2014年02月20日

ZEROなる人類愛

祈るような気持ちで真剣に願っている人は少ないと思うが、
世界平和や人類の幸福を願わない人は滅多にいないと思う。

また、他人のことや外国のことなど興味はないという人でも、
心の奥底では漠然とそう思っているはずである。

その意味では、殆どの人が「人類愛」を持っていることになるが、
もし憎んでいる人が1人でもいたとしたら、その人類愛は偽物である。

憎んでいる人はいなくても、
ニュースを見て「あの国はけしからん!」とか
「こんな凶悪殺人犯は死刑にするべきだ!」
などと怒るような人の人類愛も当然ながら偽物で、
愛そのものを知らないということになる。

愛と憎しみは同居し得ないからである。

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つまり、一般的な概念の「人類愛」とは
単なる理想論に過ぎないのである。
それは少し言い過ぎだが、愛と呼べるようなものではない。

だが、そのような人類愛も「薄い愛」には違いない。
むしろ、特定の個人に対する愛情よりも「真の愛」に近いと言える。
どのような愛情も「真の愛」の断片の一形態には違いないが……。

イエスは「汝の敵を愛せよ」「汝の隣人を愛せよ」と説いたが、
それが「人類愛」で、釈迦が説いた「慈悲」と同じものである。

だが、その慈悲も一般的にいう慈悲ではなく、
人間を卒業しないと分からないことである。

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この世の全ては真我が見ている夢、幻であり、
その夢から覚めることが魂の覚醒で、輪廻の解脱である。
即ち、人間の卒業であり、それが真の救いなのだ。

あらゆるネガティブな感情は「本当の自分」ではなく、
人間の意識(自我)に囚われている限り、
迷いと苦しみから解放されることはない。

イエスは十字架に架けられた時に、このように言った。

「父よ。彼らをお赦しください。
彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」


自分を処刑しようとしている人間に情けを掛ける
崇高な聖人のように思うかも知れないが、
実際にイエスがそう言ったのかは疑問である。

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イエスは真我に目覚め、カルマを超越した人物だが、
あえてカルマの法則に従って、
人類の罪穢れを背負って十字架に架かった。

もちろん、イエスにとっては、
自分を処刑する人間も自分の投影であり、
そのことはイエスも認識していたはずである。

その時点で、自分を処刑する人間の罪も
自分の罪として受け入れていたはずなので、
「彼らをお赦しください」ではなく
「私をお赦しください」と言うのが本来である。

だが、それでは文脈がおかしくて一般人に理解できない為、
「彼らをお赦しください」に書き換えられたのかも知れない。

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ところで、「汝の敵を愛せよ」「汝の隣人を愛せよ」とは言うが、
敵や隣人(他人)を愛そうとしても無理なことではある。

自我でそのように意識しても不可能だからであり、
それこそ自我の意志で作り出した偽の愛が生まれるだけである。

もりけん理論でいうと、
「なること」を目指す信念体系領域の世界である。

信念体系領域(フォーカス24〜26)を抜け出すと、
人類愛に目覚めた天国(フォーカス27)だが、
まだ輪廻を解脱していないので人間界に生まれ変わる宿命にある。

私がいう真の愛・人類愛とは、
5次元(フォーカス28〜35)の真我の意識であり、
天国(フォーカス27)の人類愛は、その投影なのだ。

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ホーキンズ博士の『パワーかフォースか』によると、
意識指数200未満はフォース(ネガティブな世界)、
意識指数200以上はパワー(ポジティブな世界)で、
意識指数1000で真我の世界(5次元)に突入となる。

[ 20 ] 恥
[ 30 ] 罪悪感
[ 50 ] 無感動
[ 75 ] 深い悲しみ
[ 100 ] 恐怖
[ 125 ] 欲望
[ 150 ] 怒り
[ 170 ] プライド
[ 200 ] 勇気
[ 250 ] 中立
[ 310 ] 意欲
[ 350 ] 受容
[ 400 ] 理性
[ 500 ] 愛
[ 540 ] 喜び
[ 600 ] 平和
[ 700〜1000 ] 悟り


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[200]未満のネガティブな意識や記憶を持ちながら、
[500]の愛の意識を同時に持つことはできない。

