2014年05月14日

不幸の原因と意識進化の原点

引き続き、『ゆるすということ』の紹介記事だが、
今回は第1章から一部抜粋したいと思う↓

なぜ不幸になるのだろう?

「生き方を変えるヒーリング・センター」では、
ゆるしが活動の中心を占め、
「人間の本質は愛だ」と考えています。

人生にはさまざまな出来事が起こります。
しかし、ゆるすことによって、どんな状況にあっても、
怖れではなく愛を、争いではなく平和を選べます。

不幸の原因を探れば、
世の中をまるで違った目で見ることができます。
まず、幸せを外に求める自分の心から探求してみましょう。

現代社会では、
お金や物を所有すれば幸せになれると考えがちです。
しかし、困ったことに、
お金やは集めれば集めるほど、もっと欲しくなります。

こうした幸せの探求は、
失望、怒り、不幸、絶望という結果に終わるだけです。
つまり、それではうまくいかないと教えられるのです。

世の中には、不幸の種はいくらでもあります。
自分より多くの物を持ち、
ずっと幸せそうな人たちがたくさんいます。

そこで、魂にぽっかり空いた穴を埋めようとして、
周りの人たちにすがりつき、その関係に頼ろうとします。

物で幸せになろうとする話から、
誰かによって幸せになろうとする話に移るのは、
論理の飛躍と思われるかもしれません。

しかし、これには密接な関係があります。
「物があれば幸せになれる」と考えながら、同時に
「周りの人のせいで幸せになれない」と考えているのですから。

「私にふさわしい人さえ見つかれば、人生はバラ色になるんだ!」と。
そうこうしているうちに、心理的な悪循環にはまってしまいます。

お金も物も人間関係も幸せをもたらしてくれず、
失望を味わい、不幸をかみしめます。

このように、幸せを外に求めるのは、
私たちのどういう部分なのかを明らかにしてみましょう。

それは、私たちの本質は、自分の肉体と
物質的特性の中でのみ形づくられていると信じている自分です。
私たちはスピリチュアルな存在で、
肉体は仮の宿だということを、せせら笑う自分です。

外面的なことに気をとられている自分を
「エゴ」と呼ぶことにしましょう。

エゴは「あなたのためを思って」といって、自分を正当化します。
エゴは繰り返し、「世の中は不公平だ」と文句をいいます。

だから、いつも警戒していないと酷い目に遭うというわけです。

「私は酷い目に遭っている」と考えれば、エゴは大喜びです。
なぜなら、そう考えることで、力がすべてエゴに集まるのですから。

逆に「私には選択権がある」と信じると、
エゴにとっては最悪の事態です。

自分は犠牲者でないと考える自由がある、
怖れでなく愛を選べる、
恨みや不平や裁く気持ちにしがみつくのをやめ、
ゆるすことができる……
などと考えられては、エゴは困ってしまいます。

