2014年05月15日

ゆるさない20の理由

次は、第4章からの転載である↓

エゴの声に耳を傾けると、ゆるすのは難しくなります。

エゴは「傷つけた人を罰したり、
愛さないようにするのは当たり前」といいます。

ゆるすのが難しいのは、
私たちの心には強情なエゴがいて、
「愛するより憎んだ方がいいし、安全だ」
と説得しようとしているからです。

大切なのは、エゴを敵に回したり、
その忠告に振り回されないことです。

同時に、エゴに従うと道を誤るということも、
よく分かっていなければなりません。

エゴは休むことなく、私たちを説得し続けます。

怖れと葛藤と不幸を基準にした価値体系にしがみつき、
「愛を表現するなんて狂っている」と言い張ります。

私はエゴの意見には反対です。
私たちが狂うのは、愛を感じてそれを表現する事を、
自分に禁じた時だけだと思うのです。

でも実際、ストレスが大きい時、
物事がうまくいかないような時は、
エゴの声が無視できなくなり、
「ゆるしてはいけない」という暗黙のメッセージが、
私たちの心に付きまとってきます。

私たちはいつも、選ばなければなりません。
私たちは愛に従うことも、エゴに従うこともできます。

ではどうすれば、エゴの声を聞き分けられるのでしょうか。

エゴの声は常に恐れから出ています。
その声に耳を傾けると、
心は安らぎや落着きを失ってしまいます。

なぜなら、ゆるせない理由が
数え切れないほど聞こえてくるからです。

ゆるさずに、苦しんだり心の安らぎを失うのは
自分のほうだということが、
エゴが言い募る理由のせいでわからなくなってしまいます。

そこで、エゴが考える「ゆるしてはいけない20の理由」
を、次に挙げてもみしょう。

@そいつはあなたをひどく傷つけた。
あなたは怒って当然だし、
そいつを愛するのをやめて当然だ。
どんな罰を下してもいい。

Aばかいうな。
ゆるしたら、そいつは同じ事を繰り返すだけだ。

Bゆるすとしたら、それはあなたが弱いだけだ。

Cそいつをゆるせば、相手が正しくて、
あなたが間違っていると認めるのと同じだ。

Dゆるすなんて考えるのは、
自分を大事に出来ていない人だけだ。

Eゆるさなければ、そいつをコントロールし続けられる。
コントロールしていれば安全だ。

F絶対にゆるさなければ、
傷つけられた人に近づかずに済む。

Gゆるすのは延期した方がいい。
仕返しができ、気分がいいから。

H簡単にゆるさなければ、
自分を傷つけた人を支配できる。

I傷つけた人間をゆるすなんて、
お人よしのバカがすることだ。

Jゆるせば不安になるだけだ。

Kゆるせば、そいつがやったこと
(してくれなかったこと)に同意したことになる。

Lゆるすとは、過ちを大目に見ることに他ならない。

M誠実に謝るなら少しはゆるしてもいいが、
100%ゆるすわけにはいかない。

Nゆるしたりしたら、神様から天罰が下るぞ。

Oこの際ハッキリ言うが、悪いのはいつも相手だ。
ゆるすなんてとんでもない。

P「他人の性格を嫌いになるのは、
自分にも当てはまるからだ」
そんな言葉を信じてはいけない。

Q「他人の行動を許せないのは、
自分も前に同じようなことをしていて、
それがゆるせないからだ」
そんな話も信じてはいけない。

Rあんなひどい行動をゆるしたら、
自分もそれをやったと同じくらい悪人になってしまう。

S「神または高次元の存在が、
無実の罪で傷つけられないよう守ってくれる」
なんて信じていたら、
ゆるしすぎて頭がいかれてしまったしるしだ。


いまあげたエゴの20の言葉を、ゆっくり吟味しましょう。

そのうち、こういう考えが浮かんだ時、
「これはエゴの声だな」と分かるようになります。

そして、2つの選択肢がある事に築くはずです。
エゴに従うか、それとも愛、つまりゆるしに従うか。

次の章で、この声を上手に聞き分ける方法を探りましょう。

●ゆるせば、つらい過去から自由になる。

●完全にゆるすか、全くゆるさないか、道は二つに一つ。

●ゆるすためには、怒りと苦しみのすべてを
神様にゆだねること。


転載終了

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最後の部分についてだが、
白光真宏会の五井昌久氏も同様の事を説いている↓

