この調子で行くと、いや、
時間の加速化現象は続いているようなので、
アッという間に年末である。
そこで重要なことを思い出したので載せておきたい。

「バシャール」で検索すると、
Wikipediaには次のように載っている↓
パラレル・アース(地球)への分化
2012年にはポジティブなエネルギーが加速する一方で、
パラレル・アースへの分化が始まる。
加速するエネルギーはあらゆること、
困難や苦悩といったネガティブな面も拡大するので、
人によっては逆にブレイク・ダウンとなってしまう。
だからこそ、本来の自分を表現する
ワクワクする気持ちに従って生きることが重要となる。
現在地球には様々な観念、様々な波長が
(自分の好きな波長も、そうでない波長も)同時に存在しているが、
2012年を境に各々の波長に基づいてパラレル・アースへの分化が始まり、
2015年以降はこの分化が加速する。
(2012年あたりに、今は1本でしかないエネルギーの光線が、
人間の集合意識を象徴するある特殊なクリスタルに当たり、
パラレル・アースへの分化が始まるとする。)
そして2025年〜2035年には、それぞれの世界が遠く離れてしまい、
最終的には自分の波長以外の現実を体験することは不可能になる。
具体的には、自分と異なる波長の人間とは離別する、死別する等して、
様々な方法でそれらの人間が周囲から消えていなくなってしまい、
ポジティブな世界ではポジティブなことだけが、
ネガティブな世界ではネガティブなことだけが起きるようになる。
体験可能なパラレル・アースは無限に存在するが、
自分がどのパラレル・アースへ移行するかは、
2010年〜2015年の5年間の過ごし方が最も重要となる。
パラレル・アースのポジティブな一方の極は、
やがて宇宙文明の一員として迎えられるが、
ネガティブな一方の極は、完全な破壊、破滅を体験することになる。
(その世界は核戦争で自らを滅ぼしてしまい、
バシャール達が呼びかけても誰の返事もない、とても静かな世界だという。
転載終了

体験可能なパラレル・アースは無限に存在するが、大別して
「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」に分かれるという。
そして、2012年を境に各々の波長に基づいて
パラレル・アースへの分化が始まり、
2015年以降はこの分化(二極化)が加速する為に、
2015年までの過ごし方が最も重要になるという。
2015年までということは……まだ先の話だと思っていたが、
今年が2014年なので今年いっぱいが正念場ということになる。
もっとも、『日月神示』には「子の歳、前後十年が正念場」
と示されていて、子の歳が2008年だとすれば
2003年〜2013年までが正念場だったことになる。
2013年までということは、2012年の終わりまでということで、
『日月神示』が示す「岩戸開きの年」や「マヤ暦の終わり」と符合する。

オコツトによると、2012年で「調整期」が終わり、
2013年から「覚醒期」に入ったが、
もちろんそれとも一致する話である。
バシャールも「2012年の冬至からパラレル・アースへの分化が始まる」
と言っていた通り、その頃までが正念場だったことになる。
とは言え、2012年の終わりと同時に
「アセンションするか、滅亡するか」ということではなかった。
もちろん、バシャールやオコツトも
「2012年に人類は滅亡する」などとは予言していなかった。
バシャールの予言は、2012年の冬至から
「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」の分化が始まり、
2025年〜2035年にはそれぞれの世界が完全に分化して、
やがて「ネガティブな世界」は核戦争で滅亡するというものである。

過去・現在・未来は同時存在なので、滅亡した世界も既に存在し、
バシャールがその時代にアクセスすると誰も生存していないようだ。
その時期がいつかは不明だが、バシャールは地球時間で
今から約300年後の未来からメッセージを送っているという。
バシャールの予言をオコツトの話と比定すると、
「ネガティブな世界=第7太陽系次元」、
「ポジティブな世界=第8太陽系次元」となり、
第7太陽系次元はいずれ徹底的な破壊を体験するという。
2012年の終わりまでが「第7太陽系次元」、
2013年からが「第8太陽系次元」ということだが、
2012年で第7太陽系次元が滅亡するということではなく、
2013年から「第8太陽系次元の創造」が始まり、
その反作用で「第7太陽系次元の破壊」が始まっているようだ。
パラレル・アースへの分化は始まったばかりなので、
「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」は
まだ共存しているが、2015年からその分化が加速するという。

