2014年05月17日

どうしても解放できない強烈な呪怨

次は、第5章からの転載と私の体験談である↓

ゆるせない理由を取り除く

新聞やテレビを見ると、世界中の
ショッキングなニュースが目に飛び込んできます。

どこか遠くだけでなく、裏庭のように身近な場所でも、
ショッキングな出来事が起きています。

中には絶対にゆるせないこともある。
そう思うのも当然かも知れません。

「私も過去に絶対ゆるされないようなことをしてしまった」
と、感じているかもしれません。

けれど、「地上での破壊と苦痛の悪循環を止められるのは、
ゆるししかない」というメッセージは、厳然たる事実です。



まず価値観を変える

ゆるしの大切さ、つまり自分自身を含めて
すべての人をゆるす大切さを学ぶには、
価値観を変えなくてはなりません。

手始めに、「うまくいかないときは
何かのせいにしなければ気がすまない」という、
エゴの考え方を捨てるのがいいでしょう。

「自分や他人を責める代わりに、愛に身を委ねる」
という、新しい価値観を取り入れるのです。

そのためには、人間観そのものを変えることです。

自分を単なる肉体ではなく、
永遠のスピリチュアルな存在と見なせるようになれば、
ゆるしの大切さは簡単にわかります。

人生を振り返ればわかりますが、心の安らぎを味わえないのは、
自分や他人をゆるす大切さに気づこうとしないからです。

私は過去を恥じ、罪悪感を感じてはそれを否定し、
腹を立てるという、いわば感情のアリ地獄に落ちていました。

ずいぶん長い間、自分は犠牲者だと思い込んでいたのです。
不幸せなのは、世間や他人のせいだと思っていました。

1975年に『奇跡についてのコース』と出会ってから、
私はスピリチュアルな人生を送るようになりました。

その本を読んで、自分と世界をどうみるかについて、
大きな変化が起こったのです。

私はいまでも、『奇跡についてのコース』で勉強しながら、
「過去の信念を手放す」ということを学び続けています。

そして私は、こう確信しています。
本当に幸せになり、心に安らぎを感じるためには、
ゆるしの大切さと、自分や他人を愛することの
大切さを知る必要があるのだ、と。

人生がうまくいかない時、他人を責めたり状況のせいに
したりするのをやめなくては幸せになれません。

誰かを責めても、仕返ししても、
罰を下しても、幸せにはなれないのです。
ゆるさなければ、求めているものは得られません。

怒りや心の傷、恨みつらみ、そして心の中の争いや
他人っの争いという悪循環を止めるのは自分自身だけなのです。

私たちの一人ひとりが、
自分ででっち上げた「ゆるさない理由」を取り除き、
自分や他人をゆるした時、私たちは癒やされ、
喜びにあふれ、心が安らかになるのです。


転載終了

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この本の内容について、
なるべく否定しない形で私の見解を書きたいが、
私の個人的な話を少ししたいと思う。

長年の読者はよくご存知だと思うが、
私は小学校4年の夏休みに引っ越しをして祖父母と同居し、
学校も地元の公立小学校に転校した。

そこで、ナイーブだった私は酷く傷つき、悲しみに浸り、
引っ越し前に戻りたくて毎晩泣きながら眠りに就いていた。

やがて、自分を守る為に悲しみを怒りに変え、
そこから私は魔界に入って行ったのだが、
同時に神を求めて神の道も進んでいた。

もともと信仰心がかなり篤く、
小学校の低学年の頃から心霊や宗教の本を読み、
小学校4年の時には悟りを求め、『悟りと回向』という
難しい仏教書を小遣いで買ったりしていた。

5年生の頃からは祖母に対して腹を立てる度に、
祖母のお金を盗んで丹波哲郎の霊界関連の本を買っていた。

「自分を単なる肉体ではなく、
永遠のスピリチュアルな存在と見なせるようになれば、
ゆるしの大切さは簡単にわかります」


とのことだが、私はもともと、自分は単なる肉体ではなく、
永遠のスピリチュアルな存在だと認識していたし、
数々の本を読むことによって確信していた。

故に、信仰心を持ち、幼い頃から
意識レベルの向上や悟りを求めていたのである。

ゆるしの大切さなどは分かり切ったことだが、
それでもどうしても学校の先生や友人、
祖父母のことが許せなかったのだ。

「ゆるせない理由を取り除く」というタイトルがあったが、
怒りが治まらないから許せないものは許せないのだった。

小5のある時、聖母が胸にしこりを発見し、
乳ガンかも知れないと言っていた。

その時、新聞の広告で
「超神霊」の文字が目に入って釘付けとなった。

「難病で苦しむあなたにいま奇跡の神霊治療(浄霊)を!!」
というサブタイトルで、早速その本を購入して読み、
超神霊ワールドに入って行ったのだった。

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しかも、著者の隈本確は、
丹波哲郎が最も尊敬している霊能者だった。

