「ウォルシュ氏の神とホ・オポノポノ」や
「HIKYOSEとホ・オポノポノ」など、
少し興味深いタイトルの記事があったが、
それと同時に私自身に興味深い出来事があった。
引越の時に間違って聖母の本も何冊か持ってきてしまい、
その中に『ゆるすということ』という本があった。

世の中に偶然はなく必然なので、
間違って持って来たことにも意味があるはずで、
間違って持って来たことも偶然ではないが、
私には関係のない本である。
だが、その本の帯を見ると、
「『神との対話』の著者ウォルシュ氏推薦!」
と書かれていたのが、まず1つのシンクロである。
そして、私がよく言っている通り、
「他人をゆるすことは、自分をゆること」と書かれている。
しかし、「許す」ということは、
「怒っている」ことを前提としているが、
私には怒りがないので、
この本は私には無関係ということになる。
「神に怒りはないのであるぞ。
若し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ」
(日月神示)

たまに「お許し下さい」と言われることがあるが、
私に怒りはないので初めから許すも許さないもなく、
許しを請うのであれば、自らの内なる神である真我
(キリスト)に謝罪するべきである。
3次元意識(自我)のみで生きている人は、
「真実の内外」を反転させた世界認識をしている為、
根本的に謝罪の対象が間違っているのだ。
もし、殺人を犯してしまったとしたら……
それも原因(内側)に対する結果(外側)なので、
謝罪するべき対象は当然ながら自分の内側である。
(真我の視点からすると、それは外側であり、
他者の実体が存在する領域である)
だから私は、母親に「ごめん」と言われたりすると、
「誰に対して謝っとるんだ」と、わざと叱ったりする。
とは言えども、人間界に生きている以上は社交辞令でも、
一応は外側の他者(自分の投影)に謝ることも必要である。
私も「俺に謝るな」と言いながら、本当に謝らなかったら、
自我では「何て常識のない奴だ」と思ってしまうこともある(笑)
しかし、どれだけ相手が悪く思えたとしても、
それは自分が理解すべき投影(記憶の再生)であり、
他者に謝罪を求める気持ちは的外れな悪想念なので、
自分の潜在意識に謝罪しなければならないことなのだ。

前置きが長くなってしまったが、
本書のテーマはタイトルの通り「ゆるし」で、
「許せないことを許せば良い」ということである。
その一言に本の内容が集約されているので
「以上!」ということになり、
読む必要も内容を紹介する必要もないのだが、
なぜ私の手元にこの本があるのかを考えると、
概要を抽出して読者に興味づけをし、
この本を買って読んでもらう必要があるのだろう。
著書のジェリー(ジェラルド・G・ジャンポルスキー)は、
世界に120ヶ所で展開する
「生き方を変えるヒーリング・センター」を無料で運営し、
何百万人に「ゆるすこと」を説いて癒してきたという。

まずは、ウォルシュ氏が書いている序文の一部を抜粋しよう↓
「この本は、あなたの人生を変えるでしょう。
この本がどのようにあなたの手元に届いたのかは、
あなたしか知りません。
しかし、私は断言します。
あなたがこの本を手にしているのは、偶然ではないと。
この本は、間違いなく神があなたに届けて下さったものです。
それが神のやり方なのです。
たとえば、あなたが何かに悩んで答えや助けを求め、
宇宙に呼びかけたとします。
そんなとき、神はあなたに知ってほしいことを、
こんな形で伝えてきます。
この本はジェリーの真実を語っていると同時に、
神のメッセージでもあります。
神がジェリーを通して、語りかけているのです。
ですから、この本を読む時、
あなたは神と対話しているのだということを忘れないで下さい」

速読で拾い読みしたが、普通の内容だったので、
目次だけ紹介すればいいと思ったのだが、
私のブログには「ゆるし」をテーマにした記事が少ないので、
少し良い材料かも知れないと思う。
「ゆるし」はZERO式ホ・オポノポノの最初の2つ
「御免なさい」「許して下さい」という反省と謝罪だが、
「許します」という言葉は含まれていない。
以前、「許します」という言葉も付け加えようと思ったが、
許せない対象はあくまでも自分の投影であり、
当然ながら許す対象も自分の投影ということになる。
物ごとの順序からすると、
自分を許すことで他者を許せるようになるのであり、
自分を許せない間は他者を許すことはできない。
従って、他者を許そうと努力しても、
自我を粉砕しない限り無理なことなので、
内観をして反省と謝罪の言葉を唱えれば良いのだ。