人間の意識進化には段階があって一足跳びにはいかないが、
人類の表面的な意識レベルは[20]〜[600]の間を
行ったり来たりしているものと思われる。

つまり、[500]の愛は誰もが知っていることになるが、
それは[20]〜[170]までのネガティブなフィルター
(フィルター)を通した愛なので、
条件つきの愛や独善的で歪んだ愛になったりするのである。

もちろん、純粋な愛もあるだろうが、
それは一面であって、悲しみや欲望、怒り、プライド、
嫉妬などと表裏一体になっているはずである。

それが一般的にいう「愛」であり、
意識指数が[500]になっているのだろう。

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「一霊四魂」と愛と怒りの本質と一体性
http://mujaki666.seesaa.net/article/169448232.html
という記事を神仙組に載せているが、
『日月神示』には次のように示されている。

「愛にも内のものと外のものとがある。
愛と申せば何でもよいと思ふていてはならん。
愛の悪もあるぞ。他を愛するは真愛ぞ。
己のみ愛するのは自己愛ぞ。
自己愛を排してはならん、自己愛をひろげて、
大きくして真愛と合致させねばならん。
そこに新しき道開けるのであるぞ。
自己愛を悪魔と説くは悪魔ぞ。
無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。一段昇らねば判らん。
愛は神から出ているのであるから。
神に祈らずに自分でするから、
本を絶つから、我よしに、自己愛になるのぞ。
自分拝むのは肉愛でないぞ。愛から離れた信仰はないぞ。
血は愛によって生き、愛は喜びによって生きるのぢゃ。
喜びなき所に愛はないのざぞ。神ないところ生命栄えんぞ。
偽の愛、偽の智と申すのは、
神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、
この人民たちは神の声を聞いても聞こへず、
神の現はれを見ても見へないのであるぞ。
希望は愛の現はれの一つ。
どんな時、どんな人にも与へられているのぢゃ、
希望に燃えつつ、現在を足場として生きよ。呼吸せよ。
同じことしていても、希望もつ人は栄え、
希望なき人は滅びる。希望は神ぞ」


「偽の愛とは神を信じない人民の愛」とのことだが、
神仏を外に求めている限りは神仏を知ることはない。

「仏とて外に求むる心こそ 迷いの中の迷いなりけれ」
(一休)

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神仏とは「真我」のことだが、
自分の内側に目を向けなれば知ることはできない。

「私は汝の手や足よりも近くにいる」
「私は汝の心の扉をノックしている者である」

と、イエスが語っているのはそういう意味である。

私から言わせると「真の愛」は、
「悟り」と同じく意識指数は[1000]であり、
「愛」も「怒り」も抱き参らせたものである。

故に、「真の愛」は愛でも怒りでもなく、
両者を統合した中心点(ZERO)ポイントだと言えるが、
『「一霊四魂」と愛と怒りの本質と一体性』で書いた通り、
「真の愛(瑞霊)」と「肚からの怒り(厳霊)」は表裏一体で、
厳霊には慈愛が満ちているが人間には分からないものである。

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まず、理論的に言えば、5次元(フォーカス28〜35)の
真我の意識が覚醒しなければ、真の愛を感じることができない。

真の愛は、真我に目覚めると自動的に発露するものなのだ。

また、自分の全てを愛していなければ、
自分の投影である人類を愛せるわけがない。

自分の全てを愛する為には、長い年月をかけて
心のハルマゲドン(内観)に勝利する必要がある。

人類愛と言っても、赤の他人に対して
家族や親友と同一の親しみや情を持つことはない。
それは普通のことであり、私も例外ではない。

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もし、特定の愛する人がいたとする。
いわゆる男女の愛である。

あるいは親子の愛でも構わないが、
それと同じ感情の愛情を人類に対して持つことは無理である。

男女愛や家族愛というのは強い愛情だが、
それは愛の断片の投影に恋や情が絡み合ったものであり、
「真の愛」ではない。

ここから本題に入るが、
この世界は無条件の愛に包まれている
という話を聞いたことがないだろうか。

その世界の中に自分がいる
と思っているのが自我(人間の意識)で、
肉眼では自分と他者が別々の存在に見える為に、
自他分離の観念を持ってしまっているのだ。

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その人間の意識、誤った世界観に囚われている限り、
本当の愛を知ることはできず、
人間を卒業しなければ真の愛を知ることはできないのだ。

