2014年03月05日

聖女の渇愛

前回の記事の「渇愛」というキーワードで、
マザー・テレサを思い出したので少し書いておく。

テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
と主張し、貧困者などに無関心な人々を批判した。

この発言によって、私はテレサが
「真の愛」を知らない人間であることを見抜き、
過去に何度かテレサ批判の記事を書いてきた。

もちろん、テレサも私の投影なのだが、
それはともかくとして、
テレサは無関心な人々に対して
「あなた方には愛がない」と言いたかったのだ。

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過去の記事を参照して頂きたい↓

マザー・テレサに告ぐ!
http://messiah666.seesaa.net/article/234647153.html
成功の鍵を握る「奉仕」A
http://kemono666.seesaa.net/article/246171766.html
霊界の乞食集団とマザー・テレサ批判
http://new-mu.seesaa.net/article/356939375.html
聖者の種類と宗教界のリーダーたちの死後
http://new-mu.seesaa.net/article/359076683.html

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実際に、テレサは次のような発言もしている↓

「人間にとって最大の罪は愛が足りないことです」

だからと言って、テレサが偽善者というわけではない。

偽善者であればあれだけの活動はできないだろうし、
奉仕活動に喜びを感じていたからこそできたことだと思う。

だが、愛と歓喜のエネルギーは「蘇生」のエネルギーでもあり、
あのようなシワクチャの顔になることが不可解だった。

「あなた方は愛のない罪人だ」いうようなことを言って、
貧困者に無関心な人々を批判する時点で、
真我の愛に目覚めていないことは確かである。

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前回も書いたが、愛は供給されることによって
「与える」ことができるのだ。

私から言わせれば、
「人間にとって最大の罪は愛が足りないこと」ではなく、
「人間にとって最大の不幸は愛が足りないこと」である。

つまり、無関心な人々も救われるべき可哀想な人々であり、
愛を与えてあげるべき対象だと私は思うのである。

少し意地悪なことを言えば、
貧困者は自分が生きることに精一杯なので、
貧困者も他の貧困者に無関心なのではないだろうか。

だとすれば、貧困者たちに対しても、
「あなた方は愛が足りない罪人だ」と言わなければならない。

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少し考えれば分かると思うが、
テレサは無関心な人々に一切の憐れみも愛も感じていない。

愛が足りないのはテレサ自身だということである。

もちろん、私は愛が足りない人を批判する気は毛頭なく、
愛が足りない人こそ救済の対象だと思うのである。

しかし、疑問に思うことは、テレサは、
何故そこまで自己犠牲的に奉仕活動に命を捧げたのか……。

前世の悪業によって、そのような人生を歩まされたのだろうが、
何に突き動かされたのか動機を知りたいと思っていた。

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私も過去5年間、
テレサに負けないほど自己犠牲的に奉仕活動をしてきたが、
それも前世や過去の罪障消滅の為だったと言えばそうである。

その動機は、2009年の節分の「落雷事件」の後、
命を捨てる覚悟で「地球と人類を救いたい」
という魂の奥からの衝動だった。

その時はまだ真我に目覚めていなかったが、
5次元の世界でトータル・セルフとの邂逅は果たしていた。

従って、その時の決断は、
真の愛(人類愛)によるものだったことは間違いない。

で、その人類救済計画とは、
「闇の権力」から抹殺される覚悟を決めた文明転換事業で、
それはまだ着手できていないが、
度々経過報告をしている通り、水面下では着実に進行している。

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その代わりに始まったのが、自らの生活を犠牲にした菩薩行で、
5年近くの間、よくやってきたと自分で自分を誉めている。

自我では苦痛を伴っていたことは事実だが、
やはり歓喜を感じていたから出来たことである。

テレサも歓喜の追求だったのだろうか……。
そこでたまたま知ったのが、テレサの「心の闇」の話だった。

私のテレサ批判に反論する読者と論争したこともあるが、
私の見解に誤りはなかった。

と言っても、私には批判精神がないので、
本当にテレサを批判していたわけではなく、
私の見解を述べただけだったのだが……。

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そのテレサの「心の闇」によると、
テレサは激しい「渇愛」に突き動かされて
奉仕に明け暮れていたことが分かった。

かつて、テレサはイエス・キリストと邂逅し、
「スーパーラブ」を体験したことがあるという。

それが本当にイエスの霊だったのかは不明だが、
テレサはクリスチャンだったので、
ハイヤーセルフがイエスの姿で現れたのだろう。

だが、その神秘体験は一度きりで、
二度と起こることはなかったという。

それはまさに天国から地獄に突き落とされたような想いで、
それによって底知れぬ「心の闇」が生まれたという。

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スーパーラブは5次元エネルギーで、
天国を超えたエネルギーである。

つまり、天国から地獄に堕ちるよりも
辛い事だったことは想像に難しくない。

だが、もともとスーパーラブを知らなかったのだから、
それが味わえなくなったくらいで
地獄に落とされたような気持ちとは大袈裟なようだが、
それだけスーパーラブの歓喜が強烈だったということである。

それで、テレサは夢中で奉仕活動をすることで、
人々の喜びを自分の心の支えにすることに生命を燃やしたのだが、
最期の最期まで「心の闇」が消えることはなかったという。

つまり、テレサは神秘体験が原因による激しい渇愛によって、
「心の闇」という生き地獄の人生を送ったのである。

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もちろん、それも「見通しの神」である
ハイヤーセルフの計らいだったはずである。