当時、丹波哲郎の「大霊界」という映画が流行ったが、
それは隈本確の影響である。

隈本確は「大霊界」という名のシリーズ本を出していて、
それも祖母から盗んだお金で揃えて読みふけっていた。
毎日毎日、何度くり返し読み続けたか分からない。

魂や霊界についての研鑽を積み、想念の大切さを思い知り、
本を読んだ後は反省して人々を許し、
すがすがしい平和な気持ちになっていた。

また、自分で超神霊エネルギーを引き、自己治療や他者治療、
先祖供養や天候操作をする方法が書かれていた。

まず、超神霊と波長を合わせる為に意識を高める必要があるが、
本を読んだ後は心が浄化されるので難しいことではなかった。

超神霊とは、今の私の見解では5次元の霊のことだが、
そのエネルギーを引く想念術を毎日実践し、
聖母の胸のしこりも消えて、天候操作も出来るようになった。

だが、学校に行ったり、祖父母と関わったりすると、
どうしても怒りがこみ上げてきて許せない気持ちになり、
隈本確の本の内容を悪用するようになった。

『大霊界2 念と病気』という本に、
念によって自分や他人が病気なったり、
事故を起こして死ぬことは珍しくないと書かれていた。

人生の目的は魂を超神霊にすることだから、
反省を習慣にして想念の管理を徹底し、
超神霊エネルギーと波長を合わせた生活をしなければならない。

怒りや悲しみ、心配、不安、恐怖、嫉妬、イライラなど、
悪想念を発していると地獄霊に憑依されて病気や不幸を招き、
死後は生前の想念の通りの地獄に行き、
何千年も何万年も苦しみ続けることになる……
というようなことが書かれていた。

そのようなことは隈本確の本を読む前から知識はあったが、
隈本確の本を読むことによって理解と確信を深めていった。

それ故に、超神道を歩み始めた私だったが、
それでも感情のコントロールが出来ず、
念の力を悪用して人々を呪っていた。

実際に、その対象なった人々は、
具合が悪くなって何日か学校を休んだり、
骨折をして入院したり、
原因不明で突然倒れて病院に運ばれたりしていた。

更に私は悪魔術の本を買い、悪魔崇拝に走ってしまった。

悪魔術は儀式とマントラによって悪魔の力を借りるのだが、
「型」と「言霊」によってそれなりの効果はあると思うが、
やはり念の力というものが最凶の武器となる。

また、悪魔術を使わずとも、人を呪えば
同じ波長を持った悪魔(幽霊や地獄霊)に憑依されるので、
誰かを呪えば自分の念エネルギーだけではなく、
憑依霊の念エネルギーも加わって相手を攻撃することになる。

だが、相手がそのような悪想念と波長の合わない
ポジティブな人間だったり、高い守護神に護られていると、
自分が発した念がそのまま自分に戻ってくることになる。

しかし、仮に自分の念で誰かを倒したとしても、
他者は自分の投影なので、結局は人を呪わば穴二つなのだ。

もっと言えば、悪想念を持った時点で
自分で自分を攻撃しているのと同じである。

更に、憑依霊による霊障が加わって心身を破壊し、
人格(思考や感情)もコントロールされるようになる。

だから私は、自分が肉体ではなく、
永遠のスピリチュアルな存在だと認識し、
死後は超神霊の世界に行くことを望みながらも、
どうしても感情をコントロールすることが出来なかった。

だが、隈本確の本は毎日読み、反省して平和な境地を取り戻し、
超神霊のエネルギーを引くことは続けていた。

しかし、その一方では悪魔術を続けていて、
6年生からは体調や精神に異常を来して登校拒否をしていた。

中学に入っても不登校だったが、
引きこもりではなく外側に暴発することになった。

その頃は悪魔術から卒業していたが、
悪霊に支配されていたことには変わりなかった。

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そして、中1の1学期に先輩に呼び出され、
公園でリンチを受けたのだが、私が激しく怒り狂うと、
その先輩はトラックに轢かれて頭が潰れて即死した。

その後も、私にリンチを加えた先輩たちが
事故で死んだり植物人間になったりしていた。

それでも私は隈本確を崇拝し、新刊が出ると買い求めていた。

悪い事ばかりしていた中3のある日、
本屋で隈本確の新刊を買うと仲間の不良と遭遇し、
私が買った本を見て驚いていた(笑)

高校に入ってから丹波ナチュラルスクールに拉致監禁され、
出所後は連れ戻しを恐れてしばらく更正していたが、
制圧していた怒りが爆発して、
本格的に暴君への道・魔道を歩み出すことになった。

もともと純粋で繊細な心だったので、
傷つきやすく人の痛みがわかるから、
人を傷つける度に胸を傷めた。

そして私は、多大な影響を受けた
北斗の拳のカイオウの少年時代を模倣し、
そのピュアで軟弱な心を克服する為に、
心を殺して極悪を追求して人間の心を捨ててきた。

のちに、内観で胸がエグられそうになって
呼吸困難になりそうになったりもが、
あくまでも感情を外して客観的に観なければならない。

今の私は別の意味で人間の心がないが、
それは真我(真心)が覚醒してくると
自我(心)が希薄になるということである。

で、高校の頃は超神霊ワールドから離れていたのだが、
それでもいつかは更正して超神道に戻るつもりではいた。

当時の私は、普通に人と対話ができる人間ではあったが、
ある意味で完全に発狂していて麻原のような思想を持ち、
日々、無茶苦茶な暴虐行為や破壊活動を繰り返していた。

しかし、麻原のような馬鹿ではなく、
かなり戦略的な知能犯でもあった。

当時、その街では傷害致死事件が頻繁に起きていたが、
私は高校生にして昇り詰めて成り上がった。

恐らく、単なる魔界の狂霊ではなく、
魔王クラスの悪霊が憑依していたのだと思う。

だが、そのようにエネルギーを発散することにより、
正常で穏やかで優しい一面も持ち合わせていた。

もちろんそれが本来の私なのだが、
高校を卒業してオーストラリアに留学し、
その時に隈本確の本を持って行って読み直した。

また、日本人の友達が「マーフィー」の本を貸してくれて、
潜在意識のことを勉強し、過去の全てのことを許し、
自分のことも許すことが出来て、安らぎと幸せを手に入れた。