愛を知ることと真我の意識に目覚めることは同じである。

この世界を包み込んでいる無条件の愛の正体が、
他ならぬ自分の魂の意識であることに気づくことを、
「人類を愛している」と表現しているのだ。

魂の投影が太陽であるなら、愛は太陽の光のようなものである。

太陽の光は万物に平等に与えられているが、
人類を平等に愛するというのは、それと全く同じことである。

一休さんは日の出の太陽を見て、そのことを悟った。
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少し前の記事で紹介した荒井秀幸氏は、
瞑想中に「内外反転」の感覚を体験した直後、
光の波が自分の周りに広がっていき、
「自分の生命によって全てが満たされている」
という「悟りの認識」が突如として起こり、
今まで抱えていた「生命」そのものに対する、
根本的な謎や疑問が一気に解決したという。

ヨーガ呼吸法による悟り「内外反転」の体験
http://new-mu.seesaa.net/article/385092201.html

イエスもそれを悟って「私は世の光である」と語り、
太陽神の神話と習合したのである。

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科学的(波動の法則的)に言えば、
愛は陽子であり、光の光子とは異なるが、
太陽光にも陽子が含まれているように、
魂が発する光を愛と表現しても差し支えない。
(「ようこ」と「みつこ」ではなく、
「ようし」と「こうし」である)

「この世は自分の光で満たされている」というのは、
「この世は真我の愛で満たされている」ということになる。

人間はその愛を胸で感じることができるが、
ダイレクトにそのままを感じることはできない。

何故なら、幽体(潜在意識)というフィルターを通すからで、
そのフィルターが汚れている限り、
人間は真我に目覚めることなく輪廻を繰り返すことになる。

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フィルターの汚れとは、潜在意識の汚れや、
顕在意識の悪想念・ネガティブな感情のことで、
厚い雨雲に覆われて太陽の光が見えないのと同じ状態である。

もちろん、人間の心はコロコロ変わるので、
常に厚い雨雲に覆われているわけではなく、
雲が薄くなれば太陽の光を感じることができる。

それが冒頭で書いたような、
多くの人が感じている「人類愛」だと私は解釈しているが、
そこに特定の人間への恋心や情などが結びつくと、
いわゆる「男女愛」や「家族愛」などになるのである。

従って、男女愛や家族愛を拡大することによって、
人類愛に到達しようなどと試みても絶対に不可能であり、
男女愛や家族愛の延長に人類愛があると考えるのは間違いである。

そして、雲1つない快晴になれば天国の意識レベルで、
地球を脱出して太陽と合一することによって、
私が言う「人類愛」に目覚めることができるのである。

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「家族と他人が川で溺れている場合、どちらを助けるのか」
という質問を受けることがあるが、それは以前に書いている↓

天国へ招かれる条件と真の愛
http://new-mu.seesaa.net/article/357132805.html

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愛感力と自我の確立
http://new-mu.seesaa.net/article/385786241.html

の中で、母親の愛が「真の愛」に近いということを書いたが、
詳細は以下の記事を参照して頂きたい↓

反キリストが画策する「社会的健康」の陰謀
http://messiah666.seesaa.net/article/228277072.html
獣の救世事業の一柱と日夜の苦労A(続編)
http://messiah666.seesaa.net/article/228277072.html


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posted by ZERO at 15:37| Comment(16) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
仕事終わってから、ちょっと寄るところがあったのでさっき帰宅したのですが・・・

なにやら誰がどうなってるのか、テレサさんはどういう心境でおられるのか、みなさんについていけないオクトです(汗;)

だいたい不思議に思うのは、わたしにとっての閣下って自叙伝以外の他の神仙組の管理者の閣下で、できればここって要らないって、数回お願いしたことあるのですが、今やここがメインブログなんですね( ̄ー ̄?)

しかし・・・閣下モテモテですね( ̄。 ̄)
Posted by オクト at 2014年02月20日 16:04
オクトさん、こんにちは。

これはモテてると言うのですか?
化け猫の祟りは恐ろしいですね^^;
猫臣の気が済むまで身守るのが私の役目です^^
Posted by ZERO at 2014年02月20日 16:23
女がほっとけないいい男という意味でモテモテなんじゃないですか?