私の勝手な考えだが、テレサはカルマの法則により、
それだけの「心の闇」を体験する必要があり、
一度きりのスーパーラブを体験させられたのだろう。

そして、その「心の闇」によって奉仕の人生を歩み、
カルマの解消をさせられていたということである。

それは公開奉仕なので陰徳にはならないが、
世界中の人々に感動を与え、
「愛の人」の手本を見せるという役割もあったのだろう。

だが、テレサは世界各地を巡行していたので、
貧困者たちに束の間の喜びを与えて去って行き、
多くの人々に「心の闇」を作らせたとも言える(笑)

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さて、人間は死後、死ぬ時の想念のままの世界に行くことになるが、
「心の闇」を抱えたままのテレサは闇の世界に行ったのだろうか……。

それについての私の見解は、
晩年のテレサの意識レベルは天国に到達していたとは思うので、
天国に行ったと考えているが、実際にそうであるらしい。

天国(天上道)も輪廻の世界なので、
5次元から見れば「無明(闇)の世界」には違いない。

少なくとも、テレサは死ぬ直前まで真我に目覚めておらず、
真の愛に生きてはいなかったということは言える。

もちろん、人間としては偉大な人物だったことは私も認めている。

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真の愛(スーパーラブ)を体験する為には、
真我に目覚めることである。

真我に目覚めると、自ずとそれを維持し、
更なる覚醒を追求するようになるが、
それはスーパーラブが消える恐怖の裏返しかも知れない。

いずれにせよ、それは「歓喜の追求」であり、
自ら好んで自我を主体とした生き方に戻ることは有り得ない。

自我が歓喜と感じることは意識レベルを下げることが多く、
真我が歓喜と感じることは意識レベルを上げるが、
自我にとっては苦痛なことが多い。

だが、自我は真我の投影であり、
真我の歓喜は自我にも反映されるものである。

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内観や食事改革などもそうだが、
奉仕(菩薩行)もその1つであり、
我々の深奥の真我からの預言書『日月神示』にも
「人の為に苦労するのは喜びぞ」と示されている。

一切は「自分の為」であり、
「人の為」という意識を持つのは自我だが、
便宜上「人の為」という言葉を使わざるを得ない。

あくまでも奉仕の心構えで重要なことは、
「人の為にしてあげる」のではなく
「自分の為にさせて頂く」ということである。

そのような心の持ち方をしていれば、
テレサも真我に目覚めていたかも知れない。

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また、世間では「自分がされて嬉しい事を人にしなさい」とか
「自分がされて嫌な事は人にしてはいけない」とよく言うが、
自分がされて嬉しい事でも人は嫌がるかも知れないし、
自分がされて嫌な事でも人は喜ぶかも知れない。

また、頭で考えた善行は所詮「自我」の産物であり、
直感で思ったことを実行するべきである。

「身魂磨きとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ」
(日月神示)

また、善行が裏目に出て、
善行のつもりが人を傷つけたり怒らせることがあっても、
善意(良心)と直感に基づいてさえいれば、
人がどのような反応を示そうとも無問題である。

無問題とは言っても、人の反応も自分の投影なので、
悪い反応であれば潜在意識の浄化をする必要がある。

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「人の為にやってやったのに、
なぜ怒られた上に自分が反省しなければならないのだ」

と思うのは、カルマの法則を認識できない自我であり、
そう思うこと自体も浄化する必要がある。

サイババは「最も偉大な霊性修行は奉仕である」と説いていたが、
私が覚醒者として一応認めている元波動整体師の奥田治氏も、
「覚醒する為にはまず人の為に生きようと決断すること」だという。

私も地球と人類を守る為に命を捨てる覚悟を決めた1年後に
覚醒に至ったが、ホワイト・イーグルもイニシエーション
(魂が目を覚まして一段一段と進歩の階段を上ること)
について、次のように教えている↓

『上級イニシエーションは、人生の大きな転機の中で、
「自分を捨てて地球(宇宙)進化のために全面的に献身する」
という決断から始まります。
人はこの決断をするならば、一つの人生の中で
幾段階ものイニシエーションの階段が上れると教えています。
すなわち、一生涯で釈迦やイエス・キリストに近いところまで
上れるのだと断言してくれているのです』


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結局、真我が歓喜を感じることをすることが、
真我を目覚めさせる秘訣だと言える。

寝ている真我が歓喜を感じるのかと思うかも知れないが、
夢を見ているので歓喜も感じるものである。

真我が特に歓喜を感じるのは身魂磨きと奉仕だが、
奉仕の中でも最高の徳積みが「菩薩行」だと言える。

テレサの活動を揶揄するわけではないが、
人々の真の救済(意識進化)に繋がる菩薩行ではなかった。

天国のマザー・テレサもそのことを理解し、
キリスト軍団の一員としてスピリチュアリズムの普及の為に、
人間界に働きかけているという。

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詳細は以下の記事を参照して頂きたい↓

マザー・テレサの「心の闇」
http://new-mu.seesaa.net/article/365331754.html
マザー・テレサの「神秘体験」
http://new-mu.seesaa.net/article/365353087.html
マザー・テレサの死後と「心の闇」の原因
http://new-mu.seesaa.net/article/365371945.html
マザー・テレサの真価と「究極の自己中心主義」のススメ
http://new-mu.seesaa.net/article/365376919.html
究極の奉仕への道
http://new-mu.seesaa.net/article/365429400.html


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posted by ZERO at 00:15| Comment(0) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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