的には、自分と第三者と神は一体です。
また、自分の世界には自分しか存在していません。
自分以外の人も物も全て自分の投影です。
人を許せないのは結局、自分を許せないのと同じなんです。

神というのは真我のことですが、
許せないという意識の波長は神と合わないので、
神に縋っても神は何もすることができません。

この世に生まれてきた意味を考えてみて下さい。
神が全てを浄化できるなら、
人間界に生まれてくる必要はないわけです。
この世での体験やそれによる感情などは、
全て潜在意識が映し出している幻想のようなもので、
それを浄化して神(真我)の意識に到達することが、
人間の存在理由だと言えます。

>一緒に住んでた時、母親を殺したいと思ってました。
一人暮らししてからその無念が晴れました。
私が生まれ変わったようにさっぱりした気持ちになってます。

それは母親と離れたことによって、
感情が平静になっただけではないでしょうか?
母親と離れて生活することで潜在意識が浄化されて、
カルマが解消したということはないと思います。

>第三者がその人を変える力や強さがあればいいけど、
そうゆう力を持ってる人は誰も居ません。
私を変えようとした人も私を変えるのは無理でした。

第三者は自分の投影です。
人を変える力を持っている人の場合は、
自分の真我の投影です。

しかし、その人物にも救える人と救えない人がいます。
その違いは何かというと、
本気で変わろうという本人の「強い決意」と、
その人物を神(真我の顕れ)として縋るかどうかだと思います。
縋る限りは、その指導通りに、
内観(心のハルマゲドン)を忠実に実践することです。

その意味では、ルキュエルさんの言う通り、
神に縋るしか方法がないというのも事実ですが、
以前、「今のままでよくない理由」という記事で、
五井昌久という真我覚醒者の話を紹介しました↓
http://kemono666.seesaa.net/article/242991609.html

転載開始

ところが幸いなるかな、世界平和の祈りというのが出てきて、
あなたが悪いのではない、今あなたが悪いように見えていても、
あなたの心が悪いのではない。 
過去世の因縁が今あなたの前を通りかかって、
消えてゆく姿ですよ、と教えてくれるわけですね。
だから消える姿なんだ、どんな悪い想いが出てきても、
どんな悪い行いが出て来ても、しまったと想ったら、
それを掴んだままで、世界平和の祈りの中で洗濯してもらいなさい。 

そうすれば世界平和の祈りの大光明が消して下さるから、
もう再びその悪い行いをしなければいいのだ、また出てきたら、
また入れればいい。 三度び出てきたら三度び入れればよい。
四度び出てきたら四度び入れれば良い。
そういうように入れちゃえばいいでしょ。
そうやって入れてしまう内に、きれいになってしまうのです。
なんでもかんでも自分で始末しようと思ったって、出来っこない。
自分で心臓を動かすことが出来ないと同じように、
自分の業想念は自分では始末がならないのです。

始末がなっていれば、御釈迦様以来みんな幸福になっているわけなのです。
御釈迦様のような偉い人は出ても、イエス様のような偉い人が出ても、
この世の中はそんなによくならなかった。
それは (業想念の)始末が自分では出来ないから。
それで法然さんのような偉い人も、親鸞さんのような偉い人でも、
自分ではどうしにも始末が出来ないから、
阿弥陀仏におまかせするんだというんで、南無阿弥陀仏といって、
阿弥陀様一念に入っちゃったでしょう。
 
あんな偉い人でもそうなんだから、
まして社会生活の混沌とした生活の中で、
欲望の中にまきこまれながら生活している現代人が、
自分で自分の心を変えるなんてことは、とても出来るものではありません。
私自身出来やしない。だから神様の中に全部入っちゃったわけですよ。

転載終了

これはキリスト教の信仰形態と似ていますが、
感情さえも神仏に全託するということです。
この「他力本願」という思想は正しいことですが、
裏を返せば「自力主義」と同じことです。

親鸞は常に念仏を唱え続けるように説きましたが、
それは夢想無念になる為であると同時に、
念仏(言霊)によって潜在意識を浄化する方法です。

それは「自分の努力」以外の何ものでもありませんが、
神仏の本願力によって救われるとも言えるし、
それを指導した第三者(親鸞)に救われるとも言えます。
「天は自ら助来る者を助く」という言葉がありますが、
全くの他者依存や神依存では何も変わることはないと思います。
きついですが私からの一言です(笑)
Posted by ZERO at 2014年01月30日 04:59
ご無沙汰しています。臨時でコメントを。

真我の投映にあたる人がいて、心底すがるのはなかなか難しいです。
真我の現れだと言ったとしても人間である以上、矛盾が目に付きますから。
どんな人、動物、先生様方だとしても心底相手の中の神を想えれば、神に近づいて行けますが、だからと言ってやはり分別を持たなければ、すがっているだけの宗教の様で、やっぱり見る目は大切です。

それにどういうわけか、自立すればするほど自分の中の答えを大切にします。
もちろんヒントを与えてくれる存在なのですから謙虚に向き合おうとはしますけど。

なんだか困ったちゃんのおかげ様で、思いがけず良い説法を聞けました。
業ってホントにうまく出来てますね。不思議ですね。
親に産んでくれてありがとうなんて、言えただけでも立派だと思います。
そんなことなかなか言えないな(笑)。本当に良いことも悪いことも感謝できるようになって、償いの気持ちが出てきたら、いつか言葉を返すことができるかも。
無理はできない。心が籠ってないと半端な感じがしますね。
見返りを求めて言ってしまうと、結果次第で不満も出ますね。


そうそう、太陽凝視で、アジナチャクラ開きますか?
額からプラーナ取り入れながらやっています。
時間帯は日の出時間ジャストからか、夜明け前からかどちらが良いのでしょうか?今のところ20分くらいです。

あーコメントしちゃった(笑)意志が弱いわ。
まあたまにだから良しとします。
Posted by 2チャネラー at 2014年01月30日 12:11
2チャネラーさん、お帰りなさい(笑)

>真我の投映にあたる人がいて、
心底すがるのはなかなか難しいです。

もっともな意見です。
覚醒者も人間としては凡人ですからね。

>自立すればするほど自分の中の答えを大切にします。

その段階までくれば外側に何かを求める必要はありませんね^^

>もちろんヒントを与えてくれる存在なのですから謙虚に向き合おうとはしますけど。

これは私も読者に対して同じです。

太陽凝視というか、太陽瞑想の方が良いと思います。
潜在意識の浄化にも役立ちます。
アジナチャクラも開きますが、それだけではバランスが悪くなるので、
太陽の残像(光の玉)をイメージで眉間から丹田に降ろすと良いです。

時間帯は朝日が赤いうちがベストですが、
夜明け前は太陽が見えないのでダメですね^^;
でも、エネルギーは夜明け前が最も強いようです。
その時間帯に腕振り運動をすると良いですね。
Posted by ZERO at 2014年01月30日 14:02
どうもありがとうございます。
それじゃあ夜明け前に体術やって、そのあと太陽凝視と太陽瞑想をやってみることにします。

良い立春が来ますよに。

じゃあねー。
Posted by 2チャネラー at 2014年01月31日 14:14
2チャネラーさん、こんにちは。

言霊のエネルギーは原因の世界にフィードバックするので、
言葉で心を変えることができます。
なので、意識を変えることが難しいという人でも、
ホ・オポノポノを唱え続けて意識が変わってきた
という報告も多いです^^
それと共に、太陽エネルギーで良い立春をお迎え下さい^^
Posted by ZERO at 2014年02月07日 09:45
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