エゴが幸せ、愛、心の安らぎを敵と見なすのは、
なぜでしょうか。

心がそんな状態にあるとき、私たちは本来の
スピリチュアルな自分自身を体験するからです。

エゴが飾り立てて見せる世界とは、違った世界です。
愛の目で世界を見れば、ゆるしは簡単なことです。

ずっと探してきた答えはゆるしにあるのであって、
エゴがいうように外の何かを信じることにあるのではないと、
はっきりわかるからです。

最悪の場合には、エゴのこんな囁きが聞こえます。

「ずっと幸せでいるなんで不可能だ。
だから、本当に長いあいだ続く幸せがほしいなら、
物質的な現実に頼らなきゃダメよ」。

しかし、やがてすべてがバラバラに崩れます。
必ず何かがおかしくなります。

誰かが、あるいは何かが、幸せの邪魔をするに違いありません。
だから、そんな時に備えて、悪者を探しておく必要があります。

エゴは「さあ、欠点を探せ」と忠告します。

そうすれば、私たちは常に正しく、
間違っているのは常に他人であることが保証されるからです。

突き詰めると、幸せか不幸せかは、
どの程度エゴの声に耳を傾けるかで決まります。

他人を裁いたり、恨み続けたり、非難する気持ちや
罪悪感にしがみついている自分を想像してください。

そんなときは愛も安らぎも幸せもどこかにいってしまいます。

不幸な気持ちでいっぱいになり、幸せではないのは誰のせいだとか、
この状況のせいだとか、夢中であら探しを始めます。

ゆるしはあなたが変わるためのプロセスです。

本当の幸せは自分の外にあるという思い込みは、
ほんの一瞬で手放せます。

「犠牲者として振る舞い、守りを固めないと、もっと傷つくよ」
とエゴはいいます。

しかし、ちょっと見方を変えるだけで、
自分が不幸なのは他人や状況のせいだと考えずに済むのです。

自分はスピリチュアルな存在だと認めれば、
それこそが愛と平和と幸せをもたらしてきたものなのだと、
すぐにわかります。

これは、いつでもどこでもどんなときでも可能です。
しかも、もちろん、お金もいりません。

あなたがどんな信念を持っていようと、
どんな過去があろうと、どんなに酷く他人に接してこようと、
年齢に関係なく、誰もがゆるしを学べるのです。


ゆるしのお手本――ハッピーの人生

アンドレアは未亡人になって数年もすると、
変わり者の憎たらしいおばあちゃんになっていたそうです。

人と仲よくできず、挑発的で、すぐに口論をしかけてばかり。

そんな彼女が八十五歳のとき、
友人から『愛と怖れ』をプレゼントされたのです。
アンドレアは毎日この本を読んだといいます。

まもなく、昔、自分を傷つけたと感じていた人を、
一人ひとりゆるしはじめました。
愛情のない行動をとって人を苦しめてきた自分もゆるしました。

彼女の人生は奇跡的な変貌を遂げました。

世間に恨みを抱いた風変わりなおばあちゃんはいなくなり、
彼女は今まで知らなかった自由と喜びを体験するようになりました。

そして、この大変身のお祝いに、
自分の名前をハッピーと変えたのです。

●ゆるさないと決めれば苦しみを味わうだけ。

●裁くのをやめる。
それだけで、幸せになれる。

●ゆるしは癒やしの特効薬。


転載終了

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「ゆるすと奇跡が起きる」というエピソードも載っていたが、
少し長くて転載するのが面倒なので省略したが、
文字通り「奇跡」としか言いようがない不思議な体験談で、
映画に出来そうな話だった。

今回も解説は不要だと思うが、少しだけ注釈しておきたい。

以下、昨日(13日の午前中)に作った文章なので、
少しおかしい部分もあるが、
リアルタイムで読んでいる人は少ないと思うので、
特に問題はないのだが……。

エゴ(自我)とは、
人間が自分の意識を「自分」だと錯覚している意識、
つまり、顕在意識(心)のことだが、
それが魔界に通じるものであることが理解できたと思う。

もちろん、エゴ(自我)そのものが悪いわけではないが、
それは3次元意識で世界を認識し、自他分離観念を持ち、
そこから様々な二元性を認識するようになり、
意識レベルを低下させて堕落していくのだ。

エゴ(自我)、つまり顕在意識は潜在意識の支配下にある為に、
潜在意識の浄化が必要であることがお分かりだと思う。

簡単に説明すると、潜在意識とは、
自我と真我(肉体と霊魂)の媒体である幽体(4次元体)の意識で、
それが汚れていると幽霊や地獄霊と同じ状態となる。

その幽体に、同じ波長を持った幽界霊が無数に憑依するのだが、
その低級霊化した自分の幽体(潜在意識)と憑依霊を総称して
「副守護神」と呼ぶのだが、『日月神示』によると
人類の99%が副守護神に支配されているという。

「エゴのこんな囁きが聞こえます」という表現があったが、
憑依霊も同じように囁きかけているのである。

よく「悪魔の囁き」という表現をしたりもするが、
それは決して比喩などではなく、自分の思考や感情だと
思っていることの多くは憑依霊によるものなのだ。

つまり、人類の99%が悪魔に支配されていることになる(笑)

これは極論のようで極論ではなく、
転載記事に書かれているエゴの特徴を見ても、
人間は大なり小なり低級霊に支配されていることになるが、
それも自分が引き寄せたもので、自分自身でもある。

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私は自我と真我を以下のように定義している↓

「自我」=肉体意識+幽体意識(顕在意識+潜在意識)

「真我」=霊体意識+魂の意識


尚、肉体は3次元、幽体は4次元、霊体は5次元、魂は6次元に位置し、
霊体と魂を「霊魂」と呼ぶとすれば、それが「5次元の真我」である。

もちろん、6次元の魂は「6次元の真我」だが、
とりあえずは5次元の霊魂を「真我」と呼んでよい。

6次元では霊体が消滅して魂だけとなるが、
魂には形がなく、宇宙と融合した状態となる。

私がたまに内観や宇宙瞑想を指導している1人も、
この宇宙即我の天人合一を体験したそうである。

それは「6次元の真我」の体験だが、
普段はまだ5次元の真我の覚醒には至っていない。

つまり、5次元意識の真我に目覚めていないのに、
6次元の天人合一を体験したということだが、
瞑想が深くなるとそのような体験も可能なのだ。

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私も27歳の時に、
初めて天人合一(6次元の真我)を一時体験したが、
日常的に5次元の真我が覚醒し始めたのは
2010年の6月13日からだった。