それ故に、2015年まで(今年いっぱい)が
最も重要な時期だということになるのである。
換言すれば、あと11ヶ月間をどのように過ごすかによって、
「ポジティブな世界」に進むか「ネガティブな世界」に進むか
のベクトルが、ある程度決まると言えるだろう。
だからと言って、「ポジティブに生きよう」とか、
「道徳的に生きよう」としても無駄である。
何故なら、そのようなことを意識して努力することは、
自分の外面を作ることに他ならないからである。
分かりやすい例として、
日本でヴィパッサー瞑想を広めた先駆者の
鈴木一生氏のことを度々書いているが、
知らない読者もいると思うので改めて書いておこう。

鈴木一生氏は無信仰の会社経営者だったが、
法華経に触れて信仰に目覚め、
仏門に入って僧侶になった人物である。
そして長年修行を積んで、人々に仏法を説いて導き、
社会福祉活動などにも積極的だったという。
もちろん、鈴木一生氏は霊性を高める為に修行をし、
善意で奉仕活動を行い、
誰が見ても「善人」「高僧」と評価される偉人であった。
ある時、小乗仏教のスマナサーラ長老と出会い、
「釈迦の直接の教えを受け継いでいるのは小乗仏教」
だと聞かされた。
「法華経こそが最高の教え」という信念を持っていた鈴木一生氏は、
小乗仏教を見下し、スマナサーラ長老に怒りを覚えたそうだが、
その時はそのような自分の醜い心にさえ気づいていなかったという。

僧侶として、社会人としては偉大な人物だったが、
それは単なる外面に過ぎず、
意識レベルは低級霊だったということである。
その後、小乗仏教に何か感じるものがあり、
ミャンマーの道場に入って、
1年近くヴィパッサー瞑想の修行をしたという。
ヴィパッサー瞑想とは、釈迦が考案した内観法で、
自分の動作や感情を客観的に観るという瞑想である。
それを毎日、朝から晩まで続けるのだが、
日常生活の中でも常に実践することが重要だとされる。
これはハイパーネオデジタル内観の基本でもあるが、
真我に目覚めると実際に客観的な視点を獲得するので、
意識せずとも常にヴィパッサー瞑想をしている状態となり、
それをZERO用語で「日常的トランス状態」という。

道場で行うヴィパッサー瞑想はもっと本格的な自己観察で、
呼吸も「吐いている」「吸っている」と実況中継する。
あるいは、呼吸の際の腹部の動きに焦点を当てて、
「膨らんでいる」「凹んでいる」と実況中継をする。
寒ければ「寒さを感じている」、
暑ければ「暑さを感じている」という認識を実況中継する。
間違っても、「寒い・暑い」という感情を実況中継してはならない。
感情(自我)を外して客観視しなければ内観にはならず、
また、感情は心を汚すものだからである。
「寒い」「暑い」と思うだけでも心が汚れる
と言うと首を傾げる人もいるが、
無色透明の純粋の心ではなくなるということである。

もっと言えば、肉体意識である心(自我)を消すことが、
魂の意識である真心(真我)を覚醒させる前提条件である。
逆に言うと、真我が半覚醒している者は
自我(感情や思考)が希薄ということになる。
実際に私は自我が希薄だが、感情や思考が少し働いている時は、
真我の意識が希薄になったり消えてしまったりする。
但し、深い瞑想状態に入っている時は、
誰でも自我(感情や思考)が消滅するが、
その時に覚醒するのは単なる幽体意識であり、
魂(真我)の意識に目覚める為には
幽体意識(潜在意識)を完全浄化する必要がある。
「寒い」「暑い」という感情を持つだけでも罪穢れとなるなら、
私も毎日どれだけ心を汚しているか分からない。
故に、私も日々常々、潜在意識の浄化を続けているのである。