だから、私は今まで「人を許しましょう」というような
無意味なことは全くと言っていいほど書いたことがなく、
一貫して「人を許せないは自分が許せないからである」
という事を、長年の内観に基づいて主張してきたのだ。
しかし、敢えてこの本について取り上げることになったのは、
ゆるしの効果について様々な実例が載っていたことと、
ハイパーネオデジタル内観に導入したい書き出し作業がある為、
プロローグと各章を分割して紹介記事を書いていきたいと思う。
だが、その使命に対して自我で少し愚痴れば、
興味のある人が勝手に買って読めばいい話で、
このような面倒な作業は果たして、
私がしなければならないことなのだろうか……。
しかし、私の記事を読んだことでその本に興味を持ち、
「買って読んだら良かった」という報告がたまにあり、
最近では「『神との対話』を買って良かった」
と、報告してくれた人もいた。
(私は『神との対話』は読んでいないのだが^^;)
また、本を買ってまで読まない人が殆どだろうから、
私がそのエッセンスを広める為に、
この本が私の手元に巡ってきたのだと解釈している。
それでは今回は、プロローグの一部を抜粋しておこう↓

ゆるしは自由と幸せと希望をもたらすものだと実感します。
ほかの方法では、絶対に無理です。
朝早く、私がゴルフコースに沿ってジョギングしていると、
ビールの空き缶が二つ、
道ばたに捨ててあるのが目に飛び込んできました。
これを見た瞬間、私はかっとなって、
あっというまに見知らぬ誰かを裁き始めました。
そのとき、内なる声が私に語りかけてきたのです。
「待ちなさい。
そんなふうに非を裁くよりも、戻って拾ったらどうですか」
そこで、ちょっと自問自答しました。
空き缶を拾いに戻れば、ミーティングに遅れるかも知れない。
五分かけて、空き缶を片づける価値はあるだろうか?
私は戻って空き缶を拾いました。
その瞬間、心のむかむかが消えて、
安らぎと喜びに満ちた素晴らしい気持ちを味わったのです。
ホテルに向かって走っていると、
若いころの記憶がどっと甦ってきました。
いつだったか、車の窓からゴミを捨てたっけ。
私もその空き缶を捨てた人と同じように、
無神経なことをしていたのです。
そのとたんに、ポイ捨ての一部は、
自分自身の罪悪感の投影であるとわかりました。
私は自分を過去から解き放ち、
自分を裁く気持ちから自由になることを学んだのです。
さらに、裁きの思いとは、
自分自身に対する裁きであることがわかりました。
空き缶を捨てた人をゆるすプロセスによって、私自身、
過去の行動について引きずっていた感情から解放されたのです。
その瞬間、ゆるしが癒やしになるのだと、実感しました。
ゆるすことで過去から解放され、
いまこの瞬間を百パーセント生きる喜びを味わえるのです。
私にとって最も受け入れにくかったのは、ゆるさないと
過去の出来事にいつまでも縛られるという事実でした。
しかし、恨みにしがみつけば、結局、
自分自身を地獄の暗闇に突き落としてしまいます。
ゆるすことで、私たちは自由になります。
自分を責める心の戦争に「待った」がかかります。
怒りや非難の悪循環から抜け出せます。
ゆるしによって、自分の本当の姿がわかります。
ゆるしたとき、私たちの本質は愛なのだと体験できるのです。
ゆるしは癒やしをもたらします。
あらゆる人々を、そして生きとし生けるものの
すべてとひとつなのだと、体験できます。
ゆるしは自分も他人も癒やします。
ゆるせば自分を見る目が変わり、他人を見る目が変わります。
世界観が変わります。
四六時中の心の葛藤に、終止符を打てます。
世界中の誰もが恨みを手放したら
どんなに平和になるか想像してみてください。
人種や宗教の違いのために何百年も続けてきた戦争をやめ、
お互いの傷を忘れることができたら、どんな世界が生まれるでしょうか。
私は四十年以上も医師をしています。
そのあいだ、腰痛、潰瘍、高血圧、ガンなどの患者さんが、
許しを学ぶことによって症状が軽減されるのを見てきました。
近年、ゆるしと健康の相関関係を示す研究が出てきましたが、
実に喜ばしいことです。ゆるさないでいると、
測定可能な影響が身体に及ぶことが、明らかになりました。
●他人をゆるせないとき、それはいままで目を背けてきた、
あなた自身を見ているときかもしれない。
●あなたを幸せにするのは、あなた。
まずノートを用意して、最初のページに、
ゆるせない人の名前を書いてみましょう。
リストには、気が引けても
絶対にゆるせない人の名前も入れてください。
・両親、義理の両親、家族、親戚
・配偶者、別れた配偶者、昔の恋人
・権威がある人
・自分の身体
・過去と現在の思考、感情、行動
・神、運命、高次元の存在、人生
・事故、犯罪、迷惑行為
●ゆるしとは、あらゆる人のなかに神の光を見ること。
たとえ何をした人だとしても。
転載終了

解説の必要はないと思うので今回の記事は終わるが、
ノートを用意して実践してみて頂きたいと思う。

にほんブログ村
その通りですね^^
そして、紙に書き出すのもいいことです。
それは神に掻き出すに通じると思います。
めんたりさん
別に病気ではないとおもいますよ^^;
むしろ、その感性を追求というか追究すると面白いかも知れませんね。