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その後、日本に残してきた彼女が旅行で遊びに来て、
人生で最も幸せだと感じる2週間を過ごしたのだが、
最後の日の前夜、彼女が浮気をしたことを知り、
私は視界が灰色になって、
意識が朦朧として倒れそうな程のショックを受け、
かつてない程の深い悲しみに陥った。

そして、日本に帰国して彼女と同棲を始めたのだが、
どうしてもその男が許せずに殺意に満ちた人生を送り始めた。

19歳から建築の仕事を始め、その怒りを肉体労働でぶちまけていた。

大ハンマーで杭を打つ時もその人間の頭をかち割るイメージをし、
サンダーを使う時もその人間を切断するイメージをし、
スコップで土を掘る時もその人間の死体を埋める為だと思って、
ガムシャラに働いていた。

夜は、たびたび高校時代の悪友たちと遊び、
暴虐と破壊を繰り返していた。

そのようにしてエネルギーを発散すると、
落ちついた平和な心に戻って深く反省し、
マーフィーの本を参考にして、
どうしても許せないその人間を許す祈りをして
超神霊エネルギーを送っていた。

だが、いくらそのようなことを繰り返しても、
再び悲しみと怒りが湧いてきて、
自分ではどうすることもできなかった。

ESPテープも聴きながら
「私の心を変えて下さい」と祈ったり、
指導所にも行ったりしていたが、
その時は平和で調和的な心を取り戻しても、
どうしてもその男だけは許せず、暴虐と破壊を続けていた。

だが、ノストラダムスの予言が頭にあり、
1999年の7の月(8月)に人類が滅亡するとすれば、
その1年位前には全ての悪想念を浄化して、
本格的に改心しなければいけないと思っていた。

それを友人に話したことがある。

「俺らこのままやった死んだら地獄に落ちるから、
ノストラダムスの予言の1年前に改心するわ」

すると、友人は答えた。

「そういう考え方こそ地獄行きや」

確かにそうだ(笑)

結局、1999年になっても私は何も変わっていなかったが、
真理を探求して精神世界系の本を読み漁ってはいた。

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そして、問題の1999年の8月頃、私は21歳だったと思うが、
本屋で『日月神示』が目に止まり、買わずにはいられなかった。

隈本確の本と違うことも書かれていたので、
少し戸惑った部分もあったが、
私は『日月神示』に傾倒して隈本確の世界から離れて行った。

そして、丸坊主にして少食の完全菜食に切り替え、
断食も繰り返すようになった。

その頃、建築の仕事を辞めて市場で働き始めたが、
同い年くらいの大学生に偉そうに指示されて、
積んであるニンジンの段ボールを蹴り倒してクビになった。

ホテルの宴会場のウェイターのバイトをしても、
大学生くらいの男に命令口調で指示されて、仕事が終わってから
胸ぐらを掴んでロッカーに押し倒して蹴りを入れてクビになった。

その後、1年くらいの間に50業種くらいのバイトをしたが、
人に使われる仕事に向いていないことが分かった。

また、ノストラダムスの予言(間違った解釈)は外れたが、
『日月神示』を読んで終末が近いことを知った。

フリーメーソンについては、
当時は陰謀論を鵜呑みにしていたが、
沢山の本を読んで知識を得た。

そして私は、日本を守り、世界を救う為には、
日本人の食事改革が最重要だという結論に到達し、
使命感に駆られた私は生活費のことはとりあえず彼女に任せ、
本を出版する為に家に閉じこもって執筆活動を始めた。

そして2冊分の原稿(ノート)が出来たが、
自費出版するにはお金が必要で、
支出(借金返済含む)も毎月50万円くらいあったので、
私も働かなければいけない状況になった。

そこでビジネス雑誌を買って様々な資料請求をして
ビジネスを研究した末に、情報販売を始めることにした。

あまりハッキリ覚えていないが、
すぐに10万円くらいの安定収入になり、
その後、自らの体験に基づく金融マニュアルを作成し、
一部1万円で販売して毎日1〜5件の注文があった。