潜在意識の浄化について少し説明しておきたい。
スピリチュアルでは、「心を解放しましょう」とか
「想念を浄化しましょう」などと言っているが、
心(想念・感情・思考)は潜在意識の結果である。
故に、原因である潜在意識を浄化することが重要で、
その簡単な方法が「ホ・オポノポノ」である。
例えばだが、「暑い」「寒い」「痛い」などの感情に気づいた場合、
「感情を出してしまったから、これからは気をつけよう」
などと、いくら努力しても無駄なことである。
「暑い」「寒い」「痛い」と思うことにも原因があるからで、
「気温が高かったから」「気温が低かったから
「怪我をしたから」というのは、3次元での因果関係に過ぎない。
3次元自体が「結果の世界」であり、
「暑い」「寒い」「痛い」という感情が出る体験をする原因は、
言うまでもなく、フィルムである「潜在意識」にある。
それを浄化することが根本的な解決法で、最も重要なのだ。

鈴木一生氏の話に戻すが、ヴィパッサー瞑想を続けていると、
今まで自分でも全く気づかなかった、潜在意識の中の怒りや嫉妬、
傲慢など醜悪な心が浮き彫りとなって発狂しそうになったという。
そこで、客観的な視点で冷静に観ることを指導され、
それに徹しながらヴィパッサー瞑想を続けたという。
その後、スリランカの道場に渡って、
ヴィパッサー瞑想をして解脱を体験したという。
詳細は割愛するが、その時の鈴木一生氏の体験談を読むと、
間違いなく真我覚醒の初期段階に到達していて、
『般若心経』の「観自在菩薩の悟り」と同じものだと分かる。
だが、その後、日本に戻り、覚醒は進まず、
覚醒が定着することもなかったようである。
そして、病気で入院することになり、
隣の病床の患者が夜中に騒いで腹を立てたりして、
幽界次元に逆戻りしてしまったらしい。

正食の実践の重要性と内観の継続の必要性が分かるが、
それ以前に、自我(人間型ゲシュタルト)による
世界観の根本的な誤りに起因している。
まず、自分の外側の世界は「真我の内側」であり、
夜中に騒ぐ患者も鈴木一生氏の投影に過ぎない。
つまり、夜中に騒ぐ患者は鈴木一生氏自身であり、
それを内観して理解に繋げる必要があるのである。
理解できなければ、ホ・オポノポノを繰り返し唱え続けると良い↓
「隣の病床の患者が夜中に騒ぐのは、私の記憶の何が原因だろうか。
ご免なさい 許して下さい 愛してます 有り難う御座います 感謝します
洗心 洗心 洗心 洗心 洗心 洗心 洗心 洗心 洗心 洗心」

さて、本題に入るが、2012年を境に
各々の波長に基づいてパラレル・アースへの分化が始まり、
2015年以降はこの分化が加速するという。
そして、2025年〜2035年には、それぞれの世界が遠く離れてしまい、
最終的には自分の波長以外の現実を体験することは不可能になるという。
そのことについては以前解説したが、
「パラレルワールドの分化」を別の見方をすると、
「パラレルワールドの統合」という表現もできる。
まず、人類は各々が独自の世界に住み、
もともと「分化したパラレルワールド」に存在するのである。
だが、今までは様々な波長のパラレルワールドが投影し合っていた。
イメージ的に捉えれば良いが、バシャールの表現で言うと、
「今まではエネルギーの光線が1本しかなかった」ということになる。

2012年以降、その1本のエネルギーの光線が、
集合意識を象徴する特殊なクリスタルに当たり、
パラレル・アースへの分化が始まるとのことだが、
これは「波長一致の原理」が本格的に稼動を始め、
同じ波長を持つ個人の世界が統合し、
波長ごとに分類されていくということである。
つまり、現在の地球人類が70億人存在するならば、
今までは70億の世界が存在し、
それが1本の光線のエネルギーで投影されていた為、
様々な波長の世界が混在していた。
その理由は、因果律に基づいて様々な波長を体験し、
内観で理解と浄化をしてカルマを解消する為だと言える。
また、その様々な波長も自分(人類)の投影であることを知り、
それを認めて受け入れる(肯定して統合する)ことによって、
意識が拡大していくのである。
だが、2015年から波長ごとに世界の分裂(見方によっては統合)が加速し、
2025年〜2035年には自分の波長以外の世界は体験できなくなるという。