「世界平和の祈りというのが出てきて、
あなたが悪いのではない、
今あなたが悪いように見えていても、
あなたの心が悪いのではない。 
過去世の因縁が今あなたの前を通りかかって、
消えてゆく姿ですよ、と教えてくれるわけですね。

だから消える姿なんだ、どんな悪い想いが出てきても、
どんな悪い行いが出て来ても、しまったと想ったら、
それを掴んだままで、
世界平和の祈りの中で洗濯してもらいなさい。 
そうすれば世界平和の祈りの大光明が消して下さるから、
もう再びその悪い行いをしなければいいのだ。

また出てきたら、また入れればいい。 
三度び出てきたら三度び入れればよい。
四度び出てきたら四度び入れれば良い。
そういうように入れちゃえばいいでしょ。
そうやって入れてしまう内に綺麗になってしまうのです。

何でもかんでも自分で始末しようと思ったって出来っこない。
自分で心臓を動かすことが出来ないと同じように、
自分の業想念は自分では始末がならないのです。
始末がなっていれば、
御釈迦様以来みんな幸福になっているわけなのです。
御釈迦様やイエス様のような偉い人が出ても、
この世の中はそんなによくならなかった。

それは(業想念の)始末が自分では出来ないから。
法然さんのような偉い人も、親鸞さんのような偉い人でも、
自分ではどうしにも始末が出来ないから、
阿弥陀仏におまかせするんだというんで、
南無阿弥陀仏といって阿弥陀様一念に入っちゃったでしょう。

あんな偉い人でもそうなんだから、
社会生活の混沌とした生活の中で、
欲望の中にまきこまれながら生活している現代人が、
自分で自分の心を変えるなんてことは、
とても出来るものではありません。
私自身出来やしない。
だから神様の中に全部入っちゃったわけですよ」


いわゆる「他力本願」である。

真我に対して、まず自分のことを許しを請う。
そして、許せない人間のことも許しを請う。
更に、他人のことを許せない自分の許しを請う。

ハワイ伝統の癒しのマントラであるホ・オポノポノも
「他力本願」ということになるが、
他力本願とは阿弥陀仏(真我)の本願力のことで、
「真の自力主義」という言い方もできる。

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それはそれでいいとして、問題は以下の点である↓

「私たちはいつも選ばなければならなりません。
私たちは愛に従うことも、エゴに従うこともできます」


自分の人生において、様々な出来事や人々を許すことにより、
第2章で紹介した『奇跡についてのコース』に書かれていたような、
安らぎと幸せに満ちた生活を手に入れることが出来るとのことだが……。

確かに、許しの実践によって、
潜在意識の悪しきデータ(カルマ)が浄化され、
安らぎと幸せに満ちた生活を手に入れることが出来ることだろう。

だが、潜在意識の奥には人類の集合的無意識が存在する。
従って、釈迦も言っている通り、人生には苦が満ちている。

安らぎと幸せを手に入れたとしても、
何かと色々な災難や苦悩が起きてくるものである。

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そして、人間にはエゴ(自我)がある為に、
その度に感情に振り回されることになる。

真我に目覚めていれば感情に左右されなくなるが、
許しのメソッドを行っただけでは難しいものがあると思う。

全てを許したから輪廻を解脱して5次元に上昇!
というほど甘くはない。

だから、私は以下の点を問題視しているのである↓

「私たちはいつも選ばなければならなりません。
私たちは愛に従うことも、エゴに従うこともできます」


いつも、真我に従うか自我に従うかの選択に迫られ、
その度に真我に従うことを選択し続けていかなければ、
安らぎと幸せを維持できないということになる。

それによって堕落することはなくても、
現状維持であって進化とは言えない。

真我の覚醒とは真我の視点の獲得であり、
それを主体として客観的に自我を観察するようになる為、
完全に真我が主、自我は従という関係で、
もはや選択という概念すらなくなるものである。