平均して月に100万円くらいで5年くらい続いたが、
そのお金は全部、夜遊びに使って、
酒を飲んで相変わらず暴虐と破壊を繰り返していた。

また、22歳の時、二度と失敗して懲りていた
ネットワークビジネスに参加することになった。

ネットワークの成功者は詐欺師のような人が多いが、
私は全く別のやり方で頭角を現して数々の成功を収め、
その業界では名の知れたネットワーカーとなった。

人を儲けさせれば結果的に自分が儲かるという考え方で、
ひたすら自分のノウハウに従って走り続けた。

だから、人々から厚い信頼を受けて支持され、
全国からお礼の手紙やFAXが毎日届き、
お歳暮などを送ってくる人も何人かいた。

私の直紹介の人脈だけで累計800人くらいいたが、
その人たちは儲かる儲からない関係なく、
私が新しいビジネスを仕掛ける度に、
その内の何十人か何百人かは動いてくれていた。

その下にはまた何千人とかがいて一斉に動くので、
私は何をやっても成功するようになっていた。

私の外見は普通ではなかったが、
いくつかの大企業の役員や顧問などからも信頼され、
ティーアップをかけられる時も
「見た目はこんなんだけど凄くいい人です」と言って、
別の有力者を紹介されたりもしていた。

自分で言うのも何だが、いい人はいい人に違いなかった。

しかし、心の底にはいつまでも怒りと悲しみがあり、
夜になると繁華街や住宅街で極悪なテロ的活動をしていた。

ちなみに、当時の彼女の友達が、
その男の友達と繋がりを持ち続けていて、
その男が死んだという話を聞かされた。

その男は元か現役か知らないが
八九三だったらしいが詳細は不明で、
名前だけは彼女に聞いて知っていた。

そして、住所を突き止めたのだが、
イザ、実際に自分の手で…となると戸惑ってしまった。

収入は、情報販売とは別に月収数百万円、
最高で800万円程あったが右から左で貧乏だったので、
お金を貯めて友人のヒットマンを使おうと思っていた。

その前に死んだことを知らされ報復の必要はなくなったが、
死んでも許すことが出来ずに、その男を呪い続けていた。

このように、死者の霊が生き霊に呪われて
地獄の苦しみを味わうというケースは少なくないと思うが、
その呪っている生者の想念界自体が地獄なのである。

そのような経験をしてきたので、
『ゆるすということ』を読んでも、
ゆるすことが出来ない人もいるはずだと思う。

だが、26歳の夏、その最愛の彼女が、
他の男と結婚すると言って家を出て行った。

その瞬間、悪魔が私から離脱して、
8年間に及ぶ悲哀と怨恨の念が消滅してしまった。

その後、様々な形で悪友たちと縁が切れていき、
本格的にスピリチュアルな道を歩むことになった。

明らかにパラレルワールドが変わった瞬間だったが、
要するに、どのような形で解決して方向転換するかは、
人間の頭では分からないということである。

彼女をさらって結婚した男に対して怒らなかったのかというと、
私はもう疲れ切っていて、ホッとしたというか放心状態だった。

そして、彼女を幸せにしてくれる男が現れたことで、
むしろ私は2人を祝福することができた。

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その半年後、約20日間に及ぶ断食瞑想で天人合一を体験し、
不食に至って瞑想の日々を送り、確実に意識進化していたのだが、
8年間に及ぶ強烈な殺意は解放・解消されても、
潜在意識には記憶(情報)として残っていて、
その浄化が出来ていなかったようである。

29歳の時に喧嘩で2回ほど人を殺めそうになったことがあり、
自分が恐ろしくなった時、以前買って読んでいなかった
『絶対変革』という本が目に止まった。

そして、ネオデジタル内観を始めることになったのだが、
それまでの修行の成果も役立ったのか、
数日後に真我に目覚めたような感覚を味わい、
新しく生まれ変わったような気がした。