SFのような話で信じられないという人もいると思うが、
これは不思議なことではなく、十分に有り得ることである。
第7太陽系次元の壊滅とは、
現在の太陽系が物理的に終焉を迎えるということだが、
半田広宣氏とオコツトの質疑応答を見て頂きたい↓
「太陽系が物理的に壊滅するのであれば、
すべての人類が死滅してしまうのではありませんか」
「変換人の意識に進化すれば、死は克服されます」
「つまり、人間は死ななくなるというのですか」
「これから起こる意識進化とは、人間が生きながらにして
死後の世界に入っていくという言い方ができるかもしれません。
その意味で言えば人間は不死となります」

オコツトは「2037年 入神」という、
人類の意識進化のプログラムを伝えている。
2037年に「日常的トランス(入神)状態」になる、
即ち、人類が完全に変換人になるという解釈ができる。
だとしたら、バシャールの予言通り、2035年頃までには、
パラレルワールドが殆ど分化している可能性がある。
パラレルワールドへの分化がイメージしにくいなら、
オコツトの言う「生きながら死後の世界に入る」
という表現が分かりやすいと思う。
『日月神示』も来たるべき「ミロクの世」について、
「半霊半物質、4次元の高度の、影ないうれしうれしの世である」
と示されているのも、同じような意味である。
5次元ではないのかと疑問に思った人もいると思うが、
まずは4次元の天国のレベルに到達してからの話である。

霊界は、厳然たる「波長一致の法則」が働いていて、
同じような波長を持つ霊人たち同士の世界が形成されているが、
地上もこれからそのようになっていくということである。
例えば、AとBという2人の人物がいるとする。
今はAとBが対面して言葉を交わすことが出来るが、
近い将来、AとBが同じ場所に居てもお互いに見えず、
存在に気づかないということが起こり得るのだ。
そこで大地震が起こるとすると、
Aの世界では激甚の大震災になっているかも知れないが、
Bの世界では小さな地震で済んでいたり、
もしくは何も起こっていないということも有り得る。
それが、バシャールの言う
「パラレル・アースへの分化」だと私は解釈しているが、
それは2012年から始まって2015年から加速していくという。

少し話がクドくなったが、ここからが重要なところである。
あくまでも一例だが、先述のように「ポジティブに生きよう」
「道徳的に生きよう」と努めても、意識進化には役にも立たない。
自我(表面意識)でそのような言動をしても、
それは仮面にしか過ぎないことは、鈴木一生の例で分かったと思う。
人間は死後の世界に入る前(三途の川を渡る前)に、
精霊界(中界)という世界で霊界入りの準備期間があるという。
そこは人間界と殆ど変わらない世界だが、無法地帯で、
人間界での一切の常識や道徳も通用しない為、
欲望や本能が丸出しとなり、本性が剥き出しになるという。
それで「善的な者」と「悪的な者」に大別され、
天国・霊国(ポジティブな世界)に行くか、
幽界・地獄(ネガティブな世界)に行くかが決定するという。

米国精神医学会終身会員のホーキンズ博士は、
1952年より精神科医として活動し、
セラピストとして広く知られているが、
著書『パワーか、フォースか』に対して、
デンマークの皇室よりナイト爵の称号を与えられ、
韓国政府からも称号を受けている。
その『パワーかフォースか』の意識レベル指数で言うと、
意識指数200未満はフォース(ネガティブな世界)、
意識指数200以上はパワー(ポジティブな世界)で、
意識指数1000で真我の世界(5次元)に突入となる。
[ 20 ] 恥
[ 30 ] 罪悪感
[ 50 ] 無感動
[ 75 ] 深い悲しみ
[ 100 ] 恐怖
[ 125 ] 欲望
[ 150 ] 怒り
[ 170 ] プライド
[ 200 ] 勇気
[ 250 ] 中立
[ 310 ] 意欲
[ 350 ] 受容
[ 400 ] 理性
[ 500 ] 愛
[ 540 ] 喜び
[ 600 ] 平和
[ 700〜1000 ] 悟り
アセンションを迎える心構えB
http://kemono666.seesaa.net/article/299977861.html