第2章の「ゆるしの道を歩む」では、許しによって
5次元世界に到達するような内容が書かれていた。

確かに、許しは5次元に近づくステップだが、
それだけで真我の覚醒に至ることは不可能である。

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まず、「高度なスピリチュアル研究所」の
主任を務める精神科医のホーキンズ博士による
キネシオロジーテスト(筋肉反射テスト)を基にした、
「意識レベル」の指標を見て頂きたい↓

■恥:20
「恥」は、死に最も近いものです。
なぜなら、恥があるからこそ意識的に自殺が選ばれるか、
人生を維持していこうとする手段を選択しないからです。

■罪悪感:30
私たちの社会で、人を操ったり罰したりするために
よく使われるのが「罪悪感」です。
それはさまざまな表現をもって現れます。
自責の念、自己非難、マゾヒズム、それから犠牲心など、
これらの徴候のすべてに罪悪感は行きわたっています。

■無感動:50
このレベルは貧困、絶望、希望を失うといったことが
特徴として挙げられます。
世界や未来は灰色に見えるでしょう。
哀れさを誘う気持ちが人生の中心となります。

■深い悲しみ:75
このレベルは悲しさ、損失、依存に関係しています。
人はだれでも一時期このレベルを経験しますが、
このレベルに固定されてしまうと、人は絶えず続く
後悔の中でうつ病のような生活を送ってしまいます。
これは過去に関する悲しみや死別、後悔のレベルです。

■恐怖:100
100のレベルになると、エネルギーが出てきます。
危険に対して恐怖を抱くことは、健全だということです。
敵に対する恐怖、老いたることや死に対する恐怖、
拒否されることへの恐怖など、数多くの社会的恐怖が、
ほとんどの人々の生活における基本的な動機づけとなっています。

■欲望:125
さらにもっと多くのエネルギーが、このレベルで出てきます。
「欲望」は、目標を達成するか、
その見返りのために努力をするようにと、私たちを動かします。
お金や名声、パワーを得ることに関わる欲望が、
恐怖のレベルから抜け出した多くの人々の
優先的な人生の動機となります。

■怒り:150
「怒り」は、殺人や戦争に通じるのかもしれませんが、
エネルギーレベルとしては「死」からはるかに遠いものです。
怒りは創造と破壊のどちらにも通じることができます。

■プライド:175
自尊心が湧いてくると、意識の低いレベルで
経験したすべての苦痛は和らぎます。
一般にプライドはプラスに評価されていて、
社会的にも奨励されるのですが、
意識レベルのチャートから見ると、
200という臨界点のレベルより下に留まっているため、
まだネガティブな状態だといえるでしょう。
これはプライドが優越感に浸れるに過ぎないものだからです。

■勇気:200
200レベルにおいて初めて、「フォース」から「パワー」へと展開します。
「勇気」は新しいものを試みながら、
人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。
能力が与えられるこのレベルでは、人は難問にも対処できるようになり、
また人生のチャンスを上手く生かすことができます。

■中立:250
250未満では、意識は物事を二つに分けて見る傾向があり、
白黒で分けられない複雑で多因性の世界の問題に対しても、
どちらかに固執する姿勢をとります。
しかしそのような姿勢を取れば、
二極性が生じて反対や分裂を作ってしまいます。
人のエネルギーを消耗させる対立を超えると、
「中立」の状態となります。
ここでは柔軟さがあり、批判的にならないので、
現実的な評価ができるようになります。
「中立」であることは、結果に比較的こだわらないことを意味します。
自分の思いどおりにならないことに対する恐れや苛立ちは、
もはや経験しなくなります。

■意欲:310
「意欲」のレベルでは仕事はうまく進み、
すべてのプロジェクトが成功するのは当たり前のことになります。
このレベルでは、だれにでも好意をもって接する人間になるので、
社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。

■受容:350
「受容」のレベルにある個人は、
正しいか間違いかを決めることに関心はなく、
その問題の解決策を見つけだすことに全力を尽くします。
「受容」のレベルでは、
争いや抵抗によって二極化することはありません。
他の人たちも自分と同じように権利があるので平等さを尊重します。