この時も別のパラレルワールドに移ったようだが、
金縛りやポルターガイストに苦しめられるようになり、
自分でも訳が分からずに困惑した。

そして、金縛りで力尽きて体外離脱し、
魔界に連れて行かれるようになり、
1年間に及ぶ壮絶な魔界戦争を体験することになった。

普通の人には理解できない気違いじみた話だと思うが、
これは体感型のリアル内観だったのだと思う。

体外離脱して魔界に行っていたので、
当然ながら肉体の外から戻ってくるのだが、
その魔界戦争がいつの間にか明晰夢になっていることもあった。

1年後、私は死闘の末に必殺技を編み出し、
大日如来真言を唱えながら竜巻を放出して魔王を倒した。

その瞬間、私の意識は肉体に戻り、
「終わった」という実感があった。

次の瞬間、私の体に何かが落ちて来て、
泥棒か何かが飛び乗って来たのかと思うや否や、
私の体が竜巻に巻き込まれたかのように高速回転を始めた。

私は確かに起きていたので、肉体が回転していると思ったが、
それは有り得ないと思い、何が起きているのかすぐに分かった。

私の肉体意識は覚醒していたが、
幽体が肉体に戻った直後だったので幽体意識も覚醒していた。

いや、両方が同時に覚醒していることは有り得ないので、
肉体に戻ったという自覚はあったが肉体はまだ眠ったままで、
幽体意識が覚醒している状態だったのだ。

そこに、竜巻に巻き込まれた魔王が私の幽体に落下して、
私も竜巻に巻き込まれたのである。

もっと的確に言うと、魔王が私と合体した為に、
魔王と共に私も高速回転したという感じだった。

それはそれは恐ろしい体験だったが、それ以来、
金縛りやポルターガイストはピタッと治まった。

ある人が、その魔王は私のシャドーではないかと言ったが、
その後、魔王が私から離脱した感覚はないので、
そうかも知れないと思っている。

この珍事件は、須藤アキオ氏が解説している、
「スサノオのヤマタノオロチ退治」神話の
心理学的解釈のの話を彷彿させる↓

『無意識界へと無理矢理押し込んだ反面を心理学では「影」といい、
自己実現に際して、まず最初に夢に登場する象徴人格だとする。
この人類の意識こそ、
出口王仁三郎が型役を演じた救世主スサノオであり、
「影」こそが八岐大蛇だろう。
スサノオは、みずからの「影」、
八岐大蛇の尻尾から剣を取り出して、これを克服する。
古事記はそう記しているが、
出口王仁三郎は、言霊で言向和すのだと訴えているのだ。
けっして否定してこれを押し込めるのではない。
まさに霊体一致の霊主体従を地で行く姿ではないか』


私は魔王(副守護神)を倒したとはいえ、
大日如来真言という言霊で言向和し、
竜巻(竜巻は渦で渦はスサノオ=キリスト)で浄化し、
悪抱き参らせて和合したというふうに解釈している。

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それから半年後の節分、
明晰夢の中で雷雲が近づいて来たので走って逃げたが、
私に落雷する予感がしたので、
夢から覚めて起きようと思ったのだが時すでに遅し……。

私の胸を目掛けて雷が落ちてきて、
あまりの衝撃で目を開けたのだが、
夢から覚めているにも関わらず、
全身が強烈な電撃を受けていて気が狂いそうになった。

聖書で雷は堕天使ルシファーの象徴だが、
日本ではスサノオと呼ばれる神である。

それは鬼門に封印された鬼であり、艮の金神と呼ばれる。

出口ナオに艮の金神が憑ったのも節分らしく、
岡本天明に日月の神が憑った時も腕に強烈な電撃が走ったという。

ちなみに、金光教の川手文次郎に憑った艮の金神と、
出口ナオに憑った艮の金神は明らかに別物である。

私に憑ったというか宿った艮の金神も別物のはずで、
『日本書紀』で艮の金神に適合する
天津甕星(あまつみかぼし)ではないかと考えられる。

その理由は、天津甕星を祖神として
代々受け継いで来たのが尾張大国霊神社の宮司家だが、
それが私の姓のルーツで、
当時の私は名古屋に住んでいたというシンクロもある。

その落雷事件の後、
投資会社を経験していた私は救世の衝動に駆られ、
それまでの方法で巨大資産を形成する戦略を練り、
石油メジャーに戦いを挑んで
文明転換に導く慈善事業をする決意をした。

地球と人類を救う為にはそれしかないと思い、
抹殺されるのは承知の上で、
贖罪のつもりでイエス・キリストを模倣して、
33歳で死ぬつもりだったのだが、
その事業にまだ着手できないまま現在に至っている。

だが、当時のビジネスパートナーがそれを進行させていて、
本来は敵である石油メジャーをはじめ、
世界中の権力支配層を巻き込んでいるので、
近い将来、文明転換の大きな柱になると思う。

いずれにしても、この地球と人類を守る為に、
命を捨てる覚悟を決めたということが、
意識進化の大きな原動力になっていたようである。

私が覚醒者として一応認めている元波動整体師の奥田治氏も、
「覚醒する為にはまず人の為に生きようと決断すること」だという。

ホワイト・イーグルも、イニシエーション
(魂が目を覚まして一段一段と進歩の階段を上ること)
について次のように教えている↓

『上級イニシエーションは、人生の大きな転機の中で、
「自分を捨てて地球(宇宙)進化のために全面的に献身する」
という決断から始まります。
人はこの決断をするならば、一つの人生の中で
幾段階ものイニシエーションの階段が上れると教えています。
すなわち、一生涯で釈迦やイエス・キリストに近いところまで
上れるのだと断言してくれているのです』


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それから実家に移住して約1年間に渡って、
半生の詳細な内観をしながらブログで自叙伝を公開してきた。

それが終わった瞬間も、
別のパラレルワールドに移ったような感覚を覚えた。

あるがままではなく「ないがまま」という不思議な境地で、
これが本当の真我覚醒か……と思ったが、少なくとも、
ネオデジタル内観の山本健二が言う「真の自己発見」とは、
その時の私の状態のことだと思う。

山本健二氏は次のように述べている↓

『ある時、まったく思考が働かない状態に
ポコンと入ってしまいました。
すべての思考が切れた状態を体験したのです。
一切の不安も恐怖もなく、
ただ純粋の意識としてそこに融け込んでいる状態……。
いままでの自分というものがなくなり、
ただそれそのものとしてある「存在」……。

それまで世間を驚嘆させるような超能力的な体験や、
霊的あるいは神秘体験を数え切れない程してきましたが、
このような体験はまったくはじめてで新鮮な喜びでした。
幾度となく無思考状態を楽しんだ後、
思考の切れたこの状態は何かということをまとめました。
そして、今までイメージ体験という疑似体験でしかなかった
「空」という状態の真実の姿だと理解したのです』