前ブログ「反キリスト完全ファイル3」で、
「生きながら死後の世界へ」という連載記事を書いたが、
生きながら死後の世界に入るというのは、
「地上の霊界化」とも「人間界と霊界の融合」とも言える。
但し、「ネガティブな世界」は半霊半物質にはならず、
現在の3次元の物質世界のまま淘汰されるようだが、
それを選択するのは各々の自由意志に委ねられているらしい。
繰り返しになるが、2015年から「ポジティブな世界」と
「ネガティブな世界」の分化が加速する為、
2015年までの過ごし方が重要だという。
具体的にどのように過ごせば良いかと言うと、
バシャールは次のように説いている↓
「本来の自分を表現するワクワクする気持ちに従って生きることが重要となる」

これに対して、私は以前、少し厳しい指摘をした。
各々の意識レベルに応じて「ワクワク」の次元が異なるからである。
極論すれば、殺人や強盗や強姦などをすることにワクワクする人もいる。
実際には実行しなくても、
そのような空想に耽ることにワクワクする人もいることだろう。
霊界は想念の世界なのでそれは実行した事と同じ事なのである。
つまり、ワクワクと言っても
「ポジティブ(善的)なワクワク」と
「ネガティブ(悪的)なワクワク」がある。
前者は意識進化のベクトルに向いているが、
後者が意識進化から脱線していることは、
真理を知らない人から見ても明らかである。

だが、それでいいのだと思う。
どのようなワクワクであっても、それによって「素」の状態となり、
自分の波長と合った世界に移行する為に必要なことだからである。
それによって、今後、凶悪犯罪も多発するかも知れないが、
それも「御用の悪」であって歴史的必然であり、
被害に遭う人もカルマの結果ということになる。
その意味で、マクロな視点ではそれさえも
「肯定」という立場に、今の私は立っている。
もちろん、人類全体のカルマを浄化し、
大難を小難に、小難を無難にする為に、
私は全力で人間界に生きているのである。

人から見ると、今の私は崖っぷちで大変な状況にあるが、
「何故そんなに冷静でいられるのか」
「何故そんなに他人事のように笑っていられるのか」と聞かれる。
そこで私は冗談半分で、
「自分の事なんて知ったこっちゃない」と答えている(笑)
「明日死ぬとしたら、今何が一番大切か」
を常に自問自答している私にとっては、その冗談は本気でもある。
私が何か話すと「冗談か本気か分からない」とよく言われるが、
私にとっては冗談も本気も同じである。
面白おかしく話せば「冗談」ということになるし、
真面目に話せば「本気」ということになるだけで、
本質的には「冗談・本気」という二元性はないのである。
「善・悪」「プラス・マイナス」「ポジティブ・ネガティブ」
などについても同じだが、便宜上そのように表現せざるを得ない。

人間は「生かされている存在」なので、
全ては見通しの神に全託するべきで、
全託しているから何事が起きても安心立命なのだ。
何とか普通に生活が維持できれば感謝だが、
ホームレスになって野垂れ死んでも「有り難う」である。
全ては必然・必要・ベストで最善であることを、
長年の内観によって身に染みて分かっているから、
流れに任せることができるのだ。
だが、私は生まれる前に、ホームレスになって
野垂れ死ぬ運命を選択していないことも分かっている。
私は「人間界で世界征服を実現する為に生まれて来た」
という使命を自覚している為、
どのようなプロセスを辿るのかは知らないが、
「なるようになる」ということだけは分かっている。
最も重要な話をするが、バシャールの話に基づけば、
今年「ワクワクすること」を追求することで
自分の本性(潜在意識)が明らかになり、
「ポジティブな世界」に移行するか
「ネガティブな世界」に移行するかが、ほぼ決定するようである。
もし、「ポジティブな世界」に移行したいと思っていても、
潜在意識が「ネガティブな世界」であるなら、
それは「ネガティブな世界」を潜在的に選択していることになり、
「ネガティブな世界」に移行することになる。
その状態でワクワクすることを追求すると、
「ネガティブな世界」を追求することになる事は理解できるだろう。
もちろん、それが前述のような犯罪ではなくても、
我欲や利己主義の要素が強いワクワクであれば、
「ネガティブな世界」への片道切符を握り締めているのと同じである。
今述べてきた「本性」というのは、
仏性や神性と呼ばれる真我のことではなく、潜在意識のことである。
故に、「ポジティブな世界」を望むなら、
ワクワクすることを追求する前に潜在意識を浄化して、
真我を知ることが最も大切なことなのだ。