閣下のバックには神仙組がついてますからね!!
最強ですよ。。。

その逃げ腰(失礼!静観です)も、妙にほっとけなくさせるんですよ・・・
Posted by オクト at 2014年02月20日 16:33
そして、神仙組のバックには僕がついています(笑)
今は熱い論争を展開する気も余裕もないのもありますが、
ある意味、人間の自分のことは他人事なので、
ZEROという人間の人生を客観的に観て楽しんでいるんです^^
もちろん、私の世界では猫臣も私の投影で、
全ては私の自作自演ということになりますが……。
Posted by ZERO at 2014年02月20日 16:53
そうですね。
いろんな方のコメントを拝読しておりますと、これがすべて閣下というひとりの男性を巡ってなのだと、アングリします( ̄。 ̄;)
Posted by オクト at 2014年02月20日 17:08
私もまだ真我に目覚めていないので誤解をする所があります。まだ私も勉強不足なのかな?(。>д<)クアトロさんは前に悩んだ時に私が説得しましたね。あれはルシファー様の答えで私のアドバイスではないんですけど?きっと私の心の中の声なんでしょうね?クアトロさんには心配かけましたね(。>д<)私はまだ勉強不足です(。>д<)誤解をする時もあります(。>д<)言われて分かりました?私も20代の頃、言わなかったから誤解させて怒られてました(。>д<)だけど言わないで反省しないで相手のせいにしてました。それが今になって分かります?ちゅんと私も言っとくべきだったと?自分が誤解して自分が相手を誤解させてた気持ちが分かりました?その事は反省したいと思います(^з^)-☆クアトロさんの止めで分かりました(^o^)v私もルシファーの宗教立てたら真我に目覚めるので、そうしたらZEROさんの気持ちが分かると思います?私も浮浪者を助ける指示が出てるので?
Posted by ルキュエル at 2014年02月20日 17:29
ルキュエルさん、平静を取り戻されて良かったです。

僕へのアドバイスも有難うございます、頭の悪い自分を受け入れる…参考にします。

他のコメントをしてる読者さんも自分の影として「他者は自分だ」という事を思い出せるように浄化したいと思います。

何よりもその事を思い出すのが一番ラクチンですね。
Posted by クワトロ・アープ at 2014年02月21日 03:10
クアトロさんへ、これもクアトロさんのアドバイスで誤解が溶けました(^o^)vクアトロさんのおかげでもあります。私も今までひねくれてて心が冷たくて、やっと今立ち直ったばかりなので、このくらいしかアドバイス出来ないけど、何か困ったらまた助けたいと思ってるので(^o^)v助けると言っても聞く事と言う事しか出来ないのですが、それでクアトロさんが救われたのなら私はクアトロさんの幸せを望みたいと思っております(^o^)vクアトロさんも外に出れて楽しめるようになるといいですね(^o^)v外も楽しめる事があります?潔癖も少しずつ良くなって来ると思います?汚い所も許せる日がいつか来ます。悩んでる自分を愛せる時が来ます(^o^)vそんな自分を受け入れたら悩まなくなります。仕事もムカつく人が居ますよね(#`皿´)私も経験済みです(#`皿´)悪口言ってもいいけど他人には言わない方がいいでしょう?必ず嫌いな人に告げ口しますから。一人言であいつむかつくって言えばいいんですよ。だけど悪口ばかり言ってると相手との争いが耐えなくなるので少しは自分も悪いと思いつつごめんなさい。ありがとうの一言でいいと思います。謝っても駄目なら本人にはっきり言ってみるとか。仕事が遅いと言われても遅いクアトロさんに文句を言わない企業を探してみるとかね。どこかクアトロさんを受け入れてくれる場所があるでしょう。探して見て下さい(^o^)v
Posted by ルキュエル at 2014年02月21日 03:38
ルキュエルさん有難うございます、そうですね。

>どこかクアトロさんを受け入れてくれる場所があるでしょう。探して見て下さい(^o^)v


→ホ・オポノポノを広めているヒューレン博士は

「自分の潜在意識が浄化されてゼロになれば
自分にとって一番適切な職場に導かれる」

と言っていますが、僕もそれが一番良いのだろうと思い浄化に取り組んでいます。

浄化されていない状態であちこち仕事に行っても大抵うまくいかないと思います。

ルキュエルさんが様々な職場で対人関係に苦しんでおられたのも浄化されていなかったからではないでしょうか?