だが、それはまだ本当の真我の覚醒ではなかった。

自叙伝を書き終えてから暫くして、
私は広大無辺の真っ白な世界にいて、
遥か彼方にオーロラのような物体が見えた。

それが超スピードで一瞬にして私の横まで来たかと思うと、
ピンクと紫の炎のようなオーラを纏った巨大な女神だった。

そして、私に何か話し掛けようとしたようだったが、
ちょうどその時に起こされて目が覚めてしまった。

その後、不思議な経験をしてから
夢の中に図形や数式が現れるようになり、
女性の声でヒントが与えられることもあった。

その頃から「左右反転」という奇妙な感覚が始まり、
自分が見ている対象物の側から私を見ている感覚が、
私の視界に重なるという不可解な現象が起きていた。

4日間座ったまま瞑想から覚めなかったりなどして、
ある時、黄金太陽(正八面体)の謎を解明した。

詳細は語れないが(というか忘れたが)、
それは「ピラミッドの秘密」と言ってもいいもので、
結論からすると胸が5次元の入口だということである。

それから私の感覚は、左右反転から「内外反転」に発展し、
魂(真我)は肉体に宿っていないと感じるようになり、
肉体の外側の世界を内側として認識するようになった。

もちろん、自我(3次元意識)では肉眼を通して、
肉体の外側はあくまでも外側として認識しているが、
肉体には宿っていない私の主体である
もう1つの意識(真我)の感覚では、
この3次元の世界を内側のように認識しているのである。

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その後、ひたすら自分を捨てた
菩薩行をせざるを得ない4年間を過ごし、
まともに瞑想する時間もなかったが、
そのような使命期間だったようである。

今思えば、形は変われど、
それが「上級イニシエーション」だったのだ。

ある日、岡田多母氏の師匠である天翠氏から
魂のクリーニングを受けた時、私の御魂名が
6次元の青森白木上ということが分かった。

落雷事件の話をすると、
5次元の日と月のエネルギーが宿ったことを、
落雷という象徴でビジョンを見せられたのだという。

日と月で「明」で明星(金星)をも象徴しているが、
ルシファーも「明けの明星」で象徴されていて、
私の祖神である天津甕星も「金星」という意味らしい。

そこで、この時の落雷事件について、
ヌーソロジーに精しい ごだい氏が、
興味深いコメントを入れてくれたので転記しておきたい↓

『「胸に雷が落ちた」ことについて、
胸のチャクラと関連付けてコメントしましたが、
その時書かなかったことがあります。
それは、胸への雷光は、
神性自己誕生の受精を意味するということです。
受精ですから、その後に懐妊・出産・育成と
注意深く保護していく期間が続きます。
この期間は、流産・死亡をもたらす悪影響を避ける必要があるので、
経済行為等はしないか最小限にするのが望ましいといえます。
またこの新生児への授乳行為は、
徹底的反復行為による潜在意識のクリーニングなので、
一種の「ひきこもり」が必要となります。
もしかしたら、獣さんはこの段階の終了時期にあるのかもしれません』


ピッタリ当てはまっているので驚きである。

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話が長引いてしまったが、私は1人の人間に対して、
許すたびに心の平安を取り戻し……というか、
心が平安な時に許していたとも言えるが、
許しても許しても一時的なものであり、
8年間も殺意を持ち続け、
死んだことを知っても怨恨が薄らぐことはなかった。

それは、許す対象が外側(相手)
だったからではないかと思うのである。

他者はあくまでも投影であり、
許す対象の実体は自分の内側(潜在意識)なのだ。

そのデータをクリーニングする為には、
やはり「ご免なさい、許して下さい」ということになる。

この本に書かれているように、
人を許すことが自分を許すことになり、
それで幸せになるというメソッドで成果を上げているなら、
それはそれでいいと思うが、他者は自分の投影であるが故に、
自分を許さなければ人を真に許すことは困難だと思う。

自分を愛せないという人が、
他人を真に愛することが出来ないのと同じである。

著者のジェリーも昔は、
「不幸せなのは、世間や他人のせいだと思っていました」
と書いていたが、私もそう思っていた。

中には自分に原因があることがあったとしても、
世間や他人のせいで不幸になったのは事実だと思っていた。

だが、内観をしていくと様々な因果関係が浮き彫りとなり、
全てはカルマの法則だということを理解するようになった。

更に、この3次元の現象界での原因と結果だけではなく、
想念界(原因の世界)と現象界(結果の世界)の
因果律も見えてくるようになった。

短期スパンや長期スパンで、ミクロ的にもマクロ的にも
カルマの法則を認識するようになった。

そうなると、全ては自分に原因があることになり、
世間や他人のせいにすることが出来なくなる。

むしろ、世間や他人のせいにすることで
新たなカルマを作ることになるのだ。

もっとも、真我が覚醒してくると世界観が反転する為に、
根本的に捉え方が変わってくる。

この世界は自分の潜在意識の投影であり、
真我が見ている夢の世界のようなものである。

夢を見ているのだから「覚醒」とは言えないが、
夢だと自覚しながら見ている「半覚醒」である。

いずれにしても、真我が半覚醒に至ると、
この世が自分の見ている夢のようなものであることを
認識するようになってくるのである。

故に、この世界を内側として感じるようになるのだが、
全ては潜在意識が投影している3D映像であることが理解できる。

世間や他人のせいというのは、
映像としてそのように見えるだけで、
自分の世界に存在する他人は実体ではなく、
世間も他人も自分の潜在意識の投影である以上、
全ての原因と責任は自分にあることになる。