私は真我に目覚めてからもワクワクすることの追求が許されず、
プライベートの時間を捨てて色々なカルマを引き受けてきた。
だが、それも少しずつ終わりに近づいていることは
1年位前から感じて始め、ブログでも少し書いたことがある。
そして、今年の春頃には今回こそ転機が訪れるとは思っていたが、
実際に御用も終わり、実家も強制退去させられる流れとなった。
自我的には大ピンチだが、それは大チャンスでもあるので、
今の私はそれに対してワクワクしているところである(笑)

2015年から「パラレル・アースへの分化が加速する」ということは、
「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」のどちらに移行するか、
振るい分けが行なわれるということである。
これを聖書の表現で「最後の審判」という。
と言っても、2015年に完全に分化するのではなく、
分化が加速していくということなので、
「最後の審判」の予兆が頻発化することが考えられる。
即ち、今年から天変地異などが激しさを増していく可能性がある。
これはネガティブな予想ではなく、恐怖を与えているのでもない。
脳天気に浮かれて滅亡した古代人の二の舞にもならない為に、
世界の諸問題(自分の内側の問題)と真剣に向き合って、
現実直視で冷静な予測をして対策を講じる必要を私は感じている。
2013年は大災害は起こらなかったが、
『日月神示』には次のように示されている↓
「一度に立て替えすると世界に大変が起こるから、
延ばし延ばしにしているのざぞ。 目覚めぬと末代の気の毒できるぞ」
「神はうそつきぢゃと人民申しても、
悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、
こらえられるだけこらえてゐるのである」
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古語で「現世」を「うつしよ」と読む通り、
現界(人間界)は霊界の移しであり、
霊界での出来事がタイムラグを経て人間界に投影される。
そこで参考になるのがスウェデンボルグの『霊界手記』だが、
以下に一部抜粋しておきたい↓
本当の最後の審判はどう行われるか
私は、霊界で行われる最後の審判の様子を何度となく見てきた。
そんな最後の審判のことは、簡単には書ききれるものではない。
しかし、私が実際に見てきた一つの例だけ紹介すれば、
およその見当はつくに違いない。
この例は、いってみれば霊界での
“大掃除”や“区画整理”のようなものではあった。
霊たちは、ある期間の間は次第に上位の天国に登っていったり、
他の霊団に出入りしたりといったことを繰り返している。
しかし、そのあとで最終的な審判が行われ、
それぞれの霊の霊界での生き方が決定される。
だから霊はいってみれば修行の過渡期を経て
最終的な生き方が決定されることになる。
過渡期はまた同時に混乱期でもある。
そして、この混乱期を整理するのが最終的な審判で、
それはいわば“大掃除”のような様相も呈するのである。
これは我々に最も分かりやすくそれぞれの霊の
霊界での生き方を教えてくれるものである。
私が見た例のうちの一例はこんな具合であった。
私はそのとき、霊界の大きな山岳地帯に招かれて行った。
ここには大きな市街がいくつもあり、
そこにたくさんの霊たちが住んでいた。
私はまず市街の多さ、霊たちの多さに驚かざるを得なかった。
しかし、それよりなにより私を最も驚かせたのは、
この山岳地帯には善霊も悪霊も、心のレベルの違う霊もといったように、
いろいろな霊がいわば雑然と住みついているように思えたことであった。
もっとも彼らはそれぞれの霊の種類によって、
山岳のあちこちにそれぞれのグループごとに固まって住んでいた。
しかし、全てに秩序がきちんとしているべきはずの霊界にしては、
これは異例のことに思え、それだけに私は驚いた。
霊界では普通、太陽の輝く高い山岳地帯は、
天界の善霊たちの住む場所となっているのに、
そこに悪霊やレベルの低い霊もいるのが私には不思議に思われた。
だが、その理由はすぐにわかった。
つまり、ここにいる悪霊たちは、いずれも偽計にたけた者たちなので、
善霊を装ってここに紛れ込んでいるのであった。
市街には、この世にあるものは何でもあるといってよく、
寺院や教会などもあった。
だからいろいろな点で、この世そのままだったと言えそうである。
否、それはまさにこの世そのままだった。
心の善悪、高低を問わず色々なレベルと様々な性質を持った者たちが
雑然と混ざり合って住んでいる市街だったからだ。
この世に色々な人間がいるように、ここには様々な霊がいたわけだ。
山岳地帯も市街の様子もこの世そのままだったが、
一つだけ霊の世界でなければあり得ない特徴もあった。
それは、ここには人間界ではとても住めるはずのないほど
たくさんの者が同時に住んでいたことである。
それが可能なのは霊の世界のことを知っている私にはすぐに理解できた。
霊は心を同じくする霊の姿は見えても同じくしない者の姿は見えない。
だから、いわば“仲間”の姿だけがそれぞれの霊には見えるのであり、
他の霊は姿は普通は見えないから、
むしろ沢山の霊が住んでいても彼らには人口過剰とは思えないのだった。
最も忘れられないことは“大掃除”が行われた日の出来事だ。
この日、山岳の上空には白い雲が現れ、
その雲は次に強烈な霊界の太陽の光を放ち始めた。
すると、それと同時に山岳は全体が大地震のように振動した。
そして、あっという間に山岳全体が姿を消してしまったのだ。
また、市街の中に完全には崩壊させられたものも、
地中に沈められたものも、
遠く離れた場所に市街ごと移転させられたものもあった。
山岳全体が姿を消したのは地中や沼の中に沈められたからであった。
遠くに移転させられた霊たちのその時の様子は特に印象が強かった。
彼らはみな一様に痴呆状態に陥ったような顔をしてぽかんとしていたのだ。
彼らがこのようになった理由はよく理解できる。
彼らは、自分がそうだと信じていた自分の姿が実は偽物であって、
自分がどんな性質の霊なのかを、このとき最終的に教えられたために、
そのショックで痴呆状態になったのだった。
この“大掃除”はつまり最後の審判であり、
山岳や市街の崩壊は新しくかつ最終的な秩序をつくり直し、
新しい天地を創るためのものだったのだ。
“大掃除”では善霊はどういう目に遭ったのか読者は心配していそうだ。
しかし、実は善霊たちはこれに先立って他の場所に移動させられていた。
転載終了
本当の最後の審判はどう行われるか
http://new-mu.seesaa.net/article/356778503.html