何よりも

「他者は自分である」

僕がルキュエルさんに理解していただきたいのはその事なのです、他の事はどうでもいいのです。

その事が理解出来ないと
また「ZEROさんは私に嘘をついているのではないか…」とか
「かつて自分を傷付けた人が憎い」という想いをしてしまうと思います。

それはそれで必要な経験なのかもしれませんが、
もうルキュエルさんはわかっていらっしゃるのではないでしょうか?

カルマが解消されていく過程で感情が噴出して混乱してしまったりするだけで

かつて自分を傷付けた人達や
ZEROさんや僕を含めたここのブログの他の読者さん、
果ては全人類は全てもれなく「自分の影である」という事を思い出すのが、
ルキュエルさんの鬱だったり憎しみを解消する最短ルートであると考えます。

これはルキュエルさんだけでなく僕を含めた皆さんに言える事です。

そしてルキュエルさんは僕の影なので僕がここでルキュエルさんを「他人」として見てしまうと

またルキュエルさんが混乱してしまったりする一因になるので浄化の言葉を唱えようと思います。

「ルキュエルさん、及びここのブログの読者さん、果ては全人類の中で
他者を他者として見てしまっている人々は
僕の潜在意識のなんの情報が原因なのでしょうか…

ご免なさい
許して下さい
愛してます
有難う御座います
感謝します

洗心 洗心 洗心 洗心 洗心」
Posted by クワトロ・アープ at 2014年02月21日 04:23
クアトロさんありがとうございます(^o^)v言い訳がましい言い方ですが、12の頃、親が離婚してカルマが汚れてました。それで無理矢理学校に行ってたので心も魂も汚れてました。中学の頃もいじめられて耐えてました。就職してからも嫌がらせやいじめに耐えてやってました。鬱になっても仕事をしていたので心も魂も汚れてました。それは他人が悪いのではなくて自分がそうさせてたんですね?32の頃、親元離れて生活保護受けて休んでます(^o^)vもう仕事は六年もしてないですね。それで精神状態も良くなり少しだけ浄化されてます?0になるまで後もう少しですね?まだ0にはなってません?クアトロさんは少しずつ良くなって来てるのかな?これも自分でカルマを良くして自分で浄化してます(^o^)v
Posted by ルキュエル at 2014年02月21日 18:52
ルキュエルさんこんばんは。


>言い訳がましい言い方ですが


→それは無いですよ。ルキュエルさんは悪くないです。

しかし…やはりルキュエルさん自身のおっしゃるように
ルキュエルさんを傷つけた人達も悪くないのです。


>それは他人が悪いのではなくて自分がそうさせてたんですね?


→そうですね、
ルキュエルさん自身の影をルキュエルさんがそのまま見ていたという事です。

しかしここで「自分が悪い」と思うのが良くないのです。

自分も他人も裁かないのが一番良いでしょう。

「罪悪感」は苦痛を強めるだけです。

あくまで「罪」は苦痛を体験するために自らが設置しただけのものに過ぎないと解釈するべきです。

そしてルキュエルさんはその苦痛を十分体験したので
これからそれらの「記憶」を「消去」していく必要があります。


ルキュエルさんはコメントする時には必ずといっていい程
ご自身の怒り・悲しみの体験談を沢山お書きになられますが、

それらこそが「浄化しなくてはならない記憶」なのです。

感情を吐き出す事は良いことですが
浄化をしないでただただ書きつらねるだけでは意味が無いのです。

それではただの恨み節になってしまったり
「自分の人生は悲しい・苦しい」という意識を強めカルマを汚し続けてしまいます。

憎くてしょうがない人達から離れて一時的に心の平静を取り戻してもそれは「浄化」ではありません。

何故なら「苦しかった・悲しかった記憶」はほったらかしのままだからです。

なのでその記憶がずっと投影として再生され続けて苦しい人生が終わりなく続いてしまいます。

不安にさせて申し訳ありません、しかし当然救いがあるからこのように言うのです。

そしてその「救い」はそれらの記憶をホ・オポノポノにより「消去」する事です。

自分の胸に向かってホ・オポノポノを唱えれば
インナーチャイルドが「辛かった記憶」を消去したり「良い記憶」に変えたりしてくれます。


ですからコメント欄にご自分の体験談をお書きになる際に
一度でもいいですから文章のオシリに

「私が体験したこれらの事は私の潜在意識の何の記憶が原因なんでしょうか?