もちろん、自分に起こる出来事だけではなく、
ニュースで見る世界中の事件や事故、天災なども、
見たり聞いたりした以上は全て自分に原因と責任がある。

自分が体験するネガティブな出来事や、
それによるネガティブな感情、
そして、自分以外に起こって見聞きした、
あらゆるネガティブな現象の元となっている、
自分の潜在意識をクリーニングするのがホ・オポノポノなのだ。

それ故に、「全責任は自分にある」を原理とする
ホ・オポノポノの創始者は、
真我に目覚めた5次元認識の持ち主だったと思うのである。

私の家の前は毎日のように消防車が通るが、
どこかで火事があったと私が知ったということは、
私の世界では私に火事の原因と責任があるので、
消防車やパトカーが通るたびに、
謝罪と感謝の言葉を潜在意識に向けて唱えるのである。

山本健二氏も次のように述べている↓

「あらゆる問題点はすべて自分自身が原因であった」
と気づくことが大切です。
あなたの不調和がすべてを生み出しているのです。
この地球環境を汚染し破壊しているのは他の何者でもなく人間であり、
それは私自身であるということに気づかなければなりません』


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自分が関係ないことでも、
何でもかんでも自分の責任のように感じる加害妄想は、
精神病の一種で何とかという病名がつけられているが、
それとは全く異なるものである。

自分の責任と言っても、罪悪感を持つということではない。

「罪悪感」の意識レベルは「恥」の次に低く、
怒りや欲望や恐怖や深い悲しみよりも最低な感情である。

ジェリーは「私は過去を恥じ、罪悪感を感じてはそれを否定し、
腹を立てるという、いわば感情のアリ地獄に落ちていました」
と書いていたが、これは最低の人間ということになる(笑)

幽界には様々な世界があるが、
六道輪廻説で言えば、その1つに「地獄」があり、
罪人が罰として落とされる世界だと言われている。

だが、霊界研究をしている人にとっては、
地獄は罰として落とされる世界ではないことは常識である。

では、地獄とは何かというと、これは私の考えだが、
罪悪感や自責の念を持った者が自らを罰する為に行く世界である。

もちろん、「自分を罰する為に地獄に行こう」
という意志を持って行く者はいないと思うが、
そのような世界を選択してしまうのである。

それはこの世でも同じ事で、
生き地獄を体験する現象を自ら引き起こすのだが、
それが「罪悪感」というカルマの
現象化であることは説明するまでもないだろう。

「自分を許す」ということの大切さがお分かりだろうか。

他人を責めるのも同じ事である。
他人は自分の投影であるから自分を責めるのと同じことであり、
生きても死んでも地獄(想念)を映し出すのだ。

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極端な話をすると、誤って人を殺めてしまっても
罪悪感を持つべきではないということになる。

人を殺めてしまうこともカルマの法則に基づいていて、
殺すのも殺されるのもカルマの結果である。

その視点から見れば「被害者≒加害者」であり、
自他一体の真我の視点から見れば「被害者=加害者」である。

また、他者Aが他者Bに殺された場合、
他者Aは被害者で他者Bは加害者だが、
どちらも自分の投影なのである。

だからと言って、他者Bの立場になって
自分が罪悪感を抱くことは間違っている。

しかし、その逆の人は多く、
他者Aやその遺族の立場になって胸を傷め、
他者Bに憤りを感じる人は多い。

ニュースで事件を見て怒るような人だが、
それによってカルマを作ることがお分かりだろうか。

他者Aも他者Bも自分の投影であり、
そのニュースを見せられたということは、
自分が何かを理解しなければならないということである。

理解することが出来なければ、
その事件は自分の記憶の何が原因だろうか……と問いかけ、
謝罪と感謝の言葉で潜在意識を浄化するのである。

「全責任が自分にある」ということが、
決して加害妄想ではないことが理解できると思う。

もちろん私も、被害に遭ったら「被害に遭った」と思うし、
加害者になってしまったら加害者の立場として
「悪いことをしてしまった」と思うが、
それは結果の世界での現象(投影)に過ぎないのであって、
真実ではないのである。

先ほどの例で言えば、
他者Aは他者Bであり、他者Bは他者Aなのだ。

お互いにお互いを投影し合って、因果律に基づいた
シナリオ通りの役柄をお互いに演じているだけであり、
そのドラマを客観的に観て何を理解するかが重要なのだ。

ある占いで、私は「神と悪魔の両方に支配される人生」
とのことだったが、実際にその通りの半生だった。
(ここでいう半生とは、人生の半分という意味ではなく、
過去の人生という意味である)

もちろん、魔界戦争によって魔王を抱き参らせたのだが、
会ったばかりで何も話していないある霊能者にも
次のように言われたことがある↓

「君は今まで体験する必要があって黒い世界を生きて来たけど、
これから凄いことになるよ」

その後、経済面では凄いことになりかけたが、
今のところ何も凄いことは特に起きていない(笑)