この異例の地域はまさに人間界と同じだが、
自分と波長の異なる者の姿は見えないという。
人間界も「パラレルワールドへの分化」が進んでいくと、
このようになるのだと思われる。
また、人間界に於いても、身魂を磨いていれば
大難を逃れるように導かれるという事が分かるだろう。
「彼らはみな一様に痴呆状態に陥ったような顔をしてぽかんとしていた」
とのことだが、これは『日月神示』の次の話を彷彿させる。
「またたきの間に天地引っ繰り返る様な大騒動が出来るから、
くどう気つけてゐるのざ、
さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ」
「いよいよとなりたら地震雷ばかりでないぞ。
臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、
口開いたままどうする事も出来んことになるのぞ。
四つん這いになりて着る物もなく、
這い回る人と、空飛ぶような人とハッキリ分かりてくるぞ。
獣は獣の性来いよいよ出すのぞ。
火と水の災難がどんなに恐ろしいか、
今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ」

これを文字通りに読めば恐怖予言だが、
あくまでも回避する為の警告であり、次のように示されている↓
「世の建替えと申すのは、
身魂の建替えざから取り違ひせん様致されよ、
ミタマとは身と魂であるぞ」
「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ」
「戦は今年中と言っゐるが、そんなちょこい戦ではない、
世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、
終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、
カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、
それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一」

『あるヨギの自叙伝』には次のように書かれている。
「わたしは長年、厳しい内観の行を続けてきました。
それは至難な英知への道です。
自分の心の動きをあくまで冷酷に凝視する厳しい自己観察は、
心身を損なうほど痛烈な苦行です。
これによって、心の底に巣食う最も頑固な自我を粉砕してしまうのです。
こうした真の自己分析は必ず、真理を洞察する覚者を生み出します。
これに反して、自我を容認するいわゆる“自己表現主義”は、
神や宇宙に対して自分勝手な解釈を施して譲らない
自己本位な人間をつくってしまいます。
人間は、自分の心の醜さに目を閉じて自分をごまかしている間は、
永遠の真理を理解することはできません。
人間の心の中を洗いざらい明るみに出してみれば、
過去幾生涯の間に無数の迷いによって歪められた醜さが、
正視に耐えないほど充満しています。
この心中の敵との戦いに比べれば、戦場の戦などは物の数ではありません。
心中の敵は、力ずくで絶滅できるような生やさしい相手ではありません。
この“無知な欲望”という敵は、至る所に潜んでいて、
巧妙な策略と恐るべき有毒兵器を隠し持ち、
眠っている間でも、たえず我々を殺そうと狙っているのです」
これから少しずつ解説文の加筆修正をしていくが、
ネオデジタル内観の実践者が増えることを願うばかりである↓
神泉組2
http://world888.seesaa.net/