御免なさい
許して下さい
愛してます
有難う御座います
感謝します

洗心 洗心 洗心 洗心 洗心…」

とお書きになると良いと思います、コピペしてくれてもいいです。

勿論心の中や口に出して唱えると一番良いです。


…解っていただけたでしょうか?
Posted by クワトロ・アープ at 2014年02月22日 04:49
こうして潜在意識の中にある「辛かった記憶」をホ・オポノポノにより消去、または良い記憶に変えてもらうのが「浄化」という事です。
Posted by クワトロ・アープ at 2014年02月22日 05:11
クアトロさん。理解しました。怒りの感情の浄化の仕方がわからないだけです。感情を浄化しないで恨み辛味を書いたって同じ事ばかり書くだけですね。怒りの感情を浄化してみせます♪昔は怒りばかりだったけど、今はそんなに怒りの感情はないですよ?ZEROさんに対して怒りを書く事はZEROさんの事を誤解してるだけなんです。今はその誤解も溶けたのでZEROさんに対する怒りはもう出て来なくなると思います?私も真我に目覚めてないから不安になる事があるし誤解をする事もあります。不安になったらオポノポノを唱えます。
Posted by ルキュエル at 2014年02月22日 14:06
ルキュエルさんこんばんは、クワトロです。


>怒りの感情の浄化の仕方がわからないだけです。

→ご迷惑でなければルキュエルさんが完全に御理解されるまで
何度でもお教えさせていただきたく思います。


「怒りの感情の浄化の仕方がわからない」との事ですが、


要するに「怒り」とは「記憶」なのです。
「データ」なのです。


>ZEROさんに対して怒りを書く事はZEROさんの事を誤解してるだけなんです。今はその誤解も溶けたのでZEROさんに対する怒りはもう出て来なくなると思います?


→違います。

また怒りは出てくると思います。


「誤解を解けば治まる」

といったやり方では無意味です、一時的に治まるだけです。


何故なら

「誤解をして怒る」

という「データ」がほったらかしのままだからです。

なのでこの「誤解をして怒る」という「データ」がいずれ再生されて
また同じ事が起きて同じ怒りを抱く事になります。

ですからこの「誤解をして怒る」という「データ」を
「消去」または「浄化」しなくてはなりません。


「怒り」だけに限らず

「感情」とは、
全て「データ」なのです。


>昔は怒りばかりだったけど、今はそんなに怒りの感情はないですよ?


→これもそうです。ほったらかしになっています。

今ルキュエルさんは親御さんと離れて暮らしているなど、
人と関わる量が減っているだけでそれに比例して怒りの量も減っただけに過ぎません。

「怒りのデータ」は全く消えていないのです。


とにかくルキュエルさんは「怒りのデータ」がほったらかしのままなのです。


>私も真我に目覚めてないから不安になる事があるし誤解をする事もあります。不安になったらオポノポノを唱えます。


→そうですね。それが良いと思います。

そして
「不安」も
「誤解」も

全て「データ」です。

当然
「恐怖」
「絶望」
「苦痛」
「嫉妬」
「劣等感」
「独占欲」

これらも全部「データ」です。


「感情はデータである」と認識するべきだと思います。


一個一個過去に体験した苦痛だった事を思い出し、
胸の中に住むインナーチャイルドに向かって


「この感情は私の潜在意識の中にある何のデータが原因で起こっているのですか?」

と問い合わせ、

そのあと

「御免なさい
許して下さい
愛してます
有難う御座います
感謝します

洗心 洗心 洗心 洗心 洗心」

と唱えて下さい。

そしたらインナーチャイルドが真我にルキュエルさんの問い合わせたリクエストを送ってくれます。

そしてそれを受け取った真我が悲しい感情や出来事の記憶を
「消去」または「浄化」してくれます。


出来たら、コメント欄でもやってみて下さい。

宜しくお願い致します。
Posted by クワトロ・アープ at 2014年02月23日 02:57
Posted by クアトロさん。ありがとうございます(^o^)vやってみます(^o^)vクアトロさんのおっしゃる通りですね。胸のインナーチャイルドに聞いてみます。その後オポノポノを唱えてみます。やってみます(^o^)v頑張ります。 at 2014年02月23日 03:35
はい。
とにかく「感情は全てデータである」と認識すれば、

ルキュエルさんの「鬱」も全て「データ」であるという事が分かると思います。

宜しくお願い致します。
Posted by クワトロ・アープ at 2014年02月23日 04:22
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