■理性:400
これはノーベル賞受賞者や偉大な政治家、
最高裁判長といったレベルです。
アインシュタインやフロイト、そしてほかにも
歴史に残る偉大な思想家の多くがこのレベルで測定されます。

■愛:500
500レベルは、無条件かつ不変で
永久的な愛の発展によって特徴づけられます。
このレベルに達すると、物事の本質を識別する能力が優れてきます。
理性を使わずとも、問題の全体性を瞬時に認識する能力が生まれます。

■喜び:540
540以上のレベルは、聖者や高度な精神の探究者、
ヒーラーなどの領域です。

■平和:600
このエネルギーフィールドは、「超越」「自己実現」
「神意識」と呼ばれる状態に関係しています。
この状態に達すると主観と客観の区別はなくなり、
そして知覚は、どんな特定のフォーカスもありません。
このレベルに達した人は至福の状態が連続して起こるため、
自らを世界から切り離し、
通常の生活をやめてしまうこともしばしばです。

■エンライトメント(悟り):700〜1000
このレベルでは自他が分離せず、
むしろ自己の意識と神の意識が一体化します。
心を超越した大いなる自己を無限に感じるのです。
これは二元性がまったく存在しないレベルであり、
あるいは完全たるワンネスのレベルです。
意識が局部に集中することはなく、
意識は至るところに平等に存在します。

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意識レベル200の「勇気」が進化のターニングポイントで、
200以下のレベルは「フォース」と呼ばれているが、
分かりやすく表現すれば「幽界次元」ということになる。

但し、人間の意識レベルは日々常々変動するもので、
人によっては20〜500くらいまでの間を、
ダイナミックに変動しているかも知れない。

いずれにしても、フォースを完全に脱却することが急務で、
それは「ゆるし」によって可能だと思われる。

私が言いたいことは、「ゆるし」によって
レベル200の「勇気」に到達することが出来ても、
それ以上のレベルUPは「ゆるし」だけでは……
ということである。

レベル700〜1000が「悟り」とされているので、
レベル700〜1000が5次元で、
それ以下は4次元ということになる。

レベル500(愛)〜レベル600(平和)までが、
いわゆる「天国」に相当すると思われる。

また、レベル700〜1000は「真の愛」の世界だが、
ゆるしによってこのレベルまで上昇することは、
私の見解では不可能である。

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また、日常的にはレベル200以上で定着している人でも、
潜在意識の中に許せない何かを封印しているかも知れない。

「ゆるすのが難しいのは、私たちの心には強情なエゴがいて」

と書かれていたが、
『あるヨギの自叙伝』には次のように書かれている↓

「わたしは長年、厳しい内観の行を続けてきました。
それは至難な英知への道です。
自分の心の動きをあくまで冷酷に凝視する厳しい自己観察は、
心身を損なうほど痛烈な苦行です。
これによって心の底に巣食う最も頑固な自我を粉砕してしまうのです。
こうした真の自己分析は必ず、真理を洞察する覚者を生み出します。
これに反して、自我を容認するいわゆる“自己表現主義”は、
神や宇宙に対して自分勝手な解釈を施して譲らない
自己本位な人間をつくってしまいます。
人間は、自分の心の醜さに目を閉じて自分をごまかしている間は、
永遠の真理を理解することはできません。
人間の心の中を洗いざらい明るみに出してみれば、
過去幾生涯の間に無数の迷いによって歪められた醜さが、
正視に耐えないほど充満しています。
この心中の敵との戦いに比べれば戦場の敵などは物の数ではありません。
心中の敵は、力ずくで絶滅できるような生やさしい相手ではありません。
この“無知な欲望”という敵は、至る所に潜んでいて、
巧妙な策略と恐るべき有毒兵器を隠し持ち、眠っている間でも、
たえず我々を殺そうと狙っているのです」


『日月神示』の次の言葉を思い出す↓

「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ」

「己の心を見よ、戦が済んでいないであろ。
それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ。
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一」



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posted by ZERO at 09:42| Comment(2) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
断食効果か!
最近、さらにグレードアップしている!(^O^)y
Posted by 春 at 2014年05月16日 19:35
春さん、こんにちは。

グレードアップしてますか^^

ジムの効果かも知れません(笑)
Posted by ZERO at 2014年05月18日 00:21
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