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本日は日本暦2674年の旧正月です☆
日付上は明日ですが日本の伝統では、
日没で一日の始まりなので既に正月です♪(´ε` )
今年も皆様のポジティブワールドへの覚醒をお祈りしていますm(_ _)m
私の今年の抱負は西暦正月の時と同様、「禊」です。
さて、今年の節分は2月3日ですが、
本来、節分とは季節の変わり目を祝う行事です^^
よって、鬼に豆をまいて非難する行事とは異なります。
豆まきとは鬼の封印の型示しの儀式です。
鬼とは邪気ではなく、あなたの心にも棲む「荒ぶる神」であります☆
ルシファーやスサノオ、究極的に言えば真我を意味します。
そんな「鬼も内、福も内」精神に基づいた、
節分反対運動を閣下も説かれています☆
http://new-mu.seesaa.net/article/318779440.html
僕も毎年、節分反対・鬼権保護を訴えていますが、
今年はふとユニークな手法で表現してみました。
洋画にウソ字幕をふったギャグ動画です(笑)
総統閣下は節分の豆まきにお怒りのようです
http://youtu.be/uOPr5KOtuzg
鬼 for Vendetta
http://youtu.be/cJTe4275hEw
ご覧頂き、あなたの鬼の復権と真我覚醒のために、
ご活躍できることを嬉しく思います♪(´ε` ) ☆
こんばんは、zeroさん。
お忙しい中ブログ更新ありがとうございます。
ホ・オポノポノついては、最初はなにこれ?と思ったんですけどね。
でも、あ、これって白光の教えに通ずることに気づいて、
そうしたら、腑に落ちて。
毎瞬毎瞬のクリーニングは、忘れちゃってできないんですけど(笑)
気づいたら、あの4つの言葉を口にするようにしてます。
ホ・オポノポノを実践していると
波動というか、波長が変わる様な気がします。
そうすると、今まで「気」の合ってた人や物・状況が、
気づいたら疎遠になってたり、なくなったり、変化したり。
五井先生も、同じようなことを書かれています。
今までスピ関係の本、心理学の本を読み散らかし、
これは!と思ったセミナーにも足を運びましたが、
今はなんだか日々やることをやって、空を仰いだり
寒空に咲く花に見とれたりw
ヨガで心身を整えたりする日々がとても愛しいですw
ホ・オポノポノって禅にも通ずるんですかね?
こだわって、しゃかりきになって、
がむしゃらにやっても欲しいものはこない。
時期がくれば、本当にすんなりと自然に
自分のもとにやってくるんでしょうね。
zeroさんもいろいろ大変なご様子ですが
ピンチひっくり返して
チャンスをものにしてくださいねー。
すみません、いつもとりとめのない文で。
それでは。
私のカルマも少し引き取ってください(笑)
・・・もうわかってます。感謝してます。
っと、もうすでに運命は半分以上決まっているんですね。
しかし私は自分を信じます!
そして最後まで諦めません!
ってゆう宣言です(礼)
今年は西暦正月も新月でしたね!
節分の予告編ありがとうございます〜
chiaraさん、こんにちは。
新興宗教の教祖で、
真我に目覚めているような人物はあまり見当たりませんが、
五井氏は覚醒者ですね。
(私は五井氏の本を一冊読んだことがあるだけですが……)
ホ・オポノポノが禅に通じるかということですが、
アプローチは違っても通じるものはあると思いますね^^
その他のコメントも同感です。
つんこさん、こんにちは。
私なりに引き受けているつもりです(笑)
なので、こちらこそ感謝しています^^
自分を信じる宣言、素晴らしいです!
徐々に真我が目覚めてくるはずです^^