それは、前月の5月13日に起きた
「獣のファティマ事件」のちょうど1ヶ月後で、
そのことは以下の記事に書いている↓

32歳の獣G
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/150496263.html

今日も5月13日で、ファティマの奇跡から97年目だが、
詳細は以下の記事を参照して頂ければと思う↓

ファティマ第3の秘密とJFK暗殺の真相
http://mujaki666.seesaa.net/article/123246283.html

ファティマに現れた「聖母」と称される霊的生命体の正体は、
私が遭遇したマイ・ミュート・アーテだったのかも知れない。

私が遭遇したのがマイ・ミュート・アーテかどうかは不明だが、
そうとしか思えないのでそう思っているのだが、
そう思ったらそうなのだ(笑)

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少し余談になったが、もう一度確認して頂きたい。

「自我」=肉体意識+幽体意識(顕在意識+潜在意識)

「真我」=霊体意識+魂の意識


人間が日常的に自覚している自我は顕在意識だけで、
潜在意識を認識することは出来ないが、
顕在意識を直接支配しているという意味で
「自我」に分類できるだろう。

また、潜在意識(幽体意識)は4次元意識であって、
「真我ではない」という意味でも、
広義の意味で「自我」にカテゴライズできると思う。

肉体人間からすれば「広義の意味での自我」だが、
幽体離脱をすれば、その幽体意識が「自我」である。

そのように分類すると、
「自我=悪魔」で「真我=神」という構図が生まれる。

「それは二元論だ」と指摘されるかも知れないが、
一元論では何も語ることが出来なくなるので、
分かりやすく解説しているのである。

「自我=悪魔」で「真我=神」とは比喩でも何でもなく、
両者の最終戦争が「ハルマゲドン」である。

外側の世界で起こるハルマゲドンと区別する為に、
私は「心のハルマゲドン」と呼んでいるが、
去年のトークライヴで半田広宣氏も同様の話をしていた。

「古い神と新しい神の戦いが心の中で始まり、
統合させることで変換人となる」


詳細は以下の記事を参照して頂きたい↓

「シリウス革命」と七夕の御用
http://new-mu.seesaa.net/article/368729319.html

また、その「心のハルマゲドン」のことを、
半田氏は「意識戦争」という言葉で表現している↓

意識戦争と変換人ゲシュタルトの空間認識
http://new-mu.seesaa.net/article/384769645.html

自我(悪魔)が強いと「許す」ということは難しい。

自我は自他分離観念であり、
他者が自分の投影であることを理解していないからで、
その意味では「許し」も心のハルマゲドンに他ならない。

「愛とは許すこと」と書かれていたが、
真我(真の愛)は無条件の愛であり、
当然ながら「許し」も無条件である。

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本題に戻すが、
「裁くのをやめるだけで幸せになる」と書かれていたが、
釈迦が説いた「幸せとは苦から解放された時の心の状態」の
私の解釈「幸せとは輪廻から解脱すること」に基づけば、
裁くのをやめても輪廻を解脱できるわけではないので、
裁くのをやめるだけでは幸せになれないのである。

釈迦は「この世は苦に満ちている」と言った通り、
苦から解放されるということは、この世の3次元認識を超えた
5次元の真我の覚醒を意味していることは間違いない。

4次元認識ではダメなのか?と思う人もいるかも知れないが、
3次元に時間を足したのが4次元なので、
正確には人間は4次元認識を持っているとも言える。

その意味では、人間界は4次元であるとも言えるが、
死後の世界の4次元と合わせて「輪廻の世界」であり、
それが無明(闇)の「苦」の世界だと言える。

ゆるすことによって幸せになったという何百万人の人々も、
その殆どは真我の覚醒には至っていないだろうから、
真の幸せではないということになる(笑)

それを言ってしまっては元も子もないので訂正するが、
輪廻を解脱していなくても、小さな苦が1つ1つ消えるごとに
小さな幸せを得ることができると言えるだろう。

もちろん、大きな苦が消えれば大きな幸せを感じることになる。

また、輪廻を解脱した者には苦がなくなるというのは間違いで、
苦は苦として存在するが、真我の世界認識は自我と異なる為に、
苦に囚われないというか苦として苦として感じないのである。

肉体を持った人間である以上は自我も備わっているので、
苦があれば自我では苦を感じるものだが、
真我が覚醒してくると自我が薄くなってくる為に、
苦もあまり感じなくなるのだ。

それだけだと説明不足なので付け足すが、
自我でも真我での認識(真理)を理解している為に、
根本的に苦に対する捉え方が違うのである。

具体的に言えば「意識進化のチャンス」、
あるいは「宇宙の浄化のチャンス」と捉えるのだ。

また、絶対的な永遠の至福感に包まれた上で、
自我も苦も実在ではないことが分かっていて、
この世は夢だという真我の認識の前では、
文字通り「一切は無」ということになり、
極端に言えば「一切の苦の消滅」とも言える。

とは言え、人間界に生きている以上は、
一切の苦を全く感じずに生きることなど不可能であり、
もし可能であればそれこそ不幸だと言えるだろう。

但し、人間の根源的な四苦(生老病死)からは、
悟り(理解と認識)によって本質的には解放される。

「生死解決」の二元性の統合によって、
「幸・不幸」という二元的な観念を克服し、
万事は好都合で最善であることを理解し、
苦や不幸は本質的に存在しないことを認識するからだ。

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私もいま筋肉痛で、2日以上寝ていないので、
それも苦と言えば苦である。

気が付けば4日くらい何も食べていないが、
それは快でもあり苦でもあるような微妙な感じだが、
快だと思えば快であり、筋肉痛も酷くはないので痛快である。

眠いのはそろそろ限界だが、
今日は夜中の1時頃までは寝れないので、それは苦である。

いや、苦だと思えば苦であり、
たまにうつらうつらするのを快と思えば、
快を何度も味わえるので幸せである。

昔、居眠り運転で何十回となく事故を起こしかけてきたが、
一度も事故を起こしたことがないので強運である。

25歳の時に助手席に乗っていて事故ったことはあるが、
トラックが私の方に衝突してガラスが割れてドアも凹み、
トラックが私の顔に当たって止まったが打撲1つなかった。

ぶつかる瞬間は死を覚悟したが、
助かったことが分かった瞬間の安堵感は幸せであった。

世の中には、罵られて踏みつけられたり、
縛られて鞭で打たれることに幸せを感じる人も多いので、
何が幸せか分からないものである(笑)

このように人それぞれなので、
「自分がされて嬉しいことを人にしなさい」とか、
「自分がされて嫌なことは人にするな」という教えに対して、
私は非常に疑問に思っている(笑)

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日記のような展開になってしまったが、
最後に重要なことを付け加えておかなければならない。

「自我=悪魔」で「真我=神」と書いたが、
それが文字通りに完全に正しいとは言えない。

自我は浄化すれば進化の方向性に向き、
神なる意識である真我に従順になるからである。

人間としての自分の意志を放棄して、
直感に従うようになるということである。

だが、今回も書いたが、以前から度々書いている通り、
潜在意識が浄化されていない場合、
その直感が悪魔の囁きであることが多いことになる。

その直感に従って、
生き地獄への道を進んでいくことにもなりかねない。

頭で思考して直感に従わなかったとしても、
その思考が憑依霊によるもので、いずれにしても
不幸の道を選択してしまうこともあるだろう。

真我の視点からすれば、それも因果律に基づいた
シナリオ通りの夢を見ているようなもので、
全ては必然・必要・ベストであり、
それを体験する為に人間界に生まれてきたのである。

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だが、そのままで人生が終わっては意味がない。

マクロで見ればそれはそれで良いのかも知れないが、
魂の目的はあくまでも進化である。

顕在意識は潜在意識に支配されているが、
潜在意識を浄化する為には顕在意識での決断と実行が必要となる。

潜在意識が顕在意識を支配しているなら、
なぜ顕在意識で潜在意識を浄化する決断や実行ができるのかというと、
ハイヤーセルフが潜在意識にメッセージを送っているからだと考えられる。

潜在意識が汚れていると、
ハイヤーセルフからの直感を受信できなかったり、
歪んで受け取ってしまうことも多いと思うが、
必ずいつもそうとは限らない。

潜在意識が浄化できていなくても、
ネガティブな感情から解放された時に、
ハイヤーセルフからのメッセージを
直感として受信することは可能である。

不幸な人生を送ってきたウォルシュも、
ネガティブ一色の不平不満や怒りを神にぶちまけて、
(スッキリしたかどうかは知らないが)
その時から「神との対話」がスタートしている。

ウォルシュは『ゆるすということ』の序文でも、
「この本は間違いなく神があなたに届けて下さったものです。
この本は神のメッセージでもあります」と書いている通り、
ハイヤーセルフは様々な方法を使って、
人間のセルフ(真の自己)の覚醒を導いているのである。

まず、意識のベクトルを選択する決断と宣言が第一である。

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http://new-mu.seesaa.net/article/309187952.html

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posted by ZERO at 17:22| Comment(0) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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