しかし、上記に書いてきたような経験をしていなければ、
今の私はなかったはずだと思うし、必然・必要・ベストで、
言うまでもなく過去の全てを肯定してオールOK牧場である。

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転載記事の話に戻すが、
「まず価値観を変える」というタイトルがあったが、
まず価値観をニュートラルにするのが内観である。

「自分や他人を責める代わりに、
愛に身を委ねるという新しい価値観を取り入れるのです」


とのことだったが、そのような価値観の変更なら良いだろう。

だが、私はそのような価値観を持っても、
どうしても許すことができずにいたのである。

「そのためには人間観そのものを変えることです」

とのことだが、
人間観というよりも世界観そのものを変えた方が良い。

その為に私はブログを書き続けてきたようなものである。

「内外反転」の世界観は、
覚醒レベルにならないと認識できないことだが、
そのように考えてみることも、
世界観の変容や意識の進化に役立つはずである。

そして、本質的には自分という存在も実在ではないが、
他者は自分の投影だということを、
常に意識する習慣をつけることである。

あらゆる出来事も自分の投影であり、
自分がいる宇宙そのものが、
自分の潜在意識が映し出している幻影なのだ。

それは私の思想や考えではなく認識であり、
古今東西の悟りを開いた聖者も説いていて、
最先端の科学でも常識となっているのだから、
その新しい世界観を取り入れて、
誤った世界認識や思考パターンを変革し、
意識の進化に繋げていかなければ、
進化の波に乗り遅れてしまうかも知れない。

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以前、次のような記事を紹介した↓

私は数年前ある人から裏切り行為を受けた
私にとっては奈落の底に落ちて行くような出来事だった
でもその裏切りは私にも責任があったしその人だけのせいではなかった
そうならざるをえない状況を私も作り出していた

私の前に現れる人々、起きる出来事すべては
私の鏡だという信念を受け入れていたけれど
この出来事には例外で、心は深く傷ついた

でも頭で受け入れようとして表面上は腑に落ちたつもりでも
ふと何かあるごとにその時の悲しみが湧き上がって来た
そしてまた裏切られるかもしれないと言う恐れはなかなか拭えなかった

でもこの体験は間違いなく私が引き寄せたものだし
マクロ的に見れば被害者も加害者もいない
私の内面が創り出した出来事
私の現実の責任者は紛れもなく私自身だ

この世界は私が信じたものを見る世界
私の観念が私の世界を創造する
そう頭では理解しても実感には至っていない自分がいた
どこかでまだ裏切ったその人を許せないでいた
どうしてそんな体験をしなければならないのか心から納得していなかった

津留さんはこう言う

【宇宙とはあなたの鏡です】

そして

【他人はいない】

【他人とはもうひとつのあなたの目である】とも


以下【多くの人がこの本で変わった】より抜粋

他人とはあなたの内宇宙をのぞき込むための潜望鏡であり
広大な真の自分を発見するための望遠鏡であり顕微鏡である

<他人はいない>とは現実だと思っているすべてが
あなたの内側が反映した立体鏡にすぎない

「今自分は夢の中にあり、幻想を現実と勘違いしているのだ」と決めてみる

「この現実の中には実は自分ひとりしか存在していなくて
自分に見えるもの、聞こえるものはすべて自分の内なる世界が反映しているのだ」

と決めてみる

あなたが見ている世界はあなた独自のユニークな宇宙空間であり
同じ宇宙は2つとして存在しない


転載終了

詳細は、以下の記事で紹介と解説をしているので、
参照して頂きたいと思う↓

人間型ゲシュタルトと自他一体
http://new-mu.seesaa.net/article/370519062.html

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ともあれ、この本に書かれているように、
「人を許すことで自分を許す」という方法が向いているか、
私が提唱するように「自分を許すことで人を許せる」か、
どうかは人それぞれだと思う。

人を許すよりも自分を許すことの方が簡単だと思うが、
自分を許すということは、
全ての原因と責任が自分にあるということが前提なので、
人を許すことよりも難しいかも知れない。

今まで目を背けて見て見ぬふりをしてきた、
自分の醜い内面(正体)を直視しなければならないからだ。

それを見たくないから、
それを他者に投影しているのが人間なので、
他者を許すことの方が意外と簡単なのかも知れない。

だが、他者が自分の投影であることを認めた上で許すのか、
自分と分離した他者を許すのかどうかでは、
深層意識の浄化度が変わってくるだろう。

あくまでも、熾烈な自己凝視による内観によって、
真我の覚醒に近づいていくものだと私は思うのだが……。


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posted by ZERO at 01:24| Comment(2) | 精神世界・心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なが〜い記事ご苦労さまです。

ということで、どなたかZEROさまの携帯電話利用料金を払ってくださいませ。また、とめられてるようなので〜(>_<)
Posted by 言上姫 at 2014年05月17日 15:18
言上姫さん、こんにちは。

なが〜い記事の御拝読ご苦労さまです。

メールもらってましたか?

KDDIのイタズラで止められていましたが、
昨日の夕方に開通しました(笑)


そういえば、言上姫さんの情報によると、
鹿児島UFOさんのブログで、
神仙組のカタカムナの記事が紹介されているようです。
Posted by ZERO at 2014年05月18日